剣道着はいつも心に着せてⅤ
皿洗いと言われても今は洗いものなんて全然溜まっていない。厨房に入ると、まだちょっと呆れたような顔をしている眞希菜さんが迎えてくれた。
「やっぱり変な奴だな、お前?」
「そ、そうかな?」
眞希菜さんに指摘されるとなんだか本当にそうなんじゃないかと思ってしまう。僕はずっと自分は普通で周りが個性的すぎると思ってたんだけど、もしかして僕も他の人から見ればちょっと変わってると思われてるのかな。でも眞希菜さんも僕から見ると相当変わってるように思えるから
「普通はあんな扱いされたらムカつくだろ?」
「そうかな? 玲様はああいう人だから」
どういう人なのか知っていれば特に戸惑うこともない。玲様がちょっと高圧的だったり、命令じみた言葉を使うのはそういう生活をしてきたからってだけで、特に悪意があるわけじゃない。眞希菜さんは
「本当によくわからねぇやつだな。見た目はひ弱なくせに精神は妙に図太いし」
「僕も剣道やってたからね。鍛えられてるんだよ」
剣道がどうというよりはじいちゃんが厳しすぎるだけなんだけど。あの鬼の形相に比べたら玲様なんてかわいい子犬みたいなものだ。それでも僕はじいちゃんの教えの半分も守ってないはずだ。あんな厳しい練習に耐えられる体も精神も僕にはまったくなかったから。それを全部きちんと守った結果が遥華姉なことを考えるとやっておいた方がよかったのか、今のままでよかったかはまだちょっとわからないかな。
「でもさ、学校に一人くらいはいるでしょ、ああいう命令するのが得意な人って」
玲様みたいじゃなくてもなんとなくリーダーシップがあったり、全体が見れていて指示をするのがうまい人っているものだ。そういう人もやっぱり家や今までの生活でそういうことに慣れているんだろう。
眞希菜さんは僕の質問に不意を突かれたように固まった後、そういえば言ってなかったな、と口元だけで笑った。
「オレは高校行ってないんだよ」
「そうなの?」
「面倒になってやめちまったんだよ」
高校に行かない人もいる。頭の中では当然わかっていたことだけど、実際に会うのは初めてだった。都会に行けばそんな人はきっとたくさんいるんだろうけど、田舎ではせいぜいとっても成績の悪い人が家業を継ぐために高校には行かない、っていう人がときどきいるくらいで話に聞く程度でしかない。
とにかくこの町から出るのに一番簡単な方法は都会の大学に進学すること。それを一番近い目標にして勉強している人の方が圧倒的に多い。そのくらい田舎では勉強よりも大事な目標を見つけることは難しいのだ。
「じゃあここで料理の修業をしてるの?」
「まぁ、そんなとこだな」
やっぱり眞希菜さんも珍しいことだと思っているのか、僕から目を逸らしてフライパンに目を移した。みんなと同じじゃなくて自分で決めた道を行っていることを僕は尊敬しているつもりだったんだけど伝わってはいないみたいだ。
「すごいなぁ。僕なんて全然将来のこと考えてなくて」
「別にすごくもないだろ。これしかできなかったんだよ」
眞希菜さんはフライパンを見つめたままそう言った。思っているだけじゃ伝わらないって言われたからこうして口に出してみているけど、やっぱりうまく伝わっているような気はしない。眞希菜さんはそれから少しも僕の方を向いてくれなくて、早くお皿が上がってきてくれるといいのに、なんて思ってしまう。
「日替わり四つよ。ってどうしたの?」
なんとなく気まずくて、僕は黙ったまま一枚ずつ丁寧にお皿を洗っている。眞希菜さんも話してくれない。そこに顔を出した玲様は不思議そうな顔で僕を見るけど、なんでこうなったのかよくわかっていないんだから答えようがない。
「なんでもない。日替わり四つな。了解」
玲様がとってきた注文のメモをカウンターの縁に貼りつけて眞希菜さんはまたすぐに仕事に戻ってしまう。僕も少しずつ重なって高くなってきたお皿の方に意識を向けないと、終わらなくなりそうだ。
なかなか忙しい一日になっているけど、玲様はしっかりと仕事をこなしているらしい。ときどきホールを覗いて大丈夫かと確認するけどどうやらなんとかなっているようだ。よく忘れちゃうけど玲様って僕たちの学校に来る前は私立のお嬢様学校に通ってたんだから勉強もできて頭いいんだよね。理解してしまえば最初に僕が一歩だけリードしていた差なんて簡単に追い越してしまうのだ。
結局その日の玲様は一人でホールをこなしてしまって、初日とはまったく立場が逆になってしまった。なんだか情けない。遥華姉にも剣道で負けて、玲様にバイトの出来も劣っている。眞希菜さんみたいに自分の得意な分野って何かないのかなぁ。
「それじゃお疲れ様でした」
片付けを終えてお店を出た。今日は金曜日だったからかちょっと遅くなってしまった。高校生になったっていうのに寄り道する場所もないからいつもまっすぐ家に帰っていてこんな時間になるのは珍しい。
「今日はもう暗くなってきたし、乗っていきなさい」
「でも自転車があるし」
「大丈夫よ、あのくらい乗せられるわ」
折り畳みでもないのにそんな簡単に乗るのかな、と思っている間に莫耶さんが僕の自転車を持ってくる。
「あ、大丈夫ですって」
「干将を呼んで積ませておきますのでお気になさらず」
いや、別にそのくらい押していけるんだけどな。鍵がついたままの自転車を軽々と持ち上げてお店の前に置いている。莫耶さんも女性だけどやっぱり中条家のお付きというだけのことはあるなぁ。ちょっと変わってるけど。
そして、僕らが干将さんの待つ車に乗り込んだ時には倒した座席の間にお店の前に置いてきたはずの自転車がきれいに積まれていたのだった。干将さんとすれ違った記憶がないのに。なんとなく予想はしてたけどあまり深くは聞かないことにして、僕は走り出す車の静かなエンジン音に耳をすませた。
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