恋する気持ちは竹刀を打ち合わせてⅢ

「いや、断じて違うよ! 確かに喫茶店と動物園で最近会ったんだけど、それは偶然で」


「そうなんですか。なんだかよく会う人がいるって。今日も心配みたいで遥華姉がついていったんです」


 僕の言葉に宮古先輩はどんどん余裕がなくなってくる。遥華姉はお菓子作りに行ったんだから嘘だ。そもそもスグハなんて子はいないんだし。味方に付けようと思っていた遥華姉もこんな調子だと知って先輩は頭を抱えたくなる気持ちなんだろう。


「とにかく誤解だ! 彼女にも伝えてくれないか?」


「先輩、言いにくいですけど、今は少し時間を空けた方が」


「しかし」


 まだ食い下がる先輩に僕は心の中でここだ、と決めた。こういう相手なら打ち込みのタイミングだって間違わずにいけるんだけどなぁ。


「それなら、僕と勝負しましょう」


「勝負?」


「再来週の木曜日、うちの道場で。僕が勝ったら先輩は諦めてください。先輩が勝ったら僕が誤解を解きます。それでどうでしょう?」


「わかった。その勝負受けて立とう」


 宮古先輩は二つ返事で承諾した。普通ならこんな話おかしいって気がつくはずだ。でも今の余裕のない状態ではそんな思考は回らない。意中の女性にどうやって近づくか、それで頭の中がいっぱいになっているのだ。チャンスとあらば食いつくしかない。


「男に二言はないよな?」


「もちろんです。男の約束です」


 うーん、こういうやりとりに憧れていた。その内容は全然憧れにないものだけど。これで勝負の約束は取り付けた。後は勝つだけだ。それがとっても難しいんだけど。


 なんていったって相手はインターハイ出場が決まっているのだ。何か集中力を乱すようなことができればいいんだけど、思い人は試合中にまさに対戦相手として対峙しているんだからやりようがない。


「それなら今日はおとなしく帰るよ。再来週の約束を楽しみにしているから」


 さっきまで顔を青くしていたのに意外と現金な人なのかもしれない。これで勝負の日まではうちに来ないだろうし、一安心かな。そう思った矢先に、湊さんが勢いよく門の陰から飛び出してきた。


「こんにちは! この間の写真出来たんだけど」


「うわぁ!」


 びっくりした。なんで湊さんはこう僕を驚かせるのが好きなんだろう。そして、その手に持っている封筒を見て、今度は僕が顔を真っ青にする番だった。


「あれ、お客さん?」


「そうなんだ。ちょっと居間に行ってもらっていい?」


「ふーん」


 そして、僕と宮古先輩の顔を見比べる。湊さんにはまだ先輩が僕の女装姿を好きになっていることを伝えていないのだ。きっと変な誤解をしている。ヤバい。とにかく早く居間に行ってもらわないと。


「この中身、早く見たくない?」


「見たいけど、ちょっと待っててよ」


 いたずらっぽく笑う湊さんは絶対に今の僕を見て楽しんでいる。さっきまでの僕と同じだから、これはきっと天罰なのだ。人の窮地は笑っちゃいけない。しっかりと心に刻んでおこう。


 宮古先輩が帰ったのを確認してから、なんとか居間に上がってもらった湊さんを追いかける。まったく心臓に悪いんだから。ただでさえ今日は疲れていて不意に強い衝撃を与えられたら僕だって心臓が止まってしまうかもしれない。

 居間に向かうと、自分の部屋と思っているかのように畳の上に湊さんが転がっていた。僕の気持ちも知らないで。


「今日のお昼ご飯は?」


「おそうめんだよ。お昼寝してたからこれから食べるんだよ」


「いいねぇ。夏はやっぱりそうめんだよね」


 夏のお昼ご飯はそうめん、というのはどうやら上流階級でも変わらないらしい。僕は冷蔵庫からめんつゆと用意してくれていた薬味のきゅうりと錦糸卵を取り出す。それからワサビのチューブ。そうめんは一度水で洗ってほぐした方がよさそうだ。

 湊さんの家ではどんな薬味が出るんだろう。みょうがなんかは僕はあんまり好きじゃない。めんつゆがお母さんの手作りってだけで充分豪華なのかもしれない。


「さっきのって遥華さんと一緒だった男の人だよね?」


 一度市街に行っているところを見ただけなのに湊さんはしっかりと覚えていた。そりゃ遥華姉に彼氏ができたかもと騒いでいた頃だったから、インパクトはあったに違いない。


「うん。話すと長くなるけど、一応遥華姉とは何もなかったみたい」


「じゃあその長いところ聞かせてよ」


 僕が話したらさっきどれほど危険だったかを理解してもらえるだろうか。湊さんなら笑い飛ばしてくれるかもしれないけど。封筒に入ったウェディングドレス姿の僕の写真にすっかり興味をなくして、机の端に置いたまま、湊さんは僕が語りだすのを今か今かと待ちわびている。


 あとで忘れないように回収しておかないと、お母さんに何を言われるか分かったものじゃないな。

 僕は居間の座卓に一人分のお昼ご飯を並べて食べ始める。湊さんは早く話して、って顔をして僕を見ているけど、食べながら話すのは行儀が悪い。ちょっと待ってよ。


「まぁ、そもそも遥華姉が宮古先輩と一緒にいたのは、僕が目的だったんだよ」


「直くん、ついに男の人に狙われるようになったの? 悪いことでもしたの?」


「何かやったように見える?」


 これでもまっとうな人間として生きてきたつもりなんだけど。そりゃお昼寝して家族一緒のお昼ご飯に遅れるくらいのことはあるけどさ。


 暑い夏の通りにくいのどにするするとそうめんが飲み込まれていく。自家製だから薄くなっためんつゆは最後に飲んでも大丈夫だ。僕は時々手を止めて湊さんに事の経緯いきさつを話しながらゆっくりと食べ進めていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る