探偵はお供にあんぱんと牛乳を連れてⅦ

「直様にはありませんよ。玲様のお友達ですから」


 見つかるはずもないのに、服をつまんだり、目を凝らしたりしている僕に干将さんがそっと教えてくれる。今あそこにいるのは監視対象だからいいってことなのか。なんだかんだで玲様も気になっているのだ。僕が思っている以上に遥華姉も大切に思ってくれている。それがなんだか嬉しかった。


「でも市街ではなかなか揃わないものってないよね」


「ネット通販がとっても便利よ」


「だったらなおさら外に出ないよ」


 まずいな、玲様がひきこもりへの一歩を踏み出し始めている。アルバイトでしっかりお小遣いも手に入っているだろうし、心置きなく欲しいものも買える。マンガは家でも描けるだろうし、たまには連れ出さないと本当に部屋から出てこなくなってしまいそうだ。絶対に最後の砦であるベッドは買わせないようにしよう。


 そうこうしていると、やっぱり待ち合わせだったらしい遥華姉がゆっくりとバスの待合室に入ってきた。ってことは時間より先に男の方が待っていたってことだ。できる。あの爽やかイケメン、顔だけじゃなくて心もしっかりできている。

 そして、やってきた遥華姉の服を見て、玲様もやっぱりびっくりしているみたいだった。


「ねぇ、直。あれで本当にデートじゃないって感じだったの?」


「本人はそう言ってたんだけどね」


「私がこんな格好でいるのが恥ずかしくなるわ」


「僕と比べたら全然平気だよ」


 玲様は着ているシャツのちょっと緩い胸元を引っ張った。僕は瞬時に玲様から顔を背ける。


 淡いブルーのシャツに足元の裾が広いガウチョパンツを履いている玲様は、すっかりカジュアルスタイルに慣れ親しんでいる。少し前までは今僕が着ている制服で休日も出かけなくちゃいけなかったんだから、おしゃれができるのは楽しいんだろう。

 僕は何も考えないでいい制服の方がいいと思っちゃうけど。


 対してこっちは女装して来ているのだ。しかも人の集まる駅のバスターミナルに。それを考えれば、遥華姉が前日からしっかり準備を整えている方がよっぽど年頃の女の子の行動としては正しいと言える。まったくなんで僕たちは休日にこんなことをしているんだろう。やっぱり緊張した面持ちで話の盛り上がっていない二人を見ながら、僕は小さく溜息をついた。


 やっぱりバスに乗るつもりだったみたいで、終日ほとんど列すらできない閑散とした乗車口にゆっくり吸い込まれていく。でも行き先はなんで葛橋かつはしの方なんだろう。

 葛橋っていうのはここから北の町で、ひどい言い方をしてしまうと山以外に何もないような田舎町だ。夕陽ヶ丘の辺りも田んぼしかないからどんぐりの背比べではあるんだけど。あんなところに行ってもあるのは山ばかり、いったい何を。


「まさか、クマ殺しとか」


「マンガの読み過ぎじゃないの?」


「そうだよね。遥華姉がいまさらクマなんて倒しに行くはずないか」


 確か中学生のときに林間学校でクマと遭遇して戦ったって言ってたっけ。かわいそうだから逃がしてあげたって言ってたし、急にやっぱり倒したくなったってことはないだろう。


 それにクマを倒しに行くならあんなおしゃれなんてしていかないはずだ。山の中にも入る気はないだろう。だとしたら葛橋にしかないものなんて何かあったかな?


 バスに乗り込んだ二人を追って、干将さんが出してくれたいつもの黒い高級車へと飛び乗った。これもこんな風に私用でいつも使ってるけど、冷静に考えたらすごく目立ちそうだ。こんな田舎町で何台も走っているような車じゃない。


 葛橋に向かう道路に走っていたらたくさんの人の目を引くだろう。僕たちはさっきから尾行と言いながら少しも隠れる気がないんじゃないだろうか。


 バスの三台後ろを追いかけながら、車内ではいつものお茶の時間兼相談時間が繰り広げられていた。

 内容はもちろん、葛橋なんかに何の用があるのかってことだ。


「また何か有名なお店でもあるんですか?」


「おそば屋さんや、パン屋さんがあるみたいですが、高校生が二人で行くでしょうか?」


「まぁ、なくはないけど。ちょっと弱いわね」


 おそらく初デートということになるはずだ。遥華姉は違うって感じだったけど、そこでそのチョイスはちょっと首をかしげる。だったら市街で遊んでいた方がいい気がする。僕はそんな経験ないからわからないけど。


「何か遥華が喜びそうなものってないの?」


「葛橋に? 昔じいちゃんと行ったことはあるけど」


 そこで僕は子どもながらに退屈だったことを思い出す。何があったのかはよく覚えていないけど、待たされることになって、僕は何もない景色の中でとにかく暇を潰すのに苦労をした覚えがある。結局じいちゃんについていって、そのとき居合を教えてもらったのだ。


 そうだ。じいちゃんじゃなくてあの人に。


「そっか月野つきののじいちゃんのところだ」


「誰よ、それ?」


「夕陽ヶ丘に鉄海てっかいあり、葛橋に晃流のぼるあり」


 僕が言った言葉を聞いても玲様にはぴんと来ていないようだった。まぁ、玲様は剣道をやっていたわけじゃないからそれでもおかしいってことはない。地元じゃ有名、と言いつつもそれは剣道経験者の間だけだし、最近は遥華姉の巨神兵伝説に押され気味だったりする。


 月野晃流つきののぼる。うちのじいちゃん、小山内鉄海おさないてっかいと並ぶ地元の名剣士だ。じいちゃんがスポーツ剣道にも理解を示して道場を開いているのに対して、月野のじいちゃんはスポーツは剣の道を曲げると言って葛橋の山奥で一人剣術に明け暮れている変わった人だ。

 それでも実力はじいちゃんとまさに伯仲。そして一番の仲良し。今でも自分に行き詰まった剣道家やスポーツ選手が月野のじいちゃんの教えを請いに来るらしい。僕も一度習いに行って、そのとき体が小さくても斬ってしまえばそれで終わり、という居合の強さに惹かれたのだ。


 ってことはあの男は剣道部員か道場生なんだろう。そうでなければわざわざ葛橋までやってくる理由が他に思いつかない。遥華姉のあの気合の入ったファッションも月野のじいちゃんのご機嫌をとるためと考えれば、説明がつく。

 それにしてもわざわざ葛橋までやってくるなんて、相当行き詰まってるのかな、あの人。なんだか今まで敵視していたのがかわいそうになってくる。いやでもまだ油断はできない。月野のじいちゃんを訪ねるのだってあの男の作戦のうちかもしれないのだ。


 葛橋のバス停に着くとここから面倒な山道になる。一応整備はされているけど、歩く以外に方法はない。あのくらい登れない奴に会うつもりはない、とか月野のじいちゃんが言っていたような気がする。最近は本人が辛いらしいけど。

 僕らも車から降りて、ここからは歩きになる。スカートに慣れないローファーだけど、僕は大丈夫そうだ。ミュールの遥華姉は大丈夫かな。って思ったけど、それより体力のない玲様の方が何倍も心配だった。


「なによ、その目は?」


「いや、玲様って山とか登れるのかなって」


「バカにしないでよ! これでもバイトのおかげで体力もついたわ」


 肉体労働でもないレストランのバイトで体力がつく方が心配だよ。元はどれだけ低いのかって話になる。増々不安が重なっていく。


「ご心配なく。我々が抱えて運びますから」


「だから、そんなことしないでも平気だって言ってるの!」


 玲様の強気がどれほど持つのか楽しみだ。

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