恋する気持ちは竹刀を打ち合わせてⅨ
先手を取ったのはやっぱり宮古先輩だった。そりゃ僕は遥華姉から毎回開幕から攻め立てられているんだから、どうしても最初に
でもゆっくり見ていられるほど僕には余裕があった。遅すぎる。遥華姉と比べるのはいくらインターハイ出場者とはいえかわいそうになるくらいだ。後でしっかり教えておこう。遥華姉、手加減はこのくらいまで落としてくれないと手加減とは言わないって。
右足を一歩外に逃がし、体を運んで左半面に打ち返す。気勢も乗って剣先が面に向かう。これだけでも普通なら十分一本がとれるくらいの技だ。タイミングだって悪くなかった。それでもかわされたことを素早く察知した宮古先輩が体を逃がすように距離をとった。
面をとらえたけど、当たり方はイマイチだ。遥華姉も動かない。
構えなおした宮古先輩は次の一合にいかずに距離をとって僕に正対した。なめてかかっていた、ってことらしい。どうせなら最後まで油断しててくれると助かったんだけど。
こうなると簡単にはいかない。体格だって僕よりずいぶんといいのだ。腕が長ければリーチが長くなるし、頭の距離も上に遠くなる。上から振り下ろす方がどう考えても有利だ。僕が剣道が強くなれないと思った理由でもある。
体格の差はスポーツでは大きな差になる。真剣なら当たれば一瞬だからそこまでの差にはならないけど、こういう安全なルールの中でやる場合は、どうしても体の大きさは力や速さ、リーチに直結する。
でも技術でどうにかしている人はいっぱいいるのだ。僕だって負けられない。
「メェェェン!」
まだ暑さの残る道場に宮古先輩の声が響く。やっぱり基本に忠実で正確だ。こういう地味な努力を続けているから結果につながっているんだろう。向こうの方がよっぽど正義っぽいなぁ。今回の件については正義も悪もないんだけど。
これだけ勢いがいいと判定になったら負けは
そのとき視界の端に遥華姉の姿が映った。審判をやっているようでこちらを見ている。目が合ったのに気がついたみたいで、遥華姉は両手で見えない竹刀を持つようにして、それを足に向かって下した。
なにそれ? 降参しろってこと?
そんなわけはない。僕だってすぐにわかった。わかったんだけど、それって宮古先輩に通用するのかなぁ。
かといって今のままではジリ貧なことにも間違いはない。やれることは全部やってみた方がいいのかもしれない。そして僕は遥華姉のやっていた通り、構えていた竹刀をゆっくりと下へと向けた。
見慣れない構えに宮古先輩の動きが止まる。
当たり前だ。今の剣道でこんな構えをする選手はいないだろう。
脇構え。剣道の構えは全部で五つ。そのうち、剣道で実際に使われるのはよく見る剣先を相手に伸ばした中段の構え、そして剣を上に掲げて構える攻撃型の上段の構えの二つだ。
遥華姉の八相の構えはもう剣道では形でしか使われないようなもので、鎧を着て足場も安定しない実戦で使うと言われている構えだ。
そして、やや剣先を下げて構える下段構え。それから今僕が構えた脇構えの五つだ。
脇構えも真剣勝負を想定した構えで、正中線を隠し、剣を隠して相手を幻惑するような構えだ。反面振り上げて振り下ろして相手の決まった部分を打つ剣道ではその利点は一つも生かされないから使う理由がまったくない。これで剣道の試合をやっている人は世界を探しても一人もいないだろう。
でも僕には意味がある。一番居合に近い軌道を描く構えだ。それに僕がやっているのは剣道だけじゃない。剣術の技術だってたくさん持っている。
剣道と剣術じゃ剣の振り上げ方ひとつとっても違う。竹刀ならまだしも長くて数キログラムの重さがある真剣を持ち上げるのはそれだけで一苦労だ。でも手首を返して剣先を地面へと落とし、その反動で腕を振り上げる。
すると、剣はいつの間にか背中まで上に落ちているのだ。
そこまでくれば振り下ろすのにもうほとんど労力は変わらない。それでも初めて見る人には何故僕が剣を振り下ろそうとしているのかわからないだろう。
本来ならこれで実際より長い刀を使って間合いの外から斬ったりするんだけど、竹刀の長さは決まっているからあんまり効果はない。
でも不意打ち効果はばつぐんだった。遥華姉ならじいちゃんに習って当然知っているから簡単に捌かれてしまうけど、剣道しか知らない相手は一瞬思考が止まってしまう。剣道一筋で真面目に取り組んできた宮古先輩にはちょっと悪いことをしているかもしれない。この技はどうやら月野のじいちゃんにも教わらなかったらしい。
後ろに引いた宮古先輩にはリーチが足りずやや面にかすっただけだった。それでも形勢は逆転していた。こんな振りをしてくる相手と試合をしたことなんてあるはずもない。竹刀を背に隠し、今度は胴を切り裂くように打ち込んだ。
今度は完璧。乾いた音が静まり返った道場に響く。遥華姉の手も上がる。宮古先輩は黙ったままゆっくりと開始線まで下がった。
「ありがとうございました」
面をとり、宮古先輩は汗をまとっても変わらない爽やかさで手を差し出した。なんでだろう、とってもいい勝利だったはずなのに、なんだかすごい敗北感だ。
「ありがとうございました」
「脇構えとは、さすが小山内道場の跡取りだ」
「跡取りなんて、そんな」
全然そんなこと考えたことなかった。だってそれなら僕よりもっと適任の人がいる。湊さんと勝利を静かに祝っている遥華姉は僕たちの握手の邪魔をしないようにしてくれているのだ。そういう道場の雰囲気を大切にしているところもやっぱり似合うと思う。
「いや、本当に惜しいと思っているのに、同時に君と手合わせできたということを嬉しく思っている自分がいるんだ。こんな強さを持っていながら試合に出ないのはもったいないよ」
「いや、ただの不意打ちですし」
「僕をあまりあなどらないでくれよ。これでもインハイに出る予定なんだ。その男を相手に完璧に返しを打ってきたんだ。あの時点で負けてもおかしくなかった」
この体格差で、という言葉をきっと宮古先輩は飲み込んだ。男の子どころか女の子である湊さんよりも低い僕の背ではこの勝負は圧倒的に不利だった。それを含めて褒めているのだけど、男にとっての身長は結構気にするところだ。宮古先輩はわかってくれているみたいだ。
僕が強い、だなんて考えたこともなかった。そりゃ小学生で剣道を辞めてからは試合なんて遥華姉としかやってなかったけど、たったの一度も惜しいところにすらいったことがなかったんだから。
「ありがとうございます。また試合をしましょう」
遥か先にあると思っていた背中は、もしかするとほんの少しだけ近づいているのかもしれない。
「よろしく頼むよ。大串さんは厳しすぎてね」
はは、と乾いた笑顔には奥底に眠るトラウマが見える。
なんだか仲良くなれそうだ、と思った瞬間に、試合後の清々しい気持ちをぶち壊すように玲様が道場になだれこんできた。
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