夏の砂浜は水着で視線を独り占めしてⅤ

 あー、あー、本日は快晴なり。車の窓から望む空は青。広がる海も青。快適な冷やされた空気の中冷たい麦茶を飲みながら、目的地まで運ばれていく。


「いやー、旅行なんて楽しみだよ。今日まで我慢して店で正座してた甲斐があるって」


 僕の向かいに座った湊さんはグラスを掲げてぷはー、なんて言っている。それアルコール入ってないよね?

 ラフなティーシャツにゆったりとしたオーバーオールを肩にかけずに垂らしている。少し夏仕様に染め直したのか、少し明るい色になった気がする。校則違反になりそうだけど、たぶん二学期までには戻すんだろう。


「まったく、調子がいいんだから。着く前にお腹壊しても知らないわよ」


 隣に座った玲様は飾り気の少ない白のワンピースでまさに避暑地に向かうお嬢様って感じ。迎えに来たときは大きな麦わら帽子もかぶっていたんだけど、それはもう邪魔になったのか今は莫耶さんの膝に乗せられている。

 高校生の旅行なんてその体力に任せて重い荷物を抱えて電車やバスに乗り込むものだけど、僕たちはこんなに楽して目的地に向かえるのだから、玲様には感謝しないとな。


「あとどのくらい?」


「残り十分ほどですよ」


 もう海はそこまで見えている。今日から三日間、ここで夏を満喫する予定だ。遥華姉の合宿に日程も場所も完全に合わせてある。キャンプ地にある野外炊事のスペースでバーベキューだってできる。さすがに練習中に道場を覗くつもりはないけど。

 遥華姉にもこのことは伝えてある。さすがに部活の仲間をないがしろにはできないからちょっとだけって話だけど、かなり喜んでくれていた。むしろ自分たちは合宿所なのに、僕らはざこ寝とはいえ旅館の広い団体部屋。ズルいとすねられたくらいだ。


「はぁ、なんかもう疲れてきたわ。部屋に着いたら休みたいわよ」


「早いよ。海はもう私たちを待ち望んでるよ」


「望んでない、望んでない」


 玲様は計画を立てる段階でもう体力を使い切ったみたいで柔らかく沈む座席に体を埋め込んでいる。湊さんは逆に今にも窓から海に飛び込みそうな勢いだ。この二人をぎょしながら三日も過ごすなんてなかなか難しそうだ。


「直様、もっと楽しそうな顔をしてください」


「いや、先行きが不安で」


 楽しみなことには変わりない。だってどこかに出かけるときっていうのは、いつも練習がついて回っていた。今までの僕にとってどこかに行くということはつまり修行の環境を変えるってこととセットだった。だからいつの間にか出かけるのが楽しくなくなったのかもしれない。


 僕の出不精の原因ってこんなところにあったのか。それじゃもしかするとこれを機に治ってしまうかもしれない。現状新しいトラウマが生まれる可能性と半々だけど。


「ご安心ください。玲様は我々でおもりしますから。直様はご旅行を楽しんでくださいね」


「ちょっと。なんで私が迷惑かける前提で話が進んでるのよ」


「それは失礼いたしました」


 口では謝りながらも莫耶さんは澄ました顔で返す。それを聞いて玲様は怒るでもなく頬を膨らませた。やっぱりいい関係だ、この二人は。


 玲様が選んだというだけあって、古風な門構えの旅館はせいぜい地元民の観光地にちょっとおまけがついた程度の安生には豪華すぎるほどだった。入ったらすぐに仲居さんが出てきてお迎えしてくれる。スリッパも厚みがあって、廊下の感覚がわからないくらいだ。


 一泊どのくらいするんだろう。バイト代があるから自分たちで行こうという話をしていたんだけど、ここの宿泊費は中条家持ちになっている。玲様のお母さんがみんなで旅行に行くなら、と出してくれることになった。あいかわらず娘には超甘い。

 通してもらった部屋は一、二、三、……二〇畳。五人寝てもかなり余裕がありそうだ。湊さんが枕投げをしたいと言っても大丈夫だろう。荷物を部屋の隅に固めて置く。すると、座卓にあったお茶菓子に玲様が早くも手を伸ばした。


「ふぅ、なんかもう旅行したって感じね」


「早いって。ほら、玲。早く海行こうよ」


 同じ時間に同じルートで来たっていうのにこのテンションの差。僕たちはバイトの夏休みの後半。だらけているのが普通になっている頃。対して湊さんは昨日まで家の手伝いで働き詰めでやっと解放されたのだから当然と言えば当然か。


 木張りでカモフラージュされた冷蔵庫を開けると、たくさんのビールとジュース。でもその中から一本ウーロン茶を見つけて取り出した。どちらかと言えば今は僕も玲様派だ。遥華姉は今頃道場で練習中で、海に来るのは夕方からって言っていた。だったら今はのんびりしていてもいい。


「そういえば温泉もあるらしいね」


「あぁ、それもいいわね」


「なんか老夫婦みたいになってる」


 そう言いながら湊さんも冷蔵庫に手を伸ばす。柑橘系の炭酸飲料を取り出してきた。テンションの差が飲み物にまで表れている。

 座卓についた僕と湊さんを見て、玲様は入り口の方に目を向けた。そこには当然、という涼しい顔をして、干将さんと莫耶さんが立っている。僕たちは旅行だけど、二人はあくまで玲様のお付きとして仕事に来ているのだ。


「二人ともこっちに来なさい。このおまんじゅうおいしいわよ」


 甘さ控えめのおまんじゅうはこの暑さの中ではちょうどいい。車の運転も大変だったろうし。


「別にお酒も飲んでいいわ。どうせお母さま持ちなんだから」


「我々は職務中ですから」


「バレなきゃ平気よ。私だってお客さんのいないときにつまみ食いだってするもの」


「だから眞希菜さんに怒られるんだよ」


 黙ってなさい、直、と玲様は僕を睨む。ちょっといい話してるときに悪かったよ。


「それにそんなところに立ってたら私の気が休まらないでしょ」


「しかし、夕陽ヶ丘や凪葉とは違いますから」


「大丈夫よ。いざとなったら直が守ってくれるから」


「え、僕なの!?」


 遥華姉なら安心できそうだけど、僕じゃ二人の代わりになるには頼りない気がするんだけど。でも、僕以外にそう思ってくれている人はいないみたいで、干将さんと莫耶さんは頷いて座卓に座った。


「二人とも今のやりとりちゃんと聞いたわね?」


「はーい。もう面倒なことするよね」


 湊さんはいつものこと、という感じで軽く答えた。いや、僕は今かなり重大な任務を請け負った気がするんですけど。


「こうしておかないと、もしお母さまに何か言われたときに言い返せないもの」


「でもそんなことで怒ったことないんでしょ」


 つまり、玲様が二人を休ませるための口実作りの小芝居だったってことか。せめてわかるようにやってほしいよ。真剣な顔で話されると息が詰まってしまう。


 本当にいつものやりとりだったみたいで、全然気にした様子のない干将さんと莫耶さんは当然のようにお饅頭を頬張っている。いい関係だけど、ちょっと変わっている。玲様のお人形である僕が言うことじゃないけど。


 結局ほのぼのとおやつから始まった旅行はゆるりとした速度で進んでいく。

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