アイドルは画面の向こうできらめいてⅦ

「あ、ちょっと古いけどラジカセあるよ、要る?」


「持ってるのはBDだからラジカセじゃ無理ですね」


「そっかー。じゃあポータブルプレイヤー持ってくるよ」


 そんな便利なものがあるんだ。ウェディングドレスの撮影に写真だけじゃなくて動画を撮るときもあるらしい。それの確認用のものを貸してもらった。ちょっと画面は小さいけど、振り付けを確認するなら十分だ。


「古いビルだけど、踊ったぐらいじゃ床は抜けないから安心してね」


「逆に抜ける可能性があったら怖いですよ」


 さっそく借りたプレイヤーを見ながら新しいダンスの振り付けを確認してみる。前の曲と同じポップミュージックだけど、今回は前よりちょっと動きが激しくなっている。これを女子制服で踊るとなると、結構大変そうだ。


「じゃあまずイントロからかな」


 型なんかも頭から通しで練習するんじゃなくて、技ごとのパーツに分けて覚えるもの。それと同じことをしてるんだけど、ダンスは全部で一つにまとまってるからちょっと違和感がある。


 リズムに合わせていきなりは難しいから、覚えた動きをゆっくりと試す。まるで海の底にいるみたいに。大きな岩を抱いているように。一秒で一センチしか動かないくらいにゆっくりと。


 それほどの遅さで動かなければ人間の体、その全身を把握することはできないのだ。


「居合の動きがこんなところで役に立つなんて思わなかったなぁ」


 重くて長い刀は力任せに振ったところで思い通りには動いてくれない。刀と体を一つにして、全身でその重さを分け合わないと、鞘に入った刀を抜き放って相手を斬ることなんてできない。


 頭の先から指先足先まですべてが自分のものになる。人というものを完全に知る最高の方法だ。


 月野のじいちゃんがよく言っていた。侍の斬り合いがなくなった現代で居合をやる理由があるとしたら、それが一番の理由だって。


 そのおかげでダンスが上手くなったなんて言ったら、月野のじいちゃんが雷落としそうだ。


「あ、やってる。ってなんでそんな太極拳みたいな動きしてるの?」


「いいんだよ。これが僕なりの練習方法なんだから」


 スタジオに遥華姉が入ってくる。そういえば佐原先輩にお料理を習ってるんだった。ここじゃ筒抜けだ。湊さんを警戒していてすっかり忘れていた。


 できたばかりのカスタードマフィンから甘い匂いが漂ってくる。慣れないことをして頭も体も疲れている。街灯の光に誘われる蝶みたいにふらふらと足が遥華姉に向かっていく。


「食べる? 結構自信作だよ、今回は」


「食ーべーるー」


 もう頭の中の僕はマフィンにかじりついている。体だけが追いついていない。遥華姉の手からカップに入ったマフィンを受け取って、すぐに口に運んだ。


「おいしいー」


「うーん。やっぱりナオの反応は同じか」


「だって僕、そんなに上手なこと言えないよ」


「でも言い方がいつもと一緒だもん。ナオがびっくりするくらいおいしいやつが作りたいの」


 遥華姉は僕のおいしいの違いをわかってくれる。その上で納得がいかないと言われたら返す言葉もない。


「うーん、どうすればいいのかよくわかんないよ」


「私にはわかるから大丈夫。それよりナオ、せっかくだからダンス見せてよ」


「まだ練習始めたばっかりだから踊れないよ」


「じゃあ前のやつでいいから」


 遥華姉は紅茶を飲みながら、そう言って僕の目を見た。試合のときみたいに目がすわっている。これは絶対に逃がさないっていう獲物を狙う肉食動物の目だ。


 っていうか片手にカップ、もう片方にマフィンを持って座ってるのにこの状況から戦いになっても全然勝てるビジョンが見えない遥華姉はやっぱりおかしいよ。僕だって宮古先輩に勝ったくらいには強いはずなのに。


「遥華。やっぱりここにいた。直くんも休憩?」


「あ、佑美。これからナオに踊ってもらおうと思って」


「ほんとに? それはぜひ見ないと」


 佐原先輩はエプロンを外して空いていたイスに座る。完全に観客になる気だ。っていうかお店の方は空っぽになってそうだけど、大丈夫なのかな?


「二人とも動画で見たんじゃないの?」


「動画で見るのと生で見るのとじゃ全然違うって」


「ほらほら、ナオ。早く早く」


「もう、しょうがないなぁ」


 プレーヤーを操作してライブの曲を選ぶ。練習中のものじゃなくて前に披露した曲の方だ。


 こっちはもう体が覚えている。止まることなく息も上がらない。覚えてしまった歌詞も口ずさみながら、目が合った遥華姉にウインクしてみたりして。


 最後のポーズも完璧に決めると、佐原先輩が一人で十人分くらいの拍手をしてくれた。


「ブラボー! いやぁ、こんなライブを間近で見られるなんてお店の仕事手伝っててよかったよ」


 現在まさにサボり中なんだけど、いいのかな? 佐原先輩は全力で拍手を続けている。


「これは学園祭のヒロイン待ったなしだね」


「せめてヒーローがいいよ。っていうかヒロインって?」


「直くん知らないの? 文化祭のヒロイン選挙」


 そんなの聞いてない。玲様のマンガのことですっかり忘れてたけど、体育祭と文化祭の準備がそろそろ始まる頃だ。一年生は展示が模擬店だから、僕はいかにして玲様に女装させられないかを考えなきゃいけない。


「まぁ、ミス凪葉、みたいなやつ? 二、三年だと友達からの同情票が増えるでしょ? だから一年生から選ぶことになってるの」


「あぁ、去年遥華姉が辞退したっていう」


「なんでそんなことはしっかり覚えてるかなぁ」


 そりゃ普段はしっかりしてる遥華姉が泣くときなんてパターンが決まってるんだもん。


 一年生のときから当然有名人だった遥華姉はファイナリストに残ったんだけど、いつもの大泣きをうちで見せて、僕がなだめてあげたのだ。なんとか落ち着いた遥華姉は翌日辞退を届け出たはずだ。


 確かに遥華姉は身長は高いことを気にしてるけど、それが長所の美人だと思うんだけどなぁ。


「でもそれって女の子から選ばれるんでしょ?」


「今年は有力候補不在だからねぇ。湊はファイナリストには残れそうだけど、ヒロインとなると、ちょっと決め手に欠けるかなぁ」


「湊さんでいいと思うんだけど」


 玲様のせいで裏方が多くなってるけど、湊さんもきれいな人なんだよね。栗色の髪をまとめたポニーテールが元気な性格によく似合っているし、学校でも遥華姉と同じく同性にも人気があるタイプだ。


「毎年悪ノリ票は結構あるらしいんだけど、票が割れた結果、直くんが選ばれたりとか」


「さすがにそんなことないと思うけどなぁ」


 というよりそんなことがあったら悪夢だよ。年に一回しかない文化祭で、男がヒロインなんて。


「そもそも男の子って票が集まったところで残れるのかな? あ、ナオはかわいいと思うよ」


「そのフォローはいらないよ」


 急に今練習しているダンスが怖くなってくる。これのせいで変なことに巻き込まれなきゃいいんだけど。

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