恋する気持ちは竹刀を打ち合わせてⅡ
息をしているのか弱音を吐いているのかわからなくなった僕が床に突っ伏して口を開けている。それを見て遥華姉はなんだか満足げに頷いている。あぁ、じいちゃんの癖に似ている。そういうところを受け継ぐのはやめてほしいんだけど。
「ここまでついてこられたなら立派かな」
「ついてきたって言える、これ?」
もう起き上がる気力もないんだけど。じいちゃんの修行で慣れてる僕がこれなんだから、普通の人はもっと早くに音を上げている。でもついてきたからといって実力がそれに見合っているかといえばまた別の問題だ。
「それじゃ最後に素振りやって終わろうか」
「まだ、続くんだね」
これで終わりって言ってくれないところがまさしく遥華姉だ。そういうところがいいんだけど。
僕は最後の力を振り絞って立ち上がる。なんで自宅の敷地内で遭難した人みたいな状態になっているのかは未だに納得できないところがあるけど。
「じゃあ、二百本?」
「いくらでも一緒だよ。早くやろう」
それが終わらないと僕は倒れることすら許してもらえないのだ。黙々と素振りをする遥華姉は全然疲れているように見えないんだけど、なんだかいつものキレがない。もしかして僕は意外と遥華姉を追い詰められているんだろうか。
でも今日の練習を思い返してみるとそんな気は少しもしないな。せめて僕が遥華姉を場外に出すくらいの勢いがないと相手を疲れさせるなんてところまでいかない。そんな日はいつか来るんだろうか。
せっかく朝の涼しい時間から始めたのに、二百本も素振りを終える頃にはもうお昼が近かった。今日も夕方からバイトがあるんだけど、遥華姉はそんなこと全然覚えてくれていないんだろうなぁ。
「私はお昼からまた佑美のところに行くから、ナオもバイト頑張ってね」
どうやら僕の思い違いだった。遥華姉にとってはこんな練習では疲れに入らないらしい。これからまたお菓子作りの練習に行くのか。そんなこと言われたら僕だって頑張らないわけにはいかない。お昼寝は絶対するけど。
「よし、二百本終わりっ!」
最後の方はほとんど全部号令を任せてしまった。だってもう声も出ないんだもん。
「掃除は私がやっておくよ」
「いいよ。いつものことだから」
「いつもナオに任せてるからたまには私がやるの。ほら、シャワー浴びておいで」
押し切られるように道場から追い出された。試合が終わっても遥華姉の強さは種類が違うだけで変わらない。僕は道着のまま家に戻って、汗でびっしょりになった道着を水洗いしてから洗濯機に放り込んだ。
脱衣所にある姿見に自分の体を映す。
みんなに言われた通り、ちょっと変わったかもしれない。ボディビルダーみたいにちょっとポーズをとってみる。あんなに隆々とした筋肉なんてないけど、たるんでいる部分はなくなったように思える。
引き締まった体っていうのはやっぱり運動をしている人間の特権だ。足も腕も細く見えるのは変わらないけど、少なくとも女の子に間違われることはないだろう。これで女物の水着を着て砂浜にいたら警備員を呼ばれるくらいにはなっている。
でもこの体で勝てるかな? そう考えながらも頭の中に思い浮かぶのは、海で遊んだときのみんなの姿だ。違う違う、そうじゃなくって。
「もういいや。早くシャワー浴びちゃおう」
そして僕はお昼寝をするのだ。夕方からのアルバイトに備えるために。まだ高校生だっていうのに、そんなこと言っていたらあっという間に老け込んでしまいそうだけど、それだけ遥華姉の練習は厳しいのだ。
道場の片付けもお願いしておいたし、安心してお布団に入ろう。と言っても暑い日だから窓を開けて扇風機を回して薄手のタオルケットをかけるだけ。こういうときは畳の部屋の楽さが身に染みる。
すっかり日焼けして黄色くなってしまった畳からはいぐさの青い匂いはしない。でもなんとなく落ち着く香りになだめられて、僕はすぐに寝息を立てていた。
目覚めるともう一時を過ぎていて、お昼ご飯を食べていないことに気付く。心配しなくてもそうめんだろうから、冷蔵庫から出すだけですぐに食べられるだろう。
まだ覚めきっていない目を擦りながら部屋を出て居間に続く縁側を歩いていると、風通しをよくするために開けっ放しになっていた門の向こうに最近僕を悩ませている人の姿が見えた。
「宮古先輩?」
中を覗くように首を伸ばしている。やっていることは不審者そのものなんだけど、あのイケメンがやっているとなんだか恋愛映画のワンシーン、家族によって引き裂かれた愛する二人の
ただその想い人は空想上の人物で、現実には存在しないんだけどね。現実はいつも非情にできているのだ。
僕は縁側のつっかけに足を入れて、何をやっているかわかりきっているのにわざとらしく声をかけた。
「遥華姉を探してるんですか?」
「あ、君は。小山内道場の」
「直です。遥華姉がいつもお世話になってます」
ちょっと変な言い回しだったかな? でも他にいい言葉も思いつかなくて、僕は会釈をする。宮古先輩もそわそわとしながら会釈を返した。
「いや、こちらにスグハさんという女性がいると聞いて」
「今は遥華姉と出かけてますよ」
「そうですか」
残念そうに宮古先輩は肩を落とす。あれ、もしかしてこれって宣戦布告に絶好の機会なんじゃないだろうか。スグハ、僕の女装姿を追いかけてきた宮古先輩。でも僕がそれを迷惑がっていると聞いて追い出したいということにすれば。嫌がるなら剣道で白黒つけようといえば乗ってきてくれるんじゃないだろうか。
「あの、先輩」
「なにかな?」
「最近スグハのことをつけまわしているのって先輩ですか?」
そんなことしていないのはわかっている。むしろ一度目はこちらがつけていったんだから。でも先輩は嫌われていると思ったのか、顔を青くして両手を振った。ちょっと面白い。
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