恋する気持ちは竹刀を打ち合わせてⅩ
「ちょっと、直! これはどういうことよ!」
「今いいところだからちょっと黙ってもらえるかなぁ」
そういえば今日帰ってくる予定だったんだっけ? この勝負の方に気をとられていてすっかり忘れていた。土足厳禁の道場の前でちゃんと靴を脱いでいるあたり、怒っている声色よりは冷静みたいだ。
「どうしたの。何か約束してたっけ?」
「別にそういうことじゃないわ」
「だったらゆっくり説明してよ」
どういうことって言われても覚えがないんだから謝りようもない。そう言うと、玲様はとぼけないで、と浮気を問い詰めるように僕まで一気に詰め寄った。遥華姉と湊さんはいいとして、宮古先輩に誤解されそうだからやめてほしい。
「これ。私は知らないんだけど」
そう言いながら玲様は一枚の写真を僕に見せる。あぁ、そういえばそんなものもあったなぁ。特に驚くことはない。ウェディングドレスを着た僕が映っている。これは湊さんに見せてもらった一枚だ。
「いつ結婚したの?」
「してないよ。したとしてもその恰好で結婚式には出ないよ」
なんでみんなそんなことばっかり言うかなぁ。僕のことを何だと思っているんだろうか。これでも今ちょうど剣道の試合をして、しかも勝ったところだっていうのに、全然勝利の余韻に浸る時間もない。
「何にしてもよ! 私のいないところでこんな勝手は許されないわ」
「僕だってやりたくてやってるわけじゃ」
「いいから私にも見せなさい。どこにこのドレスはあるの? 借り物ならそこに買いに行くわ」
「買わなくていいから」
その写真で我慢してよ。また佐原先輩に捕まったら何を頼まれるか分かったものじゃないし。僕はもうこの三人だけでお腹いっぱいになるくらい振り回されてるんだから。
暴れた玲様の手から写真がひらりと落ちる。別に見られても困る人は、と一瞬見逃したのが命取りだった。
普段はいない人が一人、ここにいる。
宮古先輩は不思議そうに足元に落ちた写真を拾い上げた。
「これ、は?」
あ、ヤバい。僕の想像通り、一瞬にして宮古先輩の顔が変わる。すぐさま顔をあげて、僕の顔をまじまじと見た。
大丈夫。メイクだってばっちりのやつだ。きっとごまかしきれる。いとこっていうことにしているんだから似ていると言って押し切れるはずだ。
「これは、君なのか?」
そう思っていたのに。
「そうよ。私の直なんだから。どこの誰か知らないけどあげないわよ」
親戚回りで最近いなかった玲様には全然事情が伝わっていない。僕が止める暇もなく、堂々と道場に響き渡る声で宣言してくれた。わたしのもの、って言われるのは告白みたいで恥ずかしい。いや、お人形だってことはわかってるんだけどさ。
「そうか。君だったのか」
「いや、そのいろいろと事情があって、騙す気もなかったっていうか。そもそも僕はそういう趣味でもなくて」
言いたいことがまとまらない。宮古先輩だって一目惚れした相手が男だったなんて知ったならショックだろう。呆然として僕の顔を見ているだけだ。自分の事よりもそっちの方が心配になってくる。
「その、ごめんなさい」
全部僕が悪いわけじゃないんだけど、直接の原因は僕だろうし。でも返ってきた答えは僕の予想外のものだった。
「やっと会えた……」
「え?」
「一目見たときから素敵だと思ったんだ。ぜひ僕とお付き合いをしてほしい」
爽やかという印象だった宮古先輩の印象が急にベタついてくる。新しい面倒事が増えたという感覚だと気がつくのにそう時間はかからなかった。
「いや、僕は男なんですけど」
「真実の愛の前に性別なんて些細な壁だとは思わないかい?」
「僕は全然思いません!」
そりゃお互いに両想いだっていうならいいけど、僕は男の人に恋をするようにできていないのだ。そうだとすると、申し訳ないけどこの壁は厚く硬く高い。
「聞こえなかったの? 直は私のものなの。どこの誰かは知らないけど、負け犬はとっとと帰りなさい」
まるで自分の家みたいに玲様がびしりと告げる。ちょっとかっこいいけど、ここ僕の家なんですけど。
「僕は諦めないよ。それじゃまた学校で」
「いや、諦めてよ……」
僕のかよわいお願いなんて聞いてくれるはずもなく、宮古先輩は防具をしまって道場から出ていった。敗者はただ去るのみ、ってことなのかなぁ。剣道家としては尊敬できる精神ではあるんだけど。
「だから秘密にしてたのに」
宮古先輩が帰ったのを確認して、遥華姉は溜息をついた。
「え、先輩ってそうなの?」
「ううん、でもあの人考えが暴走しやすいの。急にめちゃくちゃな練習を思いついたりして。だから部長にもなれなかったし」
めちゃくちゃ、って遥華姉がそれ言う? もうちょっとくらい自覚してもらいたいところだよ、自分も同レベルだって。月野のじいちゃんのところにまで行くくらいだから、確かにめちゃくちゃなのはよくわかるけどさ。
「それにしてもさすが直くんだね。女の子がここに三人もいるのにそれを押しのけて告白されるなんて」
「全然褒めてないよ、それ」
「そうよ、直。あなたはもっと自分の可愛さに誇りを持っていいのよ」
「全然嬉しくない」
おかしいなぁ。ついさっきまで僕は男の約束を果たすために勝負をしていたはずだ。すごく男らしいシーンだったはずなのに。
「それにしても直、あなたは偉いわね?」
「何が?」
「私がいない間にこんないいネタを準備していてくれたなんて。そうよね、男同士の恋愛を描けば女の子を描かなくてもいいんじゃない」
「いやいや、じゃあ何のために今まで練習してきたのさ」
僕のコスプレ女装生活はまったく意味がなかったことになる。それならいっそこの世から全部なかったことにしてほしいんだけど。
新しい世界の扉を開きかけている玲様をなんとか説得するのに僕はまた足りない頭を捻ることになりそうだった。
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