六 現世

「もしかしたらそうではないことがあるのでしょうか?」



 そう聞いた神代かみよの少女は目をキラキラさせていた。少女にとってこの複雑な線は、はるか未来の技術なのだ。その感情は科学が発展した時代でのSFに対するワクワクに相当するだろう。そんな少女に笑顔を向けた水色の彼女は、次に他の二人の表情を見て面白そうにニヤっと笑う。


 神代かみよの少女が水色の彼女の視線を追うと、少年と少女が二人して自分と全然違って驚きの表情をしているのが目に入る。神代かみよの少女は少し小首をかしげた。



「あるのだよ。脱線してあげた方がよさそうだ」



 言いながら水色の彼女は、またしても何の原理か、扇で空中横方向に、淡く光るほんのり青みを帯びた線を引いた。


 それは真っ直ぐで右も左も終わりが見えない。



「これは時間軸と言ってこちらからこちらに進むものとする」



 つまり、少年少女たちにとっては左から右に進む、ということだ。


 どうやらこうして空中に図を作って説明していくつもりらしい。



「出で立ちから大雑把に色を抽出して、白を神代かみよの子とするとお前はここにいた」



 ほんの少しだけ青っぽいような色をした直線上の、少し左の方を水色の彼女が扇で示すと、そこに白い光がともる。


 確かに神代かみよの少女が着ているものは、白っぽい面積が一番広いものの、少女は十二単じゅうにひとえ程ではないにしろ何色か重ねていて、大雑把というのは言いえて妙だった。



「同じく赤を抽出して共存の子はここにいた」



 白から1m程右側に、赤い光がともる。


 直線が無限に続いていそうなところ、案外そう位置は遠くなかった。


 そして彼女にいたってはただ襟のリボンが赤いだけだった。他はほとんど紺色だ。



「同じく深緑を抽出して、離別の子はここにいた」



 それには三者とも驚いた。


 深緑は赤の5m程右にともった。そんなに離れていたんだ。


 そして彼の色にいたってはいったいどこにあるのか分からないほどだった。


 よく見ると、Tシャツの左胸のあたりに何か小さく深緑のラインが入っている。そして他はすべて紺色だ。


 二人の色が被ったために、『大雑把に』かつ選択肢皆無で選ぶしかなかったのだろう。



「そして三人は、同じ直線上にいたとは限らない」



 彼女が言いながら少し扇を下げるような仕草をすると、すっと直線が平行に二本増えた。


 三点の光がすべて違う直線上にあるようになる。



「さらに、時間軸は一直線だと限らない。しかし、進行方向に対して鈍角までしか曲がれない」



 扇の動きが少し波を描くと、時間軸は立体的にグネグネと縮れた。


 ただし、水色の彼女が言うように、進行方向に対して鈍角に曲がっているものはなく、逆行だけは起こらないようになっているようだ。



「もちろん、横軸の目盛は不動なので、時間軸によっては一定期間に起こる事象が増減する。ただし事象の密度は均一でない」



 この定義については見た目何も起こらなかった。



「ということは、私たち三人の≪距離≫はどれくらいなのかしら、と思っても、それには答えがなさそうですね」



 そう言った神代かみよの子は、この講義チックな何か自体を楽しんでいるように見えた。


 横軸の目盛は一直線で変わらないというのに、横に伸びる時間軸がグネグネしていれば、それぞれの時間軸でひと目盛分の長さがバラバラになる。


 それはそれぞれの時間軸で時間の流れるスピードが増減するということではなく、点から点まで移動するのにかかる工程が手際よく進むか進まないか、という言い方をすると、少しだけ分かり易いかもしれない。


 だから神代かみよの少女が言った≪距離≫は、時間ではなくて遷移の距離のことだった。



「誤差程度かもですけど、確かに」



 共存の少女もうきうきと聞いている。



(ということは、あの先にある妙な収束点が≪激甚災害パラダイム・シフト≫……なのか……?)



 離別の彼は何やらぐるぐると一人で考え込んでいた。


 収束点は彼の居た時代を示しているという深緑の光よりも、かなり右にある。



(ってことは、俺がいた時代まだカミサマは、居た)



 あれだけ信仰がなくなっていても、きっと。



「そして、時間軸は他にもある可能性が存在する」



 彼女がそう言って扇を振り上げると、時間軸が本当に周りにびっしりと出現した。



「「「えっ」」」



 女子二名が少し怯えた声を、男子一名が驚愕の声を上げる。



「どの時間軸も、『その時他のことが起こった可能性』を持ち、しかも他に何本までかという制限は存在しない」



 もはや表情なんてうかがえないが、きっと誇らしげな顔をして彼女は次の言葉を口にした。




「これが、≪現世うつしよ≫だ」




 女子二名はわー、なんて歓声を上げているのだが、男子一名は険悪な顔で考え込んでしまった。



(ここまでの規模のモノが収束したら一体どうなる……まずいのか、それとも、収束は限定されるのか)



 今の時点で見えるのは限定的収束。



「そして、この国の人々は、時代によって自らのある付近を『近現代』等と定義し、後世それが≪過去≫となった場合に≪過去≫を観測しながら時代名を付与していく」


「あ……てことは」


「私も『現代っ子』ですね」



 神代かみよの子は笑顔を見せた。初めて見る気がする。



「これでは見えづらいため、≪現世うつしよ≫の一部だけの表示に戻す」



 先ほどの三本だけに戻った。



「そして神代かみよの子にとっての『神代かみよ』とはこうだ」



 時間軸三本すべてがクリーム色のもやに包まれた。


 神代かみよの人々に、未来永劫ずっと同じ生活が続くという考えがあったわけではないのだろうが、精神論で言えば、未来永劫『かれらの神』に支配され続ける、あるは守られ続けるという考えはあったのかもしれない。



「これだと右の方で絶対文字が出現しますね」



 共存の少女がわくわくした様子で言う。



「そして、共存の子にとっての『神代かみよ』とはこうだ」



 クリーム色のもや神代かみよの子の位置のだいぶ右側まで覆って途絶えている。



「そして、『王賜銘鉄剣おうしめいてっけん』『金錯銘鉄剣きんさくめいてっけん』等の副葬ふくそうがたいていこのあたりになる」


「えっ」



 神代かみよの子が驚きの声を上げた。


 クリーム色のもやとぴったり隣接して、茶色の長方形が時間軸を覆った。



「共存の子にとっては神代かみよの終焉自体を『文字の出現』と定義する派が優勢だ」


「あらら~」



 と言いつつ、神代かみよの子はそれでも楽しそうだ。



「そして、離別の子にとっての神代かみよとはこうだ」



 女子二人はぽかーんと口を開けた。クリーム色のもやが途切れるまでは……右すぎる。とっても、右すぎる。



「そして、この部分には」



 と、今度はもやが終わりかけるところに茶色い長方形を出現させて彼女は言った。



「世界的『武力戦争の終焉』の時期が当てはまる」


「でも、俺個人はそう思いません」



 彼は何の感慨も込めず適当そうな雰囲気ながら、きっぱり異を唱える。



「ほう」


「8世紀の記紀編纂へんさんで、神代かみよは終わり始めるかなと思います。あのあたりの書物どれもこれもをおとぎ話にするの俺好きじゃないんです」


「銘文を契機としない理由を聞いてもいいか?」



 クリーム色の靄と茶色い長方形を、共存の少女の時代にとってのものである位置に移動させながら彼にそう聞いた彼女は、なんだか楽しそうだった。



「個人的書簡しょかんと国家的編纂へんさん事業の差ですかね?」


「ほほう」


「内容も、王様が私は偉いですよって個人の誇示をしているものから、自分の国はこうですよ、って国を誇示するものに変わっていったってとこです。で、個人と国家にこだわる話はだるいからパスします」


「不親切だな」



 彼女は大笑いしたが、彼はただ当然のように答えた。



「多分みんな退屈ですよ?」


「いえ、アナタの説だと神代かみよにもたくさん文字がありそうで、少し嬉しいです。そこくらいしかよく分かりませんけれど」



 神代かみよの子が機嫌よさそうにしている。



「ごめん、あたしはちょっと退屈かも……よく分かんなくて。でも、神代かみよに文字がある可能性があるのは、あたしも素敵だと思う!」



 共存の子が少ししょんぼりとしながらも、嬉しい点もあることに混乱している様子だったので、水色の彼女は微笑ましくそれを見つめた。



「まあ、こういう視点の差もさておき、さっき見せたように≪現世うつしよ≫は無限なほど存在するから、文字のある神代かみよもない神代かみよも、同じだけ存在する可能性があるのだよ」



 水色の彼女は機嫌よさげに言った。

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