「俺の角野」の影響力



 飲み会がつつがなく終わり、社長たちが清算を終えるのを居酒屋の入り口付近でガヤガヤと待っているあいだ、


 隣でぼんやりと立っている角野を上から見下ろしていたら、あの女の闘いはなぜ起こったのか……と今頃になってやけに笑えてきた。


 そしてなぜに俺を奪い合うことになったのかと面白く思いつつも、奪い合われた理由がもの凄く気になってきたので、水野がそばから離れた隙に声をかけた。


「角野」

「はい」


 返事しながらクイッと見上げてきた角野に、満面の笑みでお願いしてみる。


「今からどこかで、なぜあんな事になったのか、話を聞かせてもらえるかな?」


 角野は一瞬だけ? ってな顔になってはいたが、すぐに ”あんな事” の意味を理解したようで、あぁ…とつぶやいたとたん死んだ魚のような目になった。


「はい、聞かせてあげます。というか聞かせます」



 それからすぐ社長たちにその場での解散を告げられたので、


「お疲れ様でした」

「お疲れでしたー」


 とりあえず全員でなんとなく適当な挨拶を交わしてから、角野や引田らと一緒に駅へと向かおうと歩き出した、その時


 後ろから駆け寄ってきたらしい水野が、前触れもなくドンッ! と勢いをつけて俺の背中に抱きついてきた。



(―――えっ?)



 衝撃で少し前のめりになったあと「はい?」と戸惑い、顔だけを後ろに向けて何が起こったのかと確認した俺に、水野はベタベタの甘え声を出す。


「小宮さん、今から二人で飲み直しに行きませんかっ」


 そばにいた角野は俺に抱きついている水野を見て驚いていたが、瞬時に「この場にいては私も巻き込まれる!」という怯えた表情に変わり、俺を横目でチラッと見たあとごまかすように小さく笑う。


(その顔はアレだな……)


 俺が思った通り、角野は前を歩いている引田や事務員らの方へと素早くタタッと逃げていった。


(こら待て角野。俺を置いていくんじゃない)




 ただベッタリ抱きつかれて迫られたとしても、当然ながら水野との飲み直しなんかより角野と二人でお茶する方が俺にとっては一大イベントなので、


 ちゃっちゃと逃げた角野を恨みがましく目で追いつつ、まだ腰に回されている水野の腕を、はいはい…と流れ作業で引きはがしてから速攻でお誘いを断った。


「あ、止めておきます。他に用事もありますし」


 水野は少し険しい表情を見せたが、すぐに薄い笑顔を浮かべ冷たく吐き捨てた。


「そうですか。やっぱり彼女のことが気になります?」

「はい?」



(なんだそれ? さっきも言ったはずだが、俺にいま彼女はいない)



「いえ、彼女はいないんですが」


 面倒くさいなと思いつつも再び同じ答えを不審げに返すと、水野がまた薄笑いを浮かべる。


「えーっ。角野さんが実はー、彼女だったりしますよねー」

「………」



 いや、違う。一体どこをどう見て、そういう結論に達したんだ水野……



 意外過ぎた発言に思わず無言になってしまったが、そんな俺を非難するかのように、水野は鋭い視線をずっと送ってくる。


(なんで俺が悪いみたいになってるんだよ)


 俺はお前を邪険にしたことはあれども、好きだと誤解させるような思わせぶりな態度をした記憶は全くないぞ。―――でもまぁ、なんというか。


 俺の彼女が角野だ…と思った経緯は、是非とも知りたい。



 そこで水野に向かって笑顔をみせ、優しく問いかけてみる。


「なんで、そう思ったのかな」



 すると、どうやら経緯はこうらしい。――――


 ホワイトデーに会社に行った時、俺を飲みに誘ったら「俺の角野」と言い、そのあと「しまった!」って顔で一瞬黙った。


 それを聞いていた近くにいた女性陣が「やだ、二人って付き合ってるのかしら?」とか言い出し、そして女性陣のそばにいた引田がうなずく。


「それはどうかは知らないが、仲はとても良さそうでしたよ」

「え、ほんと? キャーーーー」


 てな感じでメンテ会社の皆さんが、楽しく盛り上がったんだそうな。



 ………なんじゃそりゃ。


 それどんな三段活用だよ。

 そんなご近所の噂話レベルで、確信されても困るんですが。

 しかし俺の角野なんて言ったか?



 思っていたより、しょーもない理由だったことに呆れ、苦笑いを浮かべてからハッと軽く笑った。


「というか水野さん、それを信じたの?」

「いえ、まさか。職場の噂話を本気にする訳ないじゃないですか」


(なら、なんでそれを理由として言ったんだ)


「……じゃ、なんでなのかな?」


 呆れ声で再び尋ねると、なぜか水野は得意げな顔になりきっぱりと言い切った。


「女の勘です」



 ―――役に立ってない勘だな、おい。



「それにさっき角野さんに、彼氏ですよねって聞いたら否定しなかったので」


 水野は、合ってます? といった風に首をかしげた。



(角野が?)


 ……待て。角野には俺じゃない彼氏がいる。

 そして、それを聞いたのは水野だ、たぶん間違っている。



「というか付き合ってるかどうか以前に、角野が俺のことが好きだとかいう気配は全く無いと思うんですが」


「………」


 なぜか不服そうな表情で黙る水野。

 そして今度は半信半疑な様子で首をかしげた。


「ただなんか、少しは怪しいかもと……。それで『俺の角野』と聞いたときに、やっぱりそうかもと……」


 眉をひそめポツポツと言い終えると、俺の表情から何かを探ろうとジッと見つめてくる。


(ま、とりあえず誤解は解いておこう。)


「いやいや。その『俺の角野』てのは、たぶん、ただの言い間違いだから。ほんとに」


 違う違う…と手を横に振り全面的な否定をすると、水野は目を輝かせて俺を見てきた。


「じゃ、角野さんとは付き合ってないんですか?」

「付き合って、ないですよ」



 付き合っていない…と俺が言った瞬間から、パーッと期待に満ちた表情になった水野を見ていたら


 俺とただ単に同じ職場で、そしてそれなりに俺と仲がいいってだけで角野をにらむような女を、なぜ、俺が選ぶと思っているのか。まさか角野と付き合ってなかったら、自分が付き合えるとでも水野は思ってるのか?


 そんな考えが浮かび、もの凄い勢いでイラッときた。



「で、角野と付き合ってるかどうかが、水野さんに何か関係あります? ―――無いですよね。だから、俺の大好きな角野にこれからは優しくしてくださいね」


 唐突だったがとてもいい営業笑顔で淡々と言い捨て、水野をその場に置いたまま俺の角野の所へとサッサと歩いて行った。






   *********************





 あれから駅前で他の人たちと別れたあと角野と喫茶店に入ってコーヒーとカフェオレを頼み、しばらく黙ってまったりくつろいでいると、少し放心状態で窓の外を見ていた角野が感服した様子でボソボソ喋りだす。


「ある意味、水野ってスゴイーって思いました」


(あぁ、あいつは本当にスゴイよな……)


 椅子の背にもたれながら、角野の発言に「そうだな」と大きくうなずいて同意したあとずっと気になっていたことを尋ねた。


「で、一体なにがあったんだ?」




 ・

 ・

 ・


 トイレに入りそして出てみたら、待機していた様子の水野にかなりケンカ腰で急に詰め寄られたらしい。


「角野さんってー、小宮さんの彼女みたいですねー」

「はい?」


 驚きつつもとりあえずは手を洗いハンカチで拭いていると、洗面所の前で苛立ったように肩を何度か小突かれたそうな。


「小宮さんが、俺の角野とか呼んでるんですけどー」

「………」


 なに言ってんだコイツ? と再び驚いていたら、


「あんたみたいな、地味でブスで30前のババアに小宮さんはふさわしくない! 調子こくなよ角野」


 という意味の分かりやすい嫌味をチクチクと言いだし、ムッとした角野がその延々と続きそうな嫌味を止めようと


「彼氏ではありません」


そう否定しようと口を開けると、それを手で遮った水野が顔全体で満足げな表情になりこう言ったんだと。


「私の方がー小宮さんのことを愛してるのー。それにどうせ、すぐ飽きて捨てられますってー」


 とにかく意味不明だが、ムカつきつつもそんな水野が面白くなってきた角野はちょっと笑ってしまい、その勢いで反論したらしい。


「いえ捨てられるのはきっと、小宮の方ですが」


 すると水野は挑戦的な顔になって、こう返してきたそうな。


「そんなに愛されてるわけ、ないじゃないですかぁ」


 はい愛されてません、そう思ったらまた面白くなってきたが、相手するのが面倒になった角野はそこで逃げた。


「そうかもですね。ただそこらへんは小宮に聞いてください」


 そしてトイレを出たそうだが、ただ歩いている内に、


 確かに美人だし小宮さんのことが好きだからこその言動だとはいえ、なんであんな勘違い女に私は「ババアだブスだ」とか言われてるんだ……と、物凄く腹が立ってきていたら俺に呼ばれ。


 そしたらそこで再び水野が、ケンカ売る気満々で嫌味を言いだしたので


 もう、こうなったらな水野。

 あんたとトコトン小宮を奪い合ってやろうじゃないか。


 あの時、そう決心した―――ということだ。


 ・

 ・

 ・




(水野のあの不服顔の原因はこれか……。というか俺はすでに、角野に捨てられ決定なのかよ……)


 なんかもう思わず苦笑いをしてしまったが、

 たかだか「俺の角野」発言だけで、ここまでな展開が起きるか普通?


 それに水野もトイレなんぞで「小宮さんを愛してるのー」とか宣言するなよ。

 あーまさか角野が言ってたあの「凄く格好よくて素敵で優しくて」は俺のことか。

 しかしなんで水野はあんな自信満々に「勝手に来ちゃいます」とか言えるんだ。



 飲み会で起きたことを次々と思い出していたら、急に全てが面白くなり


『てか俺、モテモテだな』


 そんな言葉が頭に浮かんだ瞬間、笑いが込み上げてきて、そこからひたすらジタバタともだえながら爆笑してしまう。


 角野はそんな俺の爆笑を呆れた表情でしばらく眺めたあと、カフェオレのカップを両手で持ちおかしそうに軽く笑った。


「でもまぁ、一体どこの愛の劇場だよって感じですよね」


 そして、まだまだ笑いが残っている俺を面白そうに眺めながら大きくため息をつく。


「ただ小宮さんと働き始めてから、女性の攻撃をかわす能力が格段に上がった気が―――」


 かなりの諦め口調で言った角野を見てすぐに笑うのを止め、真面目に謝った。


「あーうん。申し訳ない、ごめんな」


 それからコーヒーを手に取り飲もうとしたが、そこでまたふとした笑いがジワジワ込み上げてきた。


「でも水野も大人しそうな角野に、まさか反撃されるとは思ってなかっただろうな」

「まーさすがにあれは、ムカつきましたからね……」




 このあとも水野のことを話題にしながらの会話をしばらくしていたが「そういえば」と、角野が不思議そうに尋ねてきた。


「なんで ”俺の角野” てことに、なってるんですか?」



 何となく角野と目が合い少し沈黙したあとテーブルに両腕を乗せ「俺には、それを言った記憶が全くないんだけど」そんな前置きをしてから軽く笑い、冗談めかして答える。


「なんかあのメンテナンス会社ではな、角野は俺のものとして認識されてるぞ」



 それを聞いた角野は、急に興味なさげな表情になり窓の外を眺めはじめ


「ふーん。どうせ水野が広めたんでしょうね」


 つまらなさそうにつぶやいた、と思ったら楽し気に俺の方をブンッと振り返り、突然元気よく喋り出す。


「そうそう、さっき追いついてきた水野にまた捕まったんですが。『小宮さんに、あんなに好かれてるなんてズルイ』-――とか言われたんですよー」


 その時の事を思いだしたのか「ズルイって」と角野は爆笑しはじめ、そして俺も同じく「ズルイ」の原因となったであろう、自分が水野に冷たく言い放ったあのセリフを思いだしていた。


「そうか面白いなー水野って、あははー」




 ―――いや、角野さ。


「小宮さんにあんなに好かれてるなんて」


 ってのにウケて、爆笑するんじゃなくてな

「俺の角野」と同じく、なぜ? と少しは疑問に思えよ……



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