割烹着は台所で躍動してⅧ

 僕が少しずつ食べ進めている間に湊さんの指導で今度は玲様がオムライスに挑戦している。出来上がったら食べなきゃいけない。本当なら女の子が僕のために作ってくれる料理なんて幸せ極まりないはずなのに、ちょっとだけ憂鬱な気分だ。


 湊さんの作ったオムライスはなんだかちょっぴり和風の味がする気がした。別に調味料を変えたわけじゃないし僕の中のイメージがそうさせてるのかな。


「そうそう。上手じゃん」


「当たり前よ。さっきも見てたんだから」


 最初は同じ大きさにたまねぎを切ることも出来なかった玲様が今は一度見ただけの湊さんの手付きを見事に真似している。あれだけの量を作ってきたんだ。一人でやっている間に玲様は上達している。一人の練習じゃわからないなんて道場で考えていた自分が恥ずかしい。ちゃんと考えて努力すれば結果は少しずつでも確実についてくるのだ。


「出来たわ、完璧よ」


 自信満々に差し出されたオムライス。心なしか今までのものよりも表面に艶があるように思える。ケチャップで描いたハートマークも玲様の自信の表れなんだろう。受け取る僕はちょっと恥ずかしいけど。


「おいしそうにできてるね」


「そうでしょ? 今までで一番手ごたえがあるもの」


 眞希菜さんがお店に出していたものより、というのはさすがに贔屓目が過ぎるかな。でも玲様の言葉通り今までで一番おいしくできたのは間違いない。手の止まったままの僕から玲様はスプーンを奪い取ると、オムライスの端を切り取って僕の前に差し出した。


 食べろ、という無言の圧力を感じる。おいしそうって言った言葉に嘘はまったくないつもりだけど、食べられるかどうかはまた話が別だ。だってこれで今日三つ目。朝ご飯に食べた分を含めれば四つ目のオムライスなんだから。それでも玲様が作った自信作なのだ。食べないわけにはいかない。僕はゆっくりと口を開けるとそこに容赦なくスプーンが突っ込まれる。


「うん。おいしいよ」


「もう味なんてよくわからなくなってるんでしょ?」


 玲様は優しそうに微笑むとまた一口分をすくいとると、今度は自分の口に入れた。


「でも信じてあげるわ。直がそう言ってるんだもの」


 後は自分で食べるみたいで、玲様は次々にオムライスを口に運んでいく。もしかしてご飯も食べずにずっと続けてたのかな。玲様の小さな口の中に次々に運ばれてはお皿の上がだんだんと空いてくる。もう食べたくないと思っていたのに、こうなると急に惜しくなってくるから不思議だ。


「ちょっと待った!」


 あっという間に残りは四分の一ほどというところで、湊さんが玲様の肩を掴んだ。そういえば僕が一口食べただけで、せっかくの自信作を一人で食べてしまってはもったいないよね。


「今あーん、ってしたよね!?」


「そこなの?」


「私は直の感想を聞くために一口あげただけよ」


 そう言うことにして玲様は僕をオムライス地獄から助けてくれたのだ。その地獄を生み出したのも玲様なんだけど。


「いや、そういう問題じゃないよ。ねぇ、遥華さんも見ましたよね?」


「うん。見たよ」


 さっきから妙に静かだった遥華姉がふつふつと闘志を湧かせている。なんだか命の危険すら感じてくる。玲様も同じことを思っているのか、持っているスプーンがだんだんと大きく揺れて始めている。


「私も食べさせたい!」


「直は私のものなんだからどうしようと私の勝手よ。それにオムライスだって私が作ったんだからどうしようと勝手でしょ」


「せっかく教えてあげたのに。恩を仇で返された!」


 そこまで言うほどじゃないと思うんだけど。そんな減るものでもないのに。そもそも僕の口に食べ物を入れて面白いこともないだろうと思う。犬や猫に餌付けするみたいな気分なのかな。ちょっぴり悲しい扱いだ。お人形よりはいいのかもしれないけどさ。


「こうなったら私も自分で作ってあーん、ってするしかないね」


「いや、もうお腹いっぱいだよ。さっきも作ってくれたし」


 そっちはもう全部食べきってしまった。全部食べてって言ったのは湊さんなんだからもう残っていないのはしかたない。


「遥華さんも作りましょうよ」


「うーん。私もオムライスはもう見たくないよ」


 味方が欲しい、と湊さんは遥華姉に話を振ってみるけど、思ったよりも反応が悪い。さっきの闘志もどこへ行ったのか。それほどオムライスは見たくないってことなのかな。


「じゃあしょうがないか。それはまた今度にしようっと」


 次があったらやるつもりなんだ。そのときにはまた面倒な言い争いが起こりそうだなぁ。これも遥華姉が言う僕のハッキリしないところが原因なのかな。


「それより気になってたんだけど、どうやったら勝負は勝ちなの?」


「眞希菜さんがおいしいって言ったら玲様の勝ちだったっけ?」


 それよりも大変なことがありすぎてすっかり忘れていた。期限だって最初に二週間って決めたはずだから今日バイトに行った後、次の僕のシフトの日が決戦日ってことになる。


「でもそれって意地でもおいしいって言わなかったり、面倒で適当に言う可能性もあるんじゃないの?」


 冷静な遥華姉の指摘に僕と玲様はぐうの音も出ないまま黙り込んだ。確かに勝負のつけ方が曖昧すぎる。普段から試合をやったりしているだけに遥華姉はそういうところに敏感だなぁ。


「いいのよ。本気で言ってるかくらい私にはわかるわ」


「それでいいのかなぁ」


 そもそも眞希菜さんが食べてくれるかもわからないのだ。朱鷺子さんの言うことは絶対みたいだし、負けず嫌いっぽかったから大丈夫だとは思うけど。


「わかったわよ。あの女が涙を流して謝るくらいのを作ってあげるわ」


 あ、また何か変なスイッチが入ったみたいだ。


「私、もう知らないよ」


「ナオ、あとはよろしくね」


 焚きつけるだけ焚きつけておいて二人ともこれなんだから。一度やる気になった玲様を抑えるのはそんな簡単なことじゃないんだよ。できれば眞希菜さんとも仲良くしてほしいんだけどなぁ。僕の願いは少しも玲様には届いていないらしいけど、とにかく今の僕にやれることをやってみよう。


 そういうわけでまた次のオムライス作りにとりかかろうとした玲様を僕たちは三人がかりで羽交い絞めにして取り押さえたのだった。

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