四章

恋する気持ちは竹刀を打ち合わせてⅠ

 作戦はあまりにも単純であまりにも無謀だった。


 いとこに何かと絡んでいるという話を大袈裟に聞いた僕が宮古先輩に勝負を挑んで勝つ。そして言うことを聞いてもらう。つまりもう女装した僕に近づかない、という約束をさせるというものだ。


 勝負と言っても剣道で試合をする、っていう形になるとは思うんだけど、遥華姉じゃ強すぎて賭けに乗ってもらえないかもしれないから、ここは僕が出るしかないという話になった。


 相手はインターハイ出場が決まっている全国レベルの相手。それに比べて僕はブランク約四年の初段。普通に考えたら勝ち目なんて少しも見当たらないんだけど。


「ナオなら絶対勝てるよ」


 と遥華姉は僕の勝利を少しも疑っていない。決行は再来週の木曜日。部活に乗り込む形で高校の剣道場で証人代わりの部員に見られながら勝負をつける。これで負けたら目も当てられないんだけど。

 それまでにしっかり練習して、なんとか勝てるようにするしかない。不安いっぱいだけど唯一希望はある。その修行をつけてくれるのが他でもない遥華姉だってことだ。自分の強さに疑問はあっても遥華姉の強さには曇り一つない。それを信じて練習すればきっとなんとかなる。


 高校生の夏休みはとっても忙しくて、そろそろ宿題もお尻に火がついてきているし、アルバイトだって休めない。その合間を縫うように時間を作っては、遥華姉の厳しい修行についていかなくちゃいけない。


 しかも内容は超がつくほどのスパルタだった。実戦主義のじいちゃんに教えられてきただけのことはある。とにかく試合形式で戦っては悪いところを指摘され、また試合に戻る。そんな無謀な内容だった。


「また、縮こまっちゃって。打ち込まないと勝てないんだよ?」


「だったら打ち込む隙を見せてよ」


「十分見せてるって。ナオには飛び込む勇気が足りないの」


 勇気って言ったって。相手はトラにも勝てると豪語する巨神兵なのだ。もちろん理性があって、せいぜい防具の上からでも痛いで済む話だって頭ではわかっている。でも練習とはいえ戦いの中にある遥華姉は本当に同一人物かと疑いたくなるくらいの恐怖をまとっているのだ。


 これに月野のじいちゃんを足しての練習に一応耐えた宮古先輩はかなりの実力者に違いない。それに勝たなきゃいけないのだ。なによりも僕の平穏な生活のために。


「じゃあもう五分いこっか?」


「……はーい」


 休憩もそこそこに笑顔で言ってくれる遥華姉になんとか答えを返した。さすがに夏も本番、遥華姉の髪も汗でしっとりと濡れている。普段あんまり見られない姿だから変な感じがする。海でだって同じようなものだったはずなのに。


 いつ見ても道場に置くには違和感のあるスポーツ用の大きなタイマーが音を立てる。そこから時間が減っていってゼロまで来ると僕はこの恐怖から解放されるのだ。

 中段に構えた遥華姉が気合を飛ばす。毎回ここからスタートだ。面が音を素通りさせているんじゃないかと思うほどの声が僕の両耳に届く。それだけでもう押されているのがわかった。そもそも中段に構えているってことは本来八相はっそうの構えの遥華姉は手加減しているってことだ。それなのにこの威圧感なんだから恐ろしい。


 打ち込まれる面を竹刀で守り、つば迫り合いで押し返す。でも力でそのまま勝てるはずもなく、じりじりと腕の力を奪われていく。


 力も技術もある。でも一番怖いところは冷静さだ。

 ただ押し込んでくるだけならいくらでも対処法はあるけど、力を横に逸らそうとするとうまく合わせてまた鍔迫り合いの形に戻される。意を決して打ち込みに行くと今度はその隙を突かれて打たれる。これでどこに隙があるって言うんだろう。

 そしてちょっとでも守りの意識が抜けてくると、その意識の合間を縫うようにして、寸分違わない打ち込みが面、胴、小手に飛んでくるのだ。


「ほら、もっと頭使って」


「頭使わせる時間がないよ」


「ある。私にはあるもん」


 そんなむちゃくちゃな。指導ってなると急に人が変わったようになるんだから。この遥華姉を見て何度も習いたいと思う剣道部員たちは筋金入りのマゾヒストなのかもしれない。僕も他人の事は言えないんだけど。

 小手に飛んできた竹刀の先を腕を下げてかわす。これも間違いだ。竹刀は振り上げてから振り下ろすもの。どうせなら上げてかわした方が後の展開がいい。


 そこで、ふと気がつく。剣道のセオリーならそうだ。でも僕にはもう一つ技術がある。居合の早さを剣道に使えば、あるいは。

 下げた腕をそのままに手首の力を抜いた。自然と竹刀は重力に引かれて剣先が床に向かって落ちていく。すると、持っている方、つまり柄の方は妙に軽くなる。その一瞬を使って一気に頭の上まで剣を持っていくのだ。


 するといつの間にか竹刀は頭の上に掲げられているのだ。普通の剣道ではない動き。でも当然遥華姉は知っているわけで。あっさりと見切られて面打ちを弾き返すとその勢いを殺さないまま、僕の低い位置にある胴に剣を伸ばす。一度手加減って言葉を辞書で引いて調べてほしいよ。


 それもなんとか腕でふさいで、僕は痛みに飛び上がるように後ろに下がって距離をとった。真剣なら斬られて腕がなくなっている。剣道のルールを逆手に取ったズルい防御。そんなことまでやらないとしのげないのだ。


「ほら、油断しない」


 油断なんて全然してないよ。そんなことをさせてくれる余裕すら与えてもらってないんだから。今の僕にあるのは、目の前に飛んでくる攻撃をどうやって一本にさせないかっていう後ろ向きすぎる思考だけだ。


「ほら、次!」


 気勢じゃなくて教えてくれるところが手加減のつもりなのかな? だとしたらそれはあまりにも厳しすぎる。両手でしっかりと握った竹刀が折れるんじゃないかと思うほどの衝撃を受け止めて僕は場外へと弾き出された。

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