二章

夏の砂浜は水着で視線を独り占めしてⅠ

 その後、本当に宮古先輩とは何もないみたいで、特にいつもと変わらない遥華姉だった。やっぱり僕の勘が外れただけだったのかな、と思いながらも、なんとなくまだ安心できないような気がしていた。


 前回あれだけキツい別れ方をしたわけだからそうそう簡単に次のお出かけなんて計画できないだろう。三年生なら次の大会が引退試合ってことになる。それに乗じてまた遥華姉に頼みごとをするかもしれない。遥華姉はそういうのはきっと断れないだろうし。


「何考え込んでんだ?」


 レストランでのアルバイト。ピーク時を越えてずいぶんと落ち着いたホールを見ながら考えこんでいると、お盆の底で頭を叩かれた。こんなことする人は一人だけ。見上げるように振り返ると、当レストランの料理長、眞希菜まきなだった。でも料理長なんて言って茶化すのはオーナーの朱鷺子ときこさんだけで、僕が言うとこうしてお盆が降ってくる。


「仕込みは大丈夫なんですか?」


「あぁ。なんとか使えるようになったからな」


「やればできるんですよ、やれば」


 もちろん玲様のことだ。夏休みに入って時間ができたのとお客さんの数も増えたことで毎日ぎっしりシフトが入っている。それでも四人いればお店の方は全然問題なくて、こうしてちょっと早く片付けを済ませて、ぼうっとしているくらいは許されている。


 玲様はすっかり厨房補助役としての仕事ができるようになって、こうして眞希菜さんもちょっとくらい休めるようになった。表情も柔らかくなって、朱鷺子さんから言い渡されていたホール禁止令も解かれている。結局お客さんのいるときには出てこないけど。


「それで何かあったのかよ?」


「あったんですけど、これから何かありそうで」


 なんだそりゃ、と呆れたように言った眞希菜さんにこの間の一件を話してみる。自分一人じゃどうにも解決できないなら、こうして話してみるのがいいのかもしれない。


「うーん、よくわかんねぇな」


 でもやっぱり人選っていうのは大事だよね。高校をやめてしまったという眞希菜さんにはあんまり経験がないらしい。よくおじさんのお客さんに絡まれては怒鳴ってた、って朱鷺子さんも言っていたし。


「ただ相手の男をぶっとばすっていうなら付き合ってやってもいいぞ」


「そんなんじゃ解決にならないよ」


 あと遥華姉を妙に神格化しているのも困ったものだ。確かに憧れる気持ちはよくわかるんだけど、眞希菜さんの場合は崇拝に近い。宮古先輩と並んで正直遥華姉とあまり会わせたくない人だ。


「ま、近づけさせなきゃ問題ねぇだろ。巨神兵も気をつけろって言ってたんだろ」


「そうなんですけど。部活が同じだから簡単にはいかないですよ」


「適当に理由つけて引っ張りまわせばいいだろ」


「そんなうまくいくかなぁ」


 とりあえず貴重な意見として聞いておこう。実践するかはまた別の話だ。

 少し遅めの来客をさばいて、片付けを済ませると一日のお仕事は終了になる。そして今日は月に一度のありがたい日だ。


「はい。今月分ね。無駄遣いしないように考えて使うように」


「はい、ありがとうございます」


 朱鷺子さんのありがたいお言葉とともに茶封筒が渡される。

 お給料日は昔ながらの手渡し式。自分が頑張った分がそのまま重さとして自分の手に置かれる。なんというかいい感触だ。


 そうだ。今年は去年と違うことがある。これがある。現代社会において何をするにも必要なもの。お金。それが今はそれなりにあるのだ。遥華姉をどこかに連れていくことも不可能ではない。ついでにいえば玲様にお願いすれば干将さんに車も出してもらえるし、幼馴染孝行もやって悪いことじゃない。


「直は何かに使う予定があるの?」


 僕がじっと給料袋を見つめているからか、玲様が覗き込むように僕の顔を見た。相変わらず距離感が近い。玲様は全然気にしてないみたいだけど、そうされるといろんなところが当たるから僕としては反応に困るんだけど。


「うーん。みんなでどこか行きたいよね」


「あら、直にしては珍しいこと言うのね」


「僕だってたまにはそういうときもあるよ」


 それに僕から言わせれば玲様が活動的すぎるだけだ。いったいその小さな体のどこからそんなパワーが湧いてくるんだろうか。


 やると決めたら徹底してやる。妥協は許さない。そういう精神はなんとなく遥華姉に通じるところがある。やっぱり僕はこういう頼りになる女の子にいいように扱われる運命にあるのかもしれない。


「そうね、山はこの間登ったし」


「玲様は登り切ってないよ」


 ついでにいえばあれは山登りとは言い難い。ただ月野のじいちゃんが変なところに住んでいるってだけの話だ。夏休みに山に行くって言ったら、もっとバーベキューとかキャンプとか川釣りとかもっと楽しい思い出とセットになってくれないと。セーラー服着て舗装された道を上がっただけじゃ味気ない。


「そういうことじゃないのよ」


「僕が言ってる山登りもそうじゃないよ」


 ややこしいわね、と玲様はちょっと口を尖らせる。たまに見せる子どもっぽいしぐさが僕を惑わせる。


「夏と言えば、海でしょう?」


「海かぁ」


「なんだか嫌そうね」


「僕にとっては海は冬に入るものだったからね」


 寒中稽古。じいちゃんによくやらされた。あんなので強くなれるなら日本中が剣道有段者になれるよ。そりゃ精神は鍛えられるかもしれないけどさ。それに遥華姉を海に連れていくと、水の抵抗は自然の負荷だから稽古に最適なんだよ、とか言い出しかねない。いや、普通の人間はそんな水の塊を蹴り上げられないから。

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