第7話 新しい一歩のための代償
菖蒲と菫の誕生日から十日後。菫を失ってしばらく休んでいた菖蒲だったが、今日からは高校に復帰する。
「――結局立ち直ったんだな」
ここは菖蒲の住むアパートの様子が窺えるマンションの一室。真新しい制服を着込みアパートを出てきた菖蒲の姿を双眼鏡で見ていた朔夜は、隣で同じように眺めていた聖人に声を掛けた。
「てっきりオレは、恨み言を言われるんだとばかり思って覚悟していたんだけどね。どうにかならないのか、とか、蘇らせてくれ、とかさ。神を呪うとまで宣言した女なんだろ? 心の底から本気で、さ。ちょっと期待ハズレ」
不思議そうに言う朔夜に、聖人は返す。
「彼女は菫ちゃんの笑顔を守りたかっただけですからね。内面的な喜びも、その表面に出る喜びも、そのすべてを愛し、守りたいと願った。ですから、真相を知って生きることを選んだのだと思いますよ」
菖蒲がきちんと学校に向けて歩き出したのを見て、聖人はほっと息をついた。
「――で、どうするんだ?」
「どうするって、何をです?」
望遠鏡から目を離し、隣で窓に背を預けていた朔夜に問う。
「大抵の人間なら心が折れてしまうような状況を乗り切った女だ。あれだけの強い感情を生み出すことができる精気を持った彼女なら、さぞかし立派な子孫を残せるだろうな」
さらりと言われて、聖人は眉間にしわを寄せた。
「そういう品のない話はしてほしくありませんね」
「ってか、オレらはそのための存在だろ? 女を孕ませて繁殖するわけで、それは人間の男と同じ。この奇跡を使う能力だって、そもそも女に夢を見せて惹き付けるための道具じゃん。聖人っつー名前のとおりに綺麗ぶるなよ」
はぁやれやれと肩をすくめ、呆れ口調で告げる。
「正攻法の何がいけないんですか? ちゃんと惚れさせて、それからですよ」
「めんどうくせーな。ちゃっちゃと済ませること済ませりゃ良いのに」
「じゃあ、逆にお聞きしますけど、そっちは何の用でここに残っているんです? 君の用事は済んだでしょう? 菖蒲を菫ちゃんのいる場所に連れて行き、その最期を見届けること――確か彼女の願いはそれでしたよね?」
面白くなさげに言うと、朔夜は口の端をきゅっと上げた。
「いーや。願いはそれだけじゃないぜ?」
想定外の台詞に、聖人は不思議そうに首をかしげた。
「おや? 依頼人もいなくなったというのに、意外と君は律儀なタイプだったんですね」
「一言多いな」
煽るように言う聖人に、あからさまに嫌そうな顔をする朔夜。ぎすぎすした空気が一瞬流れる。沈黙を先に破ったのは聖人だった。
「で、何を菫ちゃんは願ったんです?」
「菖蒲の笑顔を守ってくれってさ」
「……ほう」
聖人は顔を引きつらせた。ライバルになるとは思っていない聖人だったが、同業者がそばにいるのはやりづらい。
「ま、そういうことだから、菖蒲のそばには当分いるぜ。菖蒲が笑顔を保ったままでいられるようにオレは努力しなくちゃいけないからな。そうするのに充分な精気は菫からもらっている」
そしてにやりと笑んで、獰猛な獣のような目で聖人を見つめる。
「菖蒲を落とすのを諦めて引き下がるなら今だぞ? オレが彼女を落として笑顔を守る。ついでに子どもも生んでもらう。どうせその様子じゃ、彼女の心を奪うまでには至れてないんだろ?」
直球で敵対心露わに挑発してくる朔夜を、聖人はふんっと軽く鼻で笑った。
「彼女がすぐになびくとは思えませんがね。菖蒲の理想とする男性像は、あくまでも僕なんですから」
「見た目と中身は別だろ? いいように使われて、一族の恥だと思わないのか?」
「彼女は一筋縄ではいきませんよ。ましてや傷心の今を狙い、甘い言葉で優しく癒すことができたとしてもね。そもそも、彼女は君みたいなやつには絶対に惚れませんよ。断言できます」
「ふっ。言ったな。あんたの端正な顔があとで吠え面をかくことになるのが楽しみだ」
言って、朔夜は姿を消す。早速菖蒲を口説きに行ったのだろう。
「無理無理。君はすぐに嫌気が差しますよ」
ふぅっと小さくため息をついて、聖人は部屋を見回す。
一人だけになった殺風景なワンルームの一室。ここを拠点に当分の間は活動することになるのだろう。菖蒲に何かがあればすぐに駆けつけることのできる絶妙な距離だ。
聖人は朔夜を追うような事はせず、双眼鏡を再び構えて菖蒲の姿を探した。彼女の後姿はすぐに見つかる。ついでに朔夜の姿も映って、思わず顔をしかめた。
「――ま、僕は僕の方法でゆっくりやりますよ。菖蒲自身がそれを願っているんですから」
聖人はそっと唇を舐め、ほくそ笑むのだった。
醒めない夢に悪魔の口づけを 一花カナウ・ただふみ @tadafumi
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