探偵はお供にあんぱんと牛乳を連れてⅤ

 これは遥華姉ですか? はい、遥華姉です。


 中学校で最初に習う英語の訳文みたいな言葉が頭を流れる。

 夏を先取りしたような真っ白なカットソー。背が高いからよく映える。薄いブルーのサマーカーディガンにちょっとしたブレスレットまでつけちゃって。七分丈のデニムから伸びる足はきれいな白でたぶんミュールなんかを履くんだろう。


 完全にキメてる。明日はデートだ。もう聞かなくったって鈍感な僕でもすぐにわかる。


「これ、似合ってるかな? 変じゃない?」


「全然変じゃないよ。っていうか遥華姉は僕よりファッションに詳しいんだから心配ないよ」


「でも、私はナオに着せるのがメインだし」


 それをやめたからこうして自分の方に目を向けてくれるようになったんだろうか。控えめに言っても美人だし、今なら僕に女装をさせて町中を連れまわしていた遥華姉の気持ちもちょっとだけわかる。連れまわしてみんなに自慢したい。

 でもこれは僕のためじゃなくてあの男のためなのだ。


「明日、どこかに出かけるの?」


「うん。でもなに着ていけばいいかわからなくて。普段着でもいいのかなぁ」


「それで十分だと思うよ。剣道するわけじゃないんだから」


 僕がそう言うと、遥華姉は一瞬考えるような表情をした。剣道をやる予定があるんだろうか。遥華姉のことだから、途中で誰かに絡まれたときのこととか考えているかもしれないっていうのが怖いところだ。


「誰かと出かけるんだ」


「うん、ちょっとね」


 短く答えた遥華姉にもっと深く聞きたい。それは本当にちょっとなんて言葉で表せる相手なのか、って。でもそんなこと聞いたって、僕の望む答えが返ってくるわけじゃない。


「ナオ以外の男の子と出かけるなんて経験ないから不安だったの。やっぱり聞いておいてよかった」


「僕のセンスを頼りにしないでよ」


 自慢じゃないけど、ファッションに関してはさっぱりだ。遥華姉がどんな服を着てきても、僕はまったく同じように似合ってる、とだけ言うだろう。それでも誰よりもまず僕に見せに来てくれたってことが嬉しかった。

 大丈夫、僕はまだ頼りにされている。そんな甘えた思考が頭に浮かぶ。


「それにしても男の子と出かけるなんて珍しいね」


「ちょっとね。ナオは心配しなくても大丈夫だから」


「別に心配してるってわけじゃ」


 この気持ちは心配なんだろうか。遥華姉があの男とうまくいくかが心配? それってどっちなんだろう。うまくいってほしいのかほしくないのか。それすらもわからない。今の僕にはわからないことだらけだ。


「大丈夫。絶対無事に帰ってくるから」


「本当に何なの?」


 それだけ言うと、遥華姉はすぐに自分の家に帰ってしまった。僕の気持ちもそうだけど、遥華姉もよくわからない。あれだけ気合の入った服まで用意しているのに、無事に帰ってくるってどういうことだろう。少なくともデートの前日に口から出てくる言葉じゃない。


 一緒にどこかに討ち入りにでも行くんだろうか。僕たちには前例があるだけに冗談じゃすまないのが怖いところだ。


「もういいや。明日考えよう」


 明日は玲様も一緒だし、家の手伝いがなければ湊さんもきっと来るだろう。そしてしっかりと尾行をして、あの男の本性を暴いてやるのだ。

 遥華姉と変わらないくらい物騒なことを考えながら、僕は明日に備えて早めに休むことにした。




 翌日、僕は遥華姉より先に家を出た。限定品が出るということでもなければ、この田舎で朝早くから行列に並ばないといけないってことはない。僕は少し遅めの朝ごはんの後、昨日の報告をするために玲様の家に向かった。


「あら、来たってことはやっぱり遥華はデートなのね」


 ようやく道順を覚えた広い庭を越えて玄関に辿り着くと、ちょっと楽しそうな声で玲様が迎えてくれた。いつもは黒服の誰かが出てくるから待ってたのか偶然か。


「でも昨日の話しぶりだと、デートって感じでもなかったよ」


「でも男と出かけていることに違いはないわ。遥華はそうじゃなくても相手はどう思ってるかわからないんだから」


 確かにそうだ。自分はデートのつもりで呼び出して、あの遥華姉の気合の入った服装を見たらどう思うだろう。脈ありだと思ってしまいそうだ。まぁそこで調子に乗って手を出したら、無事では済まないだろうけど。


「それじゃ、こっちも動きやすいかもしれないわね」


「何か作戦でもあるの?」


「もちろんよ。私を誰だと思っているの?」


 玲様だよ。それ以上でもそれ以下でもない。他に形容する言葉が見当たらないほど、玲様はいつだって自分を持って生きている。たまにはもう少し譲ってくれてもいいのに。


 玲様は手招きをして僕を部屋の中へと誘った。もう何度も入っているんだからいまさらそんな趣向なんていらないと思うんだけど。

 そして誘われるがままに入った僕はそこまで来てようやく気がつく。僕はこうして何度となく着替えさせられてきたのだ、と。でももうネタがないって言ってたし、大丈夫だよね?


「というわけで、これに着替えてちょうだい」


「え、これって……」


 僕の部屋と同じように畳敷きにちゃぶ台と本棚とタンスという質素な趣の部屋。だったんだけど、今の玲様の部屋は大きな机とそこにパソコンと何やら絵を描くのに使うらしい名前のわからない機械が置いてあるちょっと手狭な部屋になっている。


 その中央、ちゃぶ台の上に置かれた服を見て、僕はさすがに困惑した。ネタがないって言ったって、こんなの無理に着せることないじゃない。


「私が前に着てた制服よ。まだ着せてないと思って」


「いや、これはさすがに」


 誠心女子高等学校。玲様が転校してくる前に通っていた私立のお嬢様学校だ。僕にはまったく縁もゆかりもない女子高の制服。これを着ろっていうの?


「私と身長も変わらないんだから大丈夫よ。他の服だって入ったし」


 いやいや、そういう問題じゃなくて。前に玲様が着てたってことでしょ、これ。うちの高校の制服も前に着せられたけど、それは新しく買ったやつだったし。玲様が昔着ていた制服。それだけで僕は恥ずかしくなってくるのに、玲様は平気なんだろうか。


「ちゃんとクリーニングにも出してるってば。気にしなくていいのよ」


「いや、気にするよ」


 本当にこのお嬢様の恥ずかしさの基準が全然わからない。でもこうなると断れないのも事実だ。着たところで僕から発せられる庶民オーラは消せないと思うんだけどなぁ。僕は玲様を部屋から追い出して、生つばを飲み込んでからしかたなく制服に袖を通した。

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