見せかけの奪い合い



 しばらく続いたコイケ騒動も収まりがつき、落ち着きを取り戻した5月中旬。

 お出かけしていたウチの社長が、帰ってくるなりいきなり尋ねた。


「小宮さんと角野さん、今週の金曜日の仕事終わりって空いてるかしら?」



 いつも通りではあるが理由を言わずに聞いてくるので、ナゼなのかが不明で―――


(これ、面倒くさいことじゃ無ければいいけどな)



「はい、いまのところ空いてます」

「いえ、用事が入っています」


 ほぼ同時に社長が立っているドア前を振り返った俺ら二人がほぼ同時に返事をすると、社長が怪訝な表情で視線をピタっと角野に合わせた。


「断れる、用事かしら?」


 じんわりとした圧力を掛けてくる社長の目力と闘っていた角野だったが、ふと目をそらし数秒だけ悩んだあと答える。


「大丈夫、かと思いますが」



 どうやら負けてしまったらしい。



「そっ。じゃ、それ断って。その日メンテナンス会社の人たちと飲み会するから」


 勝ち誇ったようにオホホと笑い自分の席へと元気に歩いていく、

 そんな社長の後ろ姿を見ながら角野が小声でつぶやく。


「うわ。断れないって言えばよかった」


 飲み会なら断ったのに…と落ち込んでいるその様子に少し笑ってしまったが、どうせなら角野と一緒に行ける方が俺は嬉しかったので


「そうか。でも今更だ、諦めろ」


 社長に気づかれないよう低めの位置から手を伸ばし、角野の二の腕をトンと叩いた。




 それから、どんな飲み会なのかと社長から聞きだすと

 向こうの社長と水野、そして担当の引田を含む何人かが来る予定らしい。


 メンテナンスと聞いた瞬間から水野が頭に浮かんでいたであろう角野は、やっぱりか…と顔を両手で覆う。


「水野……。私、その日はできるだけヤツから離れた席に座るようにしますから」

「あーじゃあ、俺もそうしようかなー」


 気持ちは分かると肩をポンポンと叩き同意すると、角野は、はい? と顔を上げて俺を見たあと、何を言ってるお前は…という感じで首を悲し気に振った。


「それ、絶対に無理」



 ―――まぁ、確かにな。







 そして残念なことに何事も起らないまま、平和にきっちりと飲み会当日の金曜になり、メンテナンス会社の方々と合流してからお店へと向かい座敷席に入った。


(角野、見事に水野と席が離れたようで)


 座敷に座りながら、当然俺とも離れた席に座った角野を少し保護者的なほっこりとした気分で眺めていると、隣に座った水野がスッと俺の視線を追ったのが分かった。


 俺の視線を追いその先にあるものが何なのかを知った水野は、キュッと眉をひそめたあと目を細め角野をジッと凝視しはじめる。


(こらこら水野、角野をにらむんじゃない。あとな、そのガラの悪い目つき、俺に見られてるぞ……)




 それからしばらく経ち、お酒や食事が運ばれ飲み会が始まったんだが


 いつものごとく水野がガッチリと捕まえる感じで話し掛けてきて、そしてそんな水野に遠慮して他の人たちがあまり話し掛けてこない、という状況になっている。



 その状態が三十分ほど続いたあたりで、このままずっと付きっきりで相手をするのか、そう思うともの凄く面倒な気分になってきた。


 かなり適当な返事を水野に返しつつ、頼むから誰か俺に話し掛けてきてくれ……と、会話の合間に引田や角野を横目でチラチラしていたら、ふとあの去年の忘年会のことを思い出し


(あの時あの席に行かなければ、ずっと気が付かないままだったんだろうか?)


 そんなことを考えはじめ、少し前の出来事が凄く昔に思えて懐かしい気持ちになったあと、しかしいつ頃から角野の事を好きだったんだ? などとも考えてだしてしまい


 そして知らぬ間に、しばらく水野を放置してしまったらしい。



 いや放置、と言っても

 ちょっとボーとして話を聞いてなかっただけ、なんだけどな。



 スーツのすそを引っ張られた事で我に返り水野を見ると、裾をキュッと指先で握りながら「もうっ」てな感じの拗ねた表情をしている。


(あざとい……)


 自分の容姿に自信ありげなアピールの仕方にイライラっときたが、とりあえずは


「何?」


 ゆるめの営業笑顔で返すと、水野も同じく笑顔になりグイッと体を近づけてきた。


「そういえば小宮さんって前に聞いた時も彼女いなかったですけど、まだいないんですか?」


「あーはい。まだいないですよ。なかなか上手くいかなくて」


 すると水野はコクッと首をかしげてニコッと笑い、自分を指さす。


「じゃー私、なんてどうですか?」

「………」



 ―――待て。これは初めてのパターンだ。どうしたんだ水野。


 いつもなら、


「こういうのって、意外に運命の人が近くにいたりしますよねー」

「えーそうなんですか? 実は、私も彼氏いないんですよー」


 とかいう遠回しなアピールで、私はどうですか? と匂わすだけで直接的には言ってきたことは無いだろ。しかしこの場で「いえ結構です」と、はっきりとは断れない。


 こういう時は―――



「はは、おっさんに同情してくれてありがとう」


 こう言ってごまかしておこう。無難だ。



「いえ本気ですよー。小宮さんがよければ彼女になりたいですー」


 ……どうしようか、珍しく水野は更にかぶせてきた。

 これは、軽口にみせておいての本気モードか?


 しかしやはり「いえ結構です」とは、この場では言えない。

 そうだ、言外に ”水野じゃないんだ”と含ませてみるか。



「はは、そう言ってくれる人が、他にもいればいいんだけど」


 お、黙った……。含ませた意味を理解してくれたようだ。





 飲み会も一時間ちょいほど過ぎたころ角野が席を立ったのが見え、少し経ってから水野も席を立った。


 続けて起こった出来事を特に気に留めてはいなかったんだが、なにげに引田の方へと視線を向けると歩いていく水野の背中を不安そうに眺めている。


(……ん?)


 この引田の不安げな視線から察するところによると、まさかのまさか。

 角野の後を水野が追ったということなのだろうか。


(いま俺が考え付いたことは正解なのか? 間違っているのか?)


 いや、例え大正解で角野のピンチだとしても、二人の行き先であろう女子トイレに俺が乗り込むわけには……。



 心配になりブツブツと考え込んでいると、角野が戻ってきたのが見えた。

 おぉ良かった……そう安心したのもつかの間


(―――おいおい。なぜそんな怒った顔をしてるんだ)


 やっぱり水野と何かがあったんだろうかとまた心配になってきたので、こちらに歩いてくる角野に向かって大きく手招きをする。


「おーい、角野」


 手招きに気が付いた角野はちょっとだけ迷った様子を見せたが、素直に俺のそばへと近寄ってくると隣にストンと座った。


「なんですか?」


(おっと。呼んだはいいが、何をどう聞けばいいのか)


 眉をよせて角野を見つめ、どう尋ねようかと思案していると今度は水野がとても満足気な顔をして戻って来るのが見えた。


 だが俺の隣に角野がいるのに気づくと、水野は不愉快そうにシュッと目を細め、戦闘体制に入ったかのような物騒な雰囲気を体全体から醸し出す。


 俺の隣に座っていた角野も、背後から襲ってくる不穏な気配に気が付いたのかパッと振り返り、水野のその険悪な表情を見たとたん体全体にグッと力を入れた。


「………」



 なんだこれは。何なんだ。

 一体なぜここで、女の闘いが始まろうとしているのか。


 というか、どうしたんだ角野。

 確かにお前は、周りが思っているよりは気が強い。


 でもお前は水野とは違い、できるだけケンカを避けるタイプのはずだろ……



 自分が角野をこの席へと呼び寄せた事で起っているであろう、今の事態を見て


(どうする、どうしよう、どうしたらいい……)


 一人オロオロ大慌てしている俺の気持ちを尻目に、水野は微笑みを浮かべながら席に座り、それから角野にニッコリ笑いかけた。


「角野さんはさっきと席、違うんじゃないですか?」

「角野さんはー、ほら、社長の隣が好きなんですよねー」


 立て続けに「元の席へ戻れ」と嫌味を含んだセリフを言い出した水野に向かって、怒り顔の角野が軽くふっと笑った瞬間、ピリピリとした緊迫感がその場に漂う。


(やばい―――)



「水野さんは、小宮さんの隣がほんと好きですね」

「やだ。好きっていうか、いつも気づけば近くにいるんですよー」


「なるほど、でも実は私も小宮さんの隣が定位置なんです」

「あはっ、ただの同僚、がそこまで断言すると小宮さんが引きますよー」

「ある意味、私と小宮さんは仲良し、なので平気ですよ」

「えーある意味なら、私も小宮さんと仲良しかもー」



 ここで二人は同時に薄笑いを浮かべ、静かに微笑み合う。


 張り詰めた緊張感が漂うしばしの沈黙のあと、水野が見下したようなフンッてな冷たい笑いをしその沈黙を破った。



「……ちなみに、角野さんには彼氏っているんですかぁー?」

「あ、いますよ。ちなみに、ですけどその彼は凄く格好よくて、素敵で、優しくて」


「その素敵な彼氏って、私の知ってる人だったりとかしますー?」

「……知ってたらどうします?」

「えーそれなりに、考えさせてもらいますぅ」

「考えて、どうにかなるもんならいいですけど」


「プッ、そういうのはー、頭でなく心の問題なんですよー」

「心があれば、ですけどね。まーどっちにしても譲る気、サラサラないんで」

「あはっ。譲る気なくても、勝手に来ちゃいます、きっと」


「ふっ。水野さん、お顔は、お綺麗、ですもんね」

「やだー。お顔は、お綺麗、なんかじゃ全然ないですよー」




 ―――怖い。


 二人とも笑顔で穏やかに喋ってはいるが、相当、怖い。


 ただなぜかこの言い合いには、やけに「小宮」が頻発しており

 しかも二人は「けん制」し合ってる感じで……



 いやっ。どう考えても「俺」を奪い合っているように聞こえるんだが。

 絶対に気のせい、ではない。


 てか水野はともかくとして、なんで角野がそんなことになっているんだ。



 また、引田と事務員が驚いた顔で角野を見ている。


 そりゃ、あの外見と普段の態度からはこの感じ想像できないよなー。

 キレたとき限定だし。


 おっと、水野が俺の顔を見てるぞ。

 まさかだが「味方してください」の合図とかか?


 それは、無理だ。



 動揺しているせいなのか、そんなとりとめのない事を考えながら隣に座っている角野の方へと体全体を向け、それから怒っていても迫力が薄い童顔をしばらく眺めていた。


(角野は大人しそうだから舐められやすいんだよなー。だけどまさか、水野のケンカをガッツリ買うとは――)


 ただ見たとこ、女性二人の言い合いがどうやら終わったようなので、


「角野」


 笑顔で呼び肩に手をトンと乗せると、角野は俺を見て少しだけ固まったあとテーブルに手をつき勢いよく立ち上がる。そして立ち上がっている途中で、


「水野さんって変ですよ」


 小声で言い放つと、何事も無かったかのような顔をして元の席へと素早く戻って行った。


 水野は元の席へと戻って行く角野をしばらく眺め、それから気持ちを切り替えたかのようにクルッと体をこちらへと向けて再び笑顔で話しかけてくる。


 そのあとは、何事もなく穏やかーな時間が流れ、飲み会は21時30分頃に終了した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る