恋する気持ちは竹刀を打ち合わせてⅧ

 試合当日。僕はなんとなく思い立って竹刀じゃなくて居合刀を抜いていた。今はもう剣道も嫌いじゃないんだけど、やっぱりこっちの方が気持ちが落ち着くような気がする。


 朝とは言っても夏の道場は空気がこもっていて、僕の口から出た息の温度がそのまま熱に変わっていくようで、もう立っているだけで汗が浮かぶほどになっている。


 先輩が来るのは夕方、五時ということになっている。あの時は決めるのをすっかり忘れていて遥華姉に伝言してもらった。ちょっと締まらないけど向こうも忘れていたんだからお互いさまってことにしておこう。


 白刃が夏の気の早い日差しを浴びてきらめく。そのたびになんだか僕は強くなっていくような気分になれるのだ。

 風を切る音が心地いい。つばがしっかりと鞘に納まると、今度は緊張感がどこかへ消えていくようだった。


 居合刀をきちんとしまって、朝稽古は終わり。当日になって一生懸命にやったって効果がすぐ出るほど甘いものじゃない。毎日の積み重ねっていうのがやっぱり大事で、そういう意味では僕は間違いなく宮古先輩に劣っているのだ。


 でも一つだけ違いがある。僕に毎日命が擦り切れるほどの修行を課したのは他でもない遥華姉だってことだ。あの修行をやれる人間は世界中でも数えるほどしかいないだろう。それに僕は耐えきった。

 じいちゃんのにも耐えているからこれで二度目ということになるはずだ。それがどれほど差を埋めてくれるのか、そこに期待している。


「さて、もう一回寝直そう」


 精神が落ち着いたら今度は体力だ。とにかく万全の状態で挑む。そのために宿題も今日はお休みだ、と体のいい逃げ道を作って僕は布団に潜り込んだ。


「ナオ? 寝てるの?」


 どのくらい寝ていたんだろうと思って、携帯電話の画面を見ると、もうお昼前だった。夏休みも七割ほどが過ぎて、そろそろだらけた生活に慣れてきているなぁ。僕のお布団の脇で遥華姉と湊さんが可哀想な人を見る目をこちらに向けている。

 別に戦意喪失とかそういうわけじゃないから。もう負けたみたいな顔しないで。


「直くんのそれは余裕なのか、果たして」


「変なナレーションいらないから」


 勝負は夕方だって言っておいたのに、もう様子を見に来てくれるなんて、湊さんは僕を心配してくれてるのか面白がっているのかイマイチわからない。もしかしたら僕が思いもよらない逆転の方法を考えていたりするからあなどれないけど。


「そんなので勝てるの?」


「変に気負ってもしょうがないし、体力は温存しておかないと」


「最後に特訓つけてあげようと思ったのに」


「そんなのやったら戦う前から負ける寸前だよ」


 最近は何とか慣れてきたとはいえ、やっぱり遥華姉の特訓が生易しく終わってくれるはずがない。毎日ギリギリのところで体力をやりくりしながらなんとか今日まで生き残ったと言ってもいいくらいなのに。


「しょうがないなぁ。負けられても困るし、勘弁してあげよう」


「ありがとうございます」


 なんでお礼を言わなきゃいけないんだか。それはちゃんと今日勝ってから言わなきゃいけないのに。僕はようやく起き上がって、うんと背を伸ばす。よし、調子は悪くない。いつもより一人足りないけど、応援もいてくれるししっかり勝たなきゃね。


 夕方の道場に先に入って黙とうをしていると、道具を一式抱えて宮古先輩が入ってきた。誰か付き添いに来てもいいとは言っておいたんだけど誰もいないみたいだ。女の子とお近づきになるために試合をするなんて周りには言えなかったかな。


 もう胴着は着ている。いつでも来いっていう気合が十分に感じられた。こうなってくると立会人の遥華姉はいいとして、湊さんはちょっと場違いに見えるかな、そう思ってちらりと横を見る。


 そこにはお仕事モードでしんとして正座している湊さんの姿があった。さすが玲様まではいかずとも良家のお嬢様だ。剣道をやっていたってこともあるけど、これなら見ていてもまったく心配ない。僕の持ち主のお嬢様も見習ってほしいところだ。


「お待たせしたね」


「いえ、うちに呼びだしてすみません」


「構わないよ。うちじゃ絶対にできないからね」


 それもそうか。いくら田舎といっても道場まで持っている家なんてここらじゃうちくらいだし。玲様の家くらいの大きさがあれば一部屋くらい道場代わりにできてもおかしくないけど。


「一本勝負でセルフジャッジでいい?」


「遥華姉も一応見てよ」


「でも私、ナオに有利な判定するかもしれないよ?」


「遥華姉はそんなことしないでしょ」


 この正義が服を着て歩いているような人なのに。宮古先輩もそれはよくわかっているみたいで、遥華姉の審判入りに賛成してくれた。僕だって負けたら素直に認めるつもりだ。ごねたりなんてしない。


 それにどうせ負けた後に散々いるはずもないスグハの存在を隠すために延々ごねるハメになるのだ。勝負くらいは潔くつけるよ。


「じゃあケガのないように気をつけてね」


 それを遥華姉が言うかなぁ。僕の顔は面の中で苦笑いになっている。いつも防具の上から骨をへし折られるんじゃないかってくらいの勢いで打ってくるんだから。実際にケガしていないあたり、あれでも手加減しているのかもしれない。


 向かい合った宮古先輩の顔を見ると、同じように苦笑いを浮かべていた。さすがに剣道部ではやらないだろうから、この間の月野のじいちゃんのことだろうな。意外と話してみたら気が合うかもしれない。


 でも今は敵同士だ。

 そういう話はほとぼりが冷めてから一度やってみてもいいだろう。

 開始線に座って剣をとる。ここからは一瞬の隙も見せてはいけない。中段に構えて立ち上がると同時に、遥華姉のはじめ、の声が道場に響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る