アイドルは画面の向こうできらめいてⅨ
「実はね、今度CMを撮ることになって」
「えー、嫌だよ」
「早い。断るの早いよ」
「やっぱり僕に何かやらせるつもりだったんじゃない」
僕だっていつまでも同じパターンにやられてばかりじゃないんだから。
湊さんはどうやら大切なお客さんからのお願いごとらしくて、僕の手を強く握りながら引き留めようと必死になっている。
「あのね。うちのお得意さんで、楽器メーカーの会社の人がいてね。直くんのダンス見てピンと来たんだって。顔は映らないようにしてくれるって言ってたから」
「楽器メーカーなんて夕陽ヶ丘にあった?」
「ううん。でも創業者は夕陽ヶ丘出身で、うちのお店もその頃から懇意にさせてもらってるの。カワハって知ってるでしょ」
「超有名企業じゃない、それ」
「だから断れないんだって。私の代で縁が切れたなんて言われたらたまったもんじゃないし」
「湊さんが出てあげればいいのに」
そもそもそんな大企業なら一流のダンサーを何人も雇えるはずなのに、わざわざ素人の僕に頼む理由がない。いったい何がそんなに気にいったんだろう?
「私じゃダメだって。直くんのダンスがいいって言われたんだから。やっぱり剣道とか居合? やってる人の動きって違うのかな?」
「僕に言われてもわからないよ」
なんでも剣道と組み合わせて考える遥華姉じゃないんだから。自分の動画は恥ずかしくて見てないんだけど、そんなに違うものなのかな? でも僕は残念ながらダンスについての知識がなさすぎるからわからなさそうだ。
「ね、お願い! 今回はお給料もたくさん出るから!」
「うぅ……」
そう言われると弱い。バイトもしてるからお小遣いに困ってはいないけど、やっぱり多く持っていて困ることはない。玲様は金銭感覚が常人とはかけ離れてるからなぁ。
湊さんの家のチラシで一万円だった。大企業のCMなら、とついつい考えてしまうのは僕が庶民だからなんだろう。
「話を聞くだけでも、とりあえず、ね?」
「しょうがないなぁ」
ここでがんとしてはね返せないあたりが僕がイマイチ男らしくなれない理由なのかもしれない。でも一度首を縦に振ってしまった以上、後悔しても答えは変えられない。
「じゃあさっそく今日の放課後よろしくね」
「え、今日!?」
「直くん、今日はバイトじゃないでしょ。玲から聞いてるから」
「そうだけど、心の準備が」
「大丈夫大丈夫。いきなり撮影ってことはないから」
せっかく玲様がバイト代わってくれたのにこれじゃ大変さは変わらないよ。文化祭の準備もあるのに。
夕陽ヶ丘から自転車で街へ向かってさらに電車に乗る。乗り換えを二回こなしてようやく県庁がある一番の大都市の喜多浜まで出てきた。大きな買い物でもここまで来ることはない。歌手やアイドルのライブに行くような人はときどき出てくるみたいだけど。
今度の玲様のイベントも駅前から少し離れたドームでやる予定になっている。ここからは見えないけど、当然まだ準備なんて始まってるわけもない。なのにちょっと気になってしまう。
「でも本社は東京だよね?」
「出張で会いにきてくれてるんだよ」
「そんな遠くから来るなら僕に約束取りつけるのを先にしてよ」
もし僕がついていかなかったらどうするつもりだったんだろう。それとも湊さんは僕を連れてこられる確信があったのかな? 本当についてきてるだけにちょっぴり負けた気分だ。
どこかの事務所に行くのかと思ったら、会うのは喫茶店らしい。チェーン店じゃない少し威厳のあるお店の奥まった座席に案内されると、スーツの男の人が先に待っていた。
思っていたより若い人だったけど、よく考えたらお得意様とはいえ社長が直々に来るわけないよね。
「お世話になっております。下川の娘でございます」
いつもの格好なのに丁寧な口調の湊さんに違和感を覚えながら、僕も頭を下げる。
「いやいや、急な話で申し訳ありません。さ、どうぞ」
「ありがとうございます」
僕は黙ったまま湊さんの隣に座った。コーヒーを注文したけど、いいお店なのに味がわからなくなりそうだ。
「そちらが小山内直さんですか?」
「あ、はい。そうです」
「そうでしたか」
僕の顔を何度も見て確認している。今日は普通に男子制服を着ているけど、ちゃんと男だってわかってくれてるのかな?
「えっと、湊さんから話は聞いたんですけど、CMってどういうものなんですか?」
「そうでしたね。最近、刀を擬人化したゲームが流行しているということで、袴を着た男性と雅楽のコラボレーションのCMを作成しようという話になりまして」
「え、ってことは女装しなくていいんですか!」
「え、えぇ。もちろんです」
ちょっと驚いたように体をのけ反らせたカワハの営業さんが答えた。よく考えたら当たり前の話だ。玲様たちに毒されて僕が何かをするときは女装させられるときだって勝手に思い込んでいた。
「顔出しNGということでしたので三度笠などで隠して、最後に背を向けて外すような形で」
「大丈夫です! そういうことなら顔出しでも構いません!」
「そ、そうですか?」
そう言うことなら話は別だ。女装した姿が全国のテレビに映るなんて悪夢を想像してたから顔を出すのは断りたかったけど、男として出られるなら全然問題ない。しかも袴姿の侍なんて、僕にとって一番の理想形かもしれない。やるのはダンスだけど。
「そういうことでしたら助かります。では、詳しい話は決まり次第お伝えいたしますので」
急にこのお仕事が楽しみになってきた。ここで僕のカッコいいところを見せて、今の立場から逆転してやるのだ。
「どうして急にやる気になったの?」
「だって、こんなカッコいいCMだなんて思ってなかったんだもん」
ほんの数時間前までは嫌がっていた僕は、一気にやる気に満ち溢れていた。これでみんなにも見直してもらえるかもしれない。玲様にはちょっと迷惑をかけるけど、バイトは頑張ってもらおう。
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