五 幽世

「……私たち死んだんですか……?」



 髪を左側の高い位置で一つにくくって流している方の少女が、呆然としながら聞く。

 この少女の服装はセーラー服というものだろうと、彼は予想した。



「いや死んでない」



 今度はあっけらかんと笑って彼女がそう言うので、遊ばれているのかと、三人は一様に顔をひきつらせた。



「死んだのは世界だ」



 しかし笑顔から一気に無表情に変わった彼女が放った言葉が、どういうことなのか分からな過ぎて三人の表情も一瞬で困惑に変わる。



「お前は神代かみよの時代の子」



 と彼女が髪を高い位置で一まとめに結っている方の少女を扇で指して言う。



「お前は共存の時代の子」



 と彼女は髪を左側でくくっている──サイドテールという髪型な気がする──方のセーラー服少女を扇で指した。



「お前は離別の時代の子」



 彼を扇で指してそう言って、彼女は最後に地面を指した。



「そしてここは滅亡の時代の、≪幽世かくりよ≫だ」



 あの世だとか世界は死んだとか言われたのもあって、滅亡という響きに、三人は不安が広がっていくのを感じて顔をしかめた。さらに、カクリヨの方は一般的に使用される単語ではないため、『分からないことだらけ』であることが、ますます不安を煽ってくる。


 しかし、三人のうち彼は、ふと疑問を思い浮かべてしまった。状況がなにもかも非科学的で突飛なのでもう、ここが普通の場所ではないのだというのは無理やり信じられるとしても、その名前には、納得できない要素があった。



「いや、カクリヨって……永久不変なんじゃぁ……」



 だったら、『ナントカの時代の』なんて付くことはあるのだろうか?



「離別の子にしては色々知っているな」



 扇で再び顔を隠した彼女と目が合うが、彼は自信をもって理由を口にすることができず少し目をそらした。


 ……そう、これは、あの日あの時までは好き好んで見ていた漫画やアニメ等々で、分からない単語があればつぶさに調べあげてしまっていたせいだ。


 つくづく彼は無駄に勤勉なクセを嫌悪する……そして、『面白いね』と言っていた『彼女』を思い出して、ただうつむいた。



「世界あっての神域だ。世界が死ねば神域も死ぬ」


「でも……この場所は現に存在しているように見えます……≪死≫とは消滅ではないのですか?」



 意外にもそれは『神代かみよの子』と呼ばれた少女が発したものだった。



「……今から私が語ることは、ただ聞き流すだけでもいい。おそらく完全に把握することは『聞く』だけでは誰にもできない」



 そう言った彼女の顔は少し優しそうで、しかしどこか憂いも含んでいた。



「……≪死≫が何なのかは私には分からない。ただ、『人間が解析し尽くした神々』がああした透明文字になってから、はとても寂しくなった」



「……カミガミ???」



 彼は上を見上げながら困惑した。


 何故なら中空に浮いている文字たちは『定理』や『公式』、『法則』、『思考実験』などの≪名前≫だった。より遠いところにあるものには、人名や、難解な漢字の羅列がある様子ではあるが、それ以外も『カミガミ』なのだろうか。



「『ヒト』がある地点から先、カミガミの存在自体を解き明かし、それが超常なるものではないと決定づけ、『信仰』が消滅した」



 そこで彼は何故か妙に嫌な予感がした。



「『カミ』という存在は『ヒト』から存在を肯定してもらえなければ消滅する」


「……消滅」



 先ほど死とは消滅では、と言った人間がいるだけに皆息を呑む。



「……ある地点以前すでに、だんだんと『ヒト』のなかで、カミガミの存在は薄れていた。概念的なものほどはやく」



 彼は自分のいた現実を振り返る。


 ……神話なんて、神なんて、漫画やアニメのなかだけにいた。


 人々は、ほとんど不思議なモノなんていないと思っていた。


 いないと思っていたから、居なかった……?


 ある地点とは、いつだろう……。



「概念的な『カミ』を仮に≪思想的カミガミ≫とすると、『ヒト』は彼らを排除しつつ、【観測可能なるモノ】として」



 そう言いながら彼女はまた扇で中空を指す。



「ああした『研究結果』や『偉人』、『出来事』などを『信じ』始めた。こちらを仮に≪学術的カミガミ≫とする」



 ただ浮いているだけの透明な文字群を、水色の彼女は何か思い入れでもありそうな様子で眺めながら言う。


 ……こういうのも、本当にカミサマ、なのか……。


 離別の少年は学問的な≪名前≫の数々を見渡したが、やはりそう簡単にピンとは来ない。


 ただし、確かに、崇めるような行為はないにしろ、彼のいた時代では『確実なもの』として絶対の信頼を得ていたモノたちだった。



「人の信じる力の矛先が≪学術的カミガミ≫に傾いていったため、彼らも次第に『神格』を得ていくことになった」



 浮かんでいる≪名前≫たちを眺めて、少し彼女は目を細める。


 彼はこの目を前にも見た気がした。けれど、今は扇で顔を覆ってはいないのに、何を思っているのかは分からない。



「ただし、『ヒト』は自然崇拝アニミズムの否定に関してはかなり手を焼いていたようだ。だがもうでは、透明文字にこそなっていないものの、ああして何も動けない」



 そう言いながらゆっくりと、彼女は石段の方にある自然むこうを見やった。


 表情なんて何も変わらないのに、声音が悲し気に聞こえ、た。



「……彼ら『ヒト』は何故こうも【正体不明】を滅ぼしたがるのだろうね」



 あるのかないのかはっきりわからないもの。


 それを理論武装で排除していったということだろうか。


 水色の彼女は再び扇で顔を隠しながら、青い目を少し伏せた。



「……カミガミが文字にされ始めた地点を、私たちは≪激甚災害パラダイム・シフト≫と呼ぶことにした」



 そう。神々には、そうとしか言いようがなかった。



「私たちにはそれが≪何≫だったのか把握できていない。なので本来するべき何の対処もできないまま」



 青い目は完全に閉じられる。



「『ヒト』は≪過去≫を【観測可能なるモノ】から除外した」



 少年は目を見開いた。目蓋に負荷のようなものがかかるくらいに。


 そのセリフがもし『あの不毛な思考実験世界五分前仮説』が『解析し尽くされた』ということを示しているなら、いったいどんな≪何≫が起きたのだろうか……。



「おかげで、≪幽世ここ≫にまともに立っていられるようなモノは≪真理≫くらいになってしまった」



 ここ、と言いながら彼女は扇で地面を指した。


 暗い顔で彼女は続けた。



「ここで一旦、まず神々の関係を図示するとこうなる」



 閉じたままの扇でこちらに何かを押し出したように見えた。


 実際に何か光が飛んできて、こちらにたどり着くころには三人それぞれが見やすいほどのサイズの図になっていた。高さと角度までちょうどいい。図という科学的なものの出され方が非科学的すぎて三人はたじろぐ。


 神代かみよの少女が少し困ったように言った。



「すみません……私にはこの複雑な線は分かりません。数や色や丸なら分かります」



 神代かみよの少女のこれまでの言動はあまりにも自然だったため、二人は一瞬どういうことか分からず、そして一瞬で二人とも同じことに思い至る。


 はるか古代の神代かみよの時代、この国にまだ文字は存在していなかった。


 それが後世の者に伝えられている有力説だったのだが、これで明白になってしまった……のだろうか。


 そして、すわ謎の解明かと共存の少女は素直にうきうきし、離別の彼は何故自分が少し高揚しているのかいぶかしんだ。



「なるほど、お前は文字が存在しなかった時系列の神代かみよから来たのか」


((え?))



 一体どういうことなのか、すぐには思い至れずに、共存の少女と離別の少年は、ただただ困惑するのだった。

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