二 狭間
彼ははっとして、無意識に周りがどうなっているのかを把握しようとした。一番に気づいたことは、自分の体が何かにがんじがらめにしがみつかれた状態にあることだった。
ような、というのは暗闇で何も見えないせいだ。
不意に彼の背後で誰かが笑い始めた。
……それは、どう聞いても彼自身の声だった。
けれど自分のものは、ここまで雰囲気の悪い笑い声ではない、と彼は思う。
「海も山も川も谷も、木も石も火も空も、ぜんぶぜーんぶ、死んでしまえ」
彼自身の声が、彼自身が思っていたことを言い放った。
けれど、『今』彼はそんなことを口に出していない。
どう考えてもまともな状況ではない。彼はどうにかして背後の誰かから逃げなければいけないと思った。
だけどかなり暴れてみても振りほどけない。
「俺は俺からは逃げられない」
その声は、彼にはとても嬉しそうに聞こえた。同時にやはりとても気色が悪い。
「俺はお前、お前は俺」
「……ちげーよ。それに、海も山も川も谷も木も石も火も空も、『生きてない』んだから死ねもしねえ!」
「違うな」
急に第三者の声がして彼は目を見開いた。
「海も山も川も谷も木も石も火も空も、月も太陽も風も油も、定理や公式や合成物でさえ、みんなみーんな、立派に『生きている』」
その声とともに、突風が吹き抜け、周囲が青空のような真っ青になる。
急に暗がりから光の中に放り込まれ、彼は眩しさに目がくらんだ。
数秒経ってやっとの思いで目を開けると、自分の体になにやら黒いものがびっしりと巻き付いていて彼は慄く。
彼は思わず後ろに目をやりさらに驚愕した。
真っ黒ではあるが、そこにあったのは彼自身の頭。しかし、気持ち悪すぎる笑みを浮かべているそれは、自分のものだとは到底思えない。
「哀れだな……」
さっきの声がしたので彼はその方向見る。
少し離れたところに和装の──実際に
「何がお前をそうさせたのかは分からないが」
そこまで言って女性はじっと彼の顔を見つめ、少しだけ目を細める。
「そのままではお前はそれに取って代わられて、周囲を破壊し尽くすだろう」
「何ですかそれ……」
扇で顔を隠しているせいで目以外ほとんどわからず、彼には彼女の素性なんてまったく推測できない。ただ、何だか態度が偉そうな気がしたので、自然に丁寧語が出た。
「それは、本当にお前自身だよ」
「は!?」
彼はそんなことは絶対に思いたくなかったので、赤の他人なんかにそう言われた怒りが一番先に立つ。
「それに吞まれるか、それを飲み込むか。選べ」
そんな二択しかないのなら。
「飲み込むに決まってる!」
怒りからか丁寧語が抜けてしまった。
「相分かった」
彼の前方にいるのその人は、右手に持って鼻から下を隠していた扇を優雅な仕草で彼の方に投げた。
仕草に似合わずそれは剛速球のように飛んできて。
鏡に呑まれた時よりも酷い衝撃を受けた彼は、意識を保っていられるわけがなかった。
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