十 依頼

「……まあ、が現状どういう位置か私自体よくわかっていないので、こういう見方もできる」



 三人は不思議そうに顔を上げた。



はまだ、≪過去≫も≪幽世かくりよ≫もも消えていないわけだから」



 水色の彼女が扇を振ると、灰色の≪幽世かくりよ≫と、三本の時間軸、黒い球体が復活した。



「≪幽世かくりよ≫だけが崩壊する、という見方だ」



 水色の彼女が扇を横に少し振ると、黒い球体が少し右に移動して、≪激甚災害パラダイム・シフト≫後、灰色の≪幽世かくりよ≫が断絶したあとをうめるような、黒い壁に変化した。



「……ただ単に『信仰されない』という状態ならば、過去の信仰を糧に存在することが可能である様子だったのだが……≪激甚災害パラダイム・シフト≫後の『ヒト』はカミガミの存在どころか≪過去≫すら否定しているため、糧となる信仰も届きようがない。……本来『不在の証明』というのは、無限のように≪現世うつしよ≫が存在するため、かなり不可能に近いはずなのだが……」



 そして……離別の少年は思い至る。


 

 ──≪幽世かくりよ≫とは永久不変のもの。



 だと、すれば。



「……あちらの時間軸は一本の一直線であるし、可能にもなろう、な」



 そこで、灰色と黒の壁の向こうから聞こえる明瞭な声は、ためらうように少し間を置いた。



「そして、≪幽世かくりよ≫は永久不変のもの、なのだから……」



 というセリフとともに、≪幽世かくりよ≫はすべて黒くなった。



「「「……っ!」」」



 三人は息を呑む。



「……いや、灰色の方に塗り替えられるって可能性は……」


「……それなら初めから、に切り離したような文字化自体が起こっていないだろう、な」



 離別の少年のセリフに、水色の彼女は諦めたような声音でそう答えた。


 少し間をおいて彼女は続ける。



「私がを分離させたのが功を奏したのかは分からないが……現状まだ、カミガミが存在する≪幽世かくりよ≫を観測できるので、こうはなっていないのだろう……だが、もし、こうなると」



 水色の彼女はまた、少し間を置いた。




「……≪害なるモノ≫を抑えることができなくなる」




 少しの間、沈黙が続いた。



「……他国は、どうなっているのですか?」



 共存の少女がぽつりと聞いた。


 そこに救いがまだ残っているのではないかと、すがるように。



「……本来、こういった≪幽世かくりよ≫のようなモノは、国かもしくは民族などの単位で別ではある。だが別であるがゆえに、そうそう手を出してはいけない。ただし……この国の特性上、何らかの外的要因が積み重なってそれを基に≪激甚災害パラダイム・シフト≫へ入った可能性も考えられ、そのため他国も同じく危機に瀕している可能性すらある」



 共存の少女は眉間のしわを濃くして、目を閉じてうつむいた。他国に助けは、求められない。



「カミガミ以外に≪害なるモノ≫を抑えられるモノ、が現れる可能性もある。だが、それは可能性であって、確実では、ない。……だから、カミガミは消えてもいいのかを


「え……?」



 神代かみよの少女が驚愕した。


 彼女にとっては『カミガミ』というものは、それこそ永久不変に在るもので、その存在に揺るぎがないものというイメージなのだから、神が己の存在について迷うというのは、意外すぎた。



「……たまに、本当に滅して良かったのだろうかと考えさせられるような≪害なるモノ≫がなかったとも言えないが、それでも、『ヒト』が住みよくあるためには、≪害なるモノ≫は不要のはずなのだ」



 そこで水色の彼女はため息をついた。



「だが、その≪害なるモノ≫に侵されること自体を『ヒト』が選んだのだと、そういう斜に構えたカミガミもいないではない。そういったカミガミも含めて、私たちがいる必要は特にないのではないかと、迷っているカミガミが多くある。≪害なるモノ≫に侵される状態こそが、もしかしたら本来あるべき姿なのではないかと」



 人が信じたことで現れ、人が存在を否定することで消えていく。


 ……なんて、やるせないんだ。



「もっと斜に構えたやつは、この黒い≪幽世かくりよ≫の向こうの『ヒト』からは見えなくなる位置に≪幽世かくりよ≫は存在し続けると言うものもいたが……果たしてそんな場所に過去の信仰は届くのだろうか、ね」


「……そういえば、あなたがた二柱おふたり以外のカミガミはでは、ああして文字になってしまったからもうどうしようもない、んですよね……? 二柱おふたりにまかせっきりとかそういうことではないのですよね……?」



 共存の少女が恐る恐るというように問う。もしそうだとしたらもう、この二柱を除く神々は皆、『ヒト』を見放したことになると思ったためだ。



「少し悲観させすぎているようだな、すまない。……ここにもはじめはみんないたのだよ。そしてなんとかしようと動いていた。けれど……ああなっていった」



 三人は押し黙った。



「……一柱一柱、徐々に徐々に、透明な文字と化したり、動きも話しもしないモノになってしまったり……カミガミの手によって形作られていた街も消えてしまって、は、とても寂しくなってしまった」



 彼女の声はほんとうに寂しそうで……。


 ……彼女の今までの話から推測するに、最後に≪真理≫が残っていたはずだが、それすらも文字化しているのなら……いよいよもって、の時間にあるのは、一体どんな世界だというのか……。


 それを考えて、彼は寒気を覚えた。



「まあ、だが、ではない≪幽世かくりよ≫では、みんなまだ生き生きとしているのが見得るよ。……ただし、私だけは、こちらをあちらから切り離したりなど色々とやった張本人であるためか、では座ったまま目を閉じてまったく動かないようだが、な」



 そう言って、水色の彼女は伏し目がちになってうつむく。


 少し間が空いた。


 ──そして。



「……私、みずいろ様にご協力したい」



 まず、共存の少女がぽつりと言った。



「わたしも、そう思います……」



 神代かみよの少女も続く。


 ……離別の少年はいまだ、迷っている。


 神々が『彼女』の死に無関係だったとしても……自然は好きになれそうにない。


 ……ただし、この国がなかったことになるのは、嫌だった。自分にも国に対する愛着なんてものがあったのかと、自身で意外には思っているようだが、そもそも彼が自ら望んで専門に学んでいるのは『自国の歴史』である。そういう人間の中で、『こんな国なくなって構わない』と思っている者は少数派だろう。


 そして水色の彼女の言では、この≪激甚災害パラダイム・シフト≫は、本来起こり得なかったことなのだ。ということは≪害なるモノ≫による異変である可能性が高く、≪対処≫して消滅させるべき≪害≫とみて間違いはないだろう。


 そうやって少しだけ思考を巡らせていたため、彼の発言は二人の少女よりさらに少し間が空いた後になった。



「……俺も、協力したいと思います」


「……そうか」



 水色の彼女の声音には、どこか安心したような色があった。



「……しかし、おそらくカミガミ全員でどうにかしようとして、どうにもならなかったこと、を、俺たちに助けてって仰ってるのですか……?」



 自分のモヤモヤを振り払うように、少年は問うた。



「……そうであるし、そうではない」



 水色の彼女のそんな返答に、三人は首を傾げた。



「……そう、ここに居たみんなもどうにかしようとしはした。カミガミがしようとしたのは、≪激甚災害パラダイム・シフト≫を≪害なるモノ≫と判断し、対処することだった。しかし……結局≪激甚災害パラダイム・シフト≫自体が≪何≫なのか、何によってなされたのかを探し回るだけで手いっぱいで、しかもあの時点では多くのカミガミが信仰を失っていたものだから……」



 結果が、この文字ばかりな世界。


 三人の表情が暗くなる。



「……さて、そろそろ図は仕舞おうか」



 三人の重たい雰囲気を払拭したかったのか、仕切り直すように水色の彼女が言うと、壁や線などがすべて消えた。



「結局休憩になっていないな」



 彼女が苦笑すると、皆そういえばと手元の菓子を見る。



「今度こそゆっくり休みながら聞いてくれ」



 彼女がそう言うので三人はジュースやお菓子に手を伸ばす。


 どうやら猫の少年はもう平らげているようだった。



「お前たちに協力してほしいことは……そんな風な、カミガミが成そうとした方向ではなく──」



 水色の彼女は、中空の文字たちを扇で指した。




「あれらを、カミガミに戻してほしい。お前たちが『ヒト』であるからこそ、カミガミを『再臨』させられるはずだと、睨んでいる」




 もちろん三人は、飲食どころではなくなった。



「い、いったいどうするっていうんですか……」



 離別の少年が顔をひきつらせながら聞くと。



「それは、ねこわらしが実演してくれるらしい」



 皆の視線が猫の少年に向いた。少年はにこにこしてそこに居る。


 ……ねこわらし、っていうんだ。



「まあ、それこそ、休憩のあと、だ。しばらくゆっくりしてくれ」



 そう言って、水色の彼女は再び苦く笑った。

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