第8話 ブラボー、仁王立ち


 モンスターは恐ろしい。

 だから街の外へは極力出てはならない。

 また、地下に通ずる洞穴には近付いてもいけない。

 そこは彼らの領域。誤って入ってしまっては二度と出られない、闇の世界――


 と、世界中の人々は子供の頃からそう教わって育つものである。

 少々複雑な家庭で生まれ育ったアンジーだってそうだった。

 子供の頃は親に言い聞かされるモンスターたちの話に怯えたものだ。

 ただ歳を重ねて世間を知り、とりわけ酒場で働き出して日常的に冒険者たちからモンスター退治の自慢話を聞かされるようになってからは、あまり怖くはなくなった。

 むしろいつか自分もそんな旅をしてみたいと思ったものである。

 だからイミアから地下大迷宮の話が出てきた時にはワクワクした。


 でも今、アンジーは少し後悔している。

 世の中には知らなくてもよかったことがあったんじゃないか、と。

 具体的に言えば、世間的に恐ろしいとされているモンスターをまるで子供がおもちゃを壊すかのように、次々とぶち倒していく連中がいることを。


(モンスターたちよりこの人たちの方がよっぽど恐ろしいよっ!)


 通路でモンスターを見かけたら我先にと駆け出し、モンスターがうじゃうじゃ犇くところに嬉々として飛び込んでいくブラボーとエイメンを見て、アンジーは心底そう思った。




「うーむ、オレ様とした事が情けない」


 地下大迷宮に入って三日目のことである。

 焚き火を囲んでの食事中、オルノアとアンジーから聞かされたスコアにブラボーは顰め面で呟いた。


「このオレ様がこんなヤツとここまで引き分けているとは」


「ふん、それはこっちのセリフだ、このバカ野郎」


 ブラボーにこんなヤツ呼ばわりされたエイメンもまた渋い顔をしている。


「ブラボー様は乱戦に強く、エイメンさんは初手に優れておられます。倒した数が全く同数なのは意外でしたが、決してありえぬ話ではないでしょう」


 そんなふたりにオルノアは平然と答える。


「おい、アンジー。お前、エイメンの倒したモンスターの数をテキトーに言ってるんじゃねぇか?」


「失礼なこと言わないでよっ。ちゃんと必死になって数えてたってば!」


 ブラボーとエイメンが倒したモンスターの数で競争することを受けて、オルノアがブラボーを、アンジーがエイメンを見る事になった。

 冒険者であるオルノアはともかく、酒場のウェイトレスに過ぎないアンジーにはエイメンの動きが早すぎてカウントするのも大変だった。

 それでも出来る限り正確な数をここまで数えたつもりだ。

 オルノアがブラボーの倒した数を告げると、全く同じでびっくりしたが。


「とにかくレイパーの街に通じる出口はすぐそこです。ここでおふたりは決着をつけたらよろしいかと。なにせここには」


 オルノアがちらりとイミアを見る。

 休憩中ということもあって、しっかりとローブを羽織っているイミアは深く頷いて


「ええ。この先にはエマーソンの傭兵たちでも敵わなかった強敵、マンティコアが待ち構えていますから」


 と、しかし、にこやかな笑顔は崩さずに言った。



                ★★★



 イミアが自らの身体に隠された秘密を明かし、大迷宮を使ってレイパーの人々を脱出させるつもりだと語った時、当然ある疑問が皆の中に生まれた。

 ならばどうして最初からそうしなかったのだろう、と。


「そうしたかったのは山々なのですが、レイパーの町から迷宮に入ってすぐのところに強敵が待ち構えていたのです。しかも二匹も!」


 イミアはモンスターの大軍との戦いに敗れたものの、逃げ帰った傭兵の中から屈強な数名を選び、今度は大迷宮からの脱出ルートの確保に努めようとした。

 が、その強敵にあえなく撃退されたと言う。


「なんか尻尾が毒針になっている猛獣でしたよ?」


「マンティコア、だな。おそらくは」


 モンスターの特徴を告げられて、エイメンがその名を口にする。


「昔から大迷宮の要所を守っていると言われているゲートモンスターの一種だ。俺も戦ったことはない」


 そう言って不敵に笑う。未体験の敵を前にして不安よりも楽しみが圧倒的に勝るタイプだ。


「マンティコアが二匹……つがい、でしょうね」


「モンスターの夫婦って、そんなのあるんですかっ!?」


 オルノアの言葉にアンジーが驚きの声を挙げる。


「知性が発生したモンスターに見られる現象ですね。マンティコアは魔法も使うと聞きますし、まず間違いないでしょう」


「ほう、よく知っているな」


「これでも冒険者ですから」


 オルノアは当然とばかりに言い切った。

 ちなみにオルノアと共に旅をするブラボーは当然の如くそんなことちっとも知らなかったものの、場の雰囲気を読んで「常識だ」とばかりに頷く。

 エイメンとアンジーはちょっとイラっとした。



               ★★★



 休憩が終わり、再び迷宮を進んでしばらく。

 イミアの言う通り、大きく開けた場所に二匹のマンティコアがいた。

 縦、横ともに牛ニ頭分ほどの大きさを誇る巨体にはみっしりと毛が生えており、顔は獰猛な獣そのもの。巨体の移動を可能にする四本の足はどれも木の幹のように太く、鋭い爪が遠くからでも分かった。

 そんなマンティコアが、眠っていてくれていたら助かったのに、あいにくと元気にフロアを徘徊中である。歩く度に長く、強靭そうな尻尾がリズミカルに揺れている。


「いいか、俺が右。お前が左だ」


 物陰から様子を観察していたエイメンが指示を出した。

 ブラボーは黙って頷いた。

 いつもなら何かにつけて反抗するブラボーである。珍しい反応だ。

 エイメンも違和感を覚えたが、気にしないことにした。

 きっと今まで戦ったことのない強敵に緊張しているのだろう。

 それにさっきも


「あー、おい、エイメンよ。マンティコア討伐なんだが、どっちがいかに上手く倒したかをイミアさんに審査してもらうってのはどうだ?」


 なんて提案をしてきた。

 モンスター討伐を競い合う場合、数か、あるいはスピードが普通である。

 戦術や技量勝負なんて聞いたことがない。

 ましてや素人のイミアに判断なんて出来るはずがなかろう。


 が、これもブラボーの不安が故かと思い、エイメンは快諾した。

 恐怖に打ち震える体を、何か別の感情を上回せることで克服するのは、戦いの中ではよくあることだ。

 イミアに格好いいところを見せるんだ。

 そう言い聞かせて自分自身を奮い立たせるつもりなのだろう。

 案外可愛いところがある。

 まぁそれはともかく自分の足さえ引っ張らなければどうでもいいとエイメンは思った。


「よし、じゃあ行くぞ!」


 本来なら寝込むのを待ってから襲うのが定石だが、未知の相手との戦闘にエイメンのテンションはもう止まらない。

 先ほどからオルノアになにやら耳打ちされて渋い顔をしているブラボーをよそに、ひとり戦いの場へと踊り出した。


「おい、待ちやがれ! ええい、くそ。仕方ない、オレも行ってくるぞ」


「ブラボー様、くれぐれも私の言ったこと、守ってくださいよ」


「分かってるよ!」


 遅れてブラボーも後に続いた。




 がるるるるるるるっ!


 突如現れた人間ふたりに、しかし、マンティコアたちは別段驚いた様子もなく、ただ威嚇するように低く唸り声を上げて臨戦態勢を取る。


 しゃあああああ!


 と、いきなり一匹が尻尾を振り上げると、その先端から何か鋭いものをエイメン向かって放出した。


「おっと! こいつ、毒針を撃ってきやがるのか」


 エイメンは華麗なステップで躱すと、すかさず前方の敵めがけて一気に間合いを詰めると、剣を一閃。


 ガシッ!


 大迷宮に棲む多くのモンスターたちを一撃のもとに屠ってきたエイメンの攻撃を、マンティコアはあっさり前足の爪で受け止めた。


 うがあああああああ!


 そして咆哮と共に、もう一本の前足の爪を伸ばしてエイメンに襲い掛かってくる。


 さっそく鮮血が戦場に飛び散った。



「ふん、所詮はこの程度か」


 エイメンが切っ先についたマンティコアの血を振り払った。

 一の太刀は受け止められた。が、それは相手の隙を生み出す為のフェイント。敵が反撃に出て来たところを、すかさず本命の二の太刀を浴びせたのだ。

 まんまとエイメンの戦略に引っかかったマンティコアは、前足の一本に深い傷を負った。

 

 うおおおおおおおおんんんんん!


 先ほどとは比べ物にならないマンティコアの咆哮が迷宮を奮わせた。




 マンティコアにとって、餌が襲い掛かってくるのは日常茶飯事だ。尻尾の毒針で迎撃し、仮にそれが避けられて近づいてきても強靭な爪でひと撫でしてやれば、餌は大人しくなる。

 が、その餌が大人しくなるほどころか、傷をつけてきた!

 マンティコアの体内に不思議な力が溢れてくる。

 毛が逆立ち、足が、爪が、尻尾が、体が、目の前の餌に喰らいつけと叫ぶ。


 ぐらあああああああああああ!


 マンティコアの猛反撃が始まった。

 受けた傷をもろともせず、前足の二本を力任せにエイメンへ振るう。

 躱され、逆に反撃を受けようが関係ない。怒りに身を任せ、暴力を振るい続ける。

 爪を伸ばし、尻尾から毒針を放ち続け、噛みつき、体当たりと、どれかひとつでも当たれば目の前の餌は大人しくなるのは分かっている。

 だが、当たらない。

 当たらないどころか、攻撃を繰り出すたびに血に染まるのはむしろ自分の方だった。

 腹立たしい。

 腹立たしい!

 腹立たしいいいいいっっっ!!

 お前は餌だ。私の餌なんだ。餌ならば餌らしく、大人しく私に喰われてしまえ!

 マンティコアは我を忘れて、ただひたすら目の前の獲物に襲い掛かった。




(畜生とは憐れなものだな)


 一方、そんなマンティコアの猛攻に晒されながらも、エイメンは冷めた面持ちで的確に対処していた。

 力は人間とは比べ物にならない。

 しかし、その力を有効に使う知能をモンスターたちは持っていない。

 ひとことで言えば、バカだ。

 バカは所詮バカで、どれだけ力があろうとも自分の相手ではない……。


 とひとしきり落胆したところで、そう言えばもうひとりのバカはどうしただろうかと気になった。

 言うまでもなくブラボーのことである。

 戦闘が始まってこっち、ずっと目の前のマンティコアの咆哮しか聞こえてこない。

 かと言って、もしブラボーがすでにマンティコアを討ち取っているのなら、あのバカのことだ、もっと大騒ぎしているはず。


(もしやしたら今頃マンティコアの腹の中かもな……)


  宮廷の近衛兵を一瞬で沈黙させ、大迷宮のモンスターたちももろともしない、なかなか面白いヤツだった。

 が、いかんせんこいつもバカだ。

 人間離れしている馬鹿力を持っているとは言え、さすがにマンティコア相手には分が悪いだろう。

 その唯一の力が通用しないとなると、結果はおのずと見えてくる……。


(さすがの俺もマンティコアニ匹同時は少々骨が折れる。どれ、まずは目の前のこいつをそろそろ片付けるとしよう)


 エイメンは一度剣を鞘へとしまい、居合いのような構えで必殺の一撃を放つ為の力を貯め始める。


 その時だった。


「なっ!?」


 エイメンは視界に入った光景に一瞬呆気に取られた。


 対峙しているマンティコアから離れたところに、もう一匹の姿を捉えた。

 ぐるぐると、ブラボーを中心に移動している。

 どうやらブラボーはまだ生きているらしいが、それが驚きの原因ではない。


 驚いたのは、ブラボーがマンティコアと対峙しながらも構えを取らず、ただ両手を組んで仁王立ちしていたことである。


(な、なにをやってるんだ、あいつはっ!?)


 エイメンにはさっぱり分からない。

 しかもそのブラボーを前にして、マンティコアが攻撃を仕掛けないのも謎だった。

 一体あっちでは何が起きて……


「しまったっ!?」


 気が付いた時には遅かった。

 ブラボーたちの姿に気を取られて、目の前のマンティコアの動きへの注意がかすかに散漫になっていた。

 ただ闇雲に暴力を振るい続けるだけのマンティコア。だが、事前に聞いていたはずだ。

 

 こいつは魔法を使う、と。


「ぐうっ!」


 突如頭上から降り注ぐ雷に一瞬エイメンの反応が遅れた。

 

 この世界、魔法を使うモンスターは少なからずいる。

 ただし、研鑽を積んで威力を上げ、攻撃の主力として魔法を使えるよう励んできた人間たちと違い、モンスターたちが使う魔法はあくまで補助的なものだ。

 例えば宙を舞うハーピーなどは風系の魔法を使うが、これはダメージを与えるというよりも、相手を自分の得意とする空中へ巻き上げるという意味合いが強い。地上から弓を撃って来る人間も、空中へと放り出されては何も出来ないからだ。


 そしてマンティコアが放った雷撃の目的はただひとつ。

 それは相手を感電させ、動きを止めること。

 これまでさんざん虚仮にしてくれたエサを、魔法なんて間接的な攻撃で仕留めては怒りが収まらない。

 雷の直撃を受けて動きが止まった相手を、まずはこの一撃で頭を吹き飛ばす。

 次いで牙で腹を抉り、腸を食い散らかしてやろう。


 ぐらががががががががががががが!


 笑い声のような咆哮をあげて、マンティコアが必殺の爪撃をエイメンに振るう。

 その執念がまさに今、実ろうとしていた。





 ☆次回予告☆


 いえーい、俺様チャン天下無敵のマンティコア。

 雷の直撃で動きを止めた今、俺様の一撃でエイメンなんてイチコロだぜ。

 でもここでエイメンが死ぬのは物語的にマズいんじゃねーの?

 てことで、いっちょお約束のアレ、やっとくか。


 お願い、死なないでエイメン。あんたが今ここで倒れたら、レイパーの街はどうなってしまうの? 


 次回『ブラボー! オー、ブラボー!』第九話「ブラボー、気合一発漢拳」

 

 え、『エイメン、死す』じゃねーのかよ!?

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