剣道着はいつも心に着せてⅣ
「すみません。遅れました」
「いいのよ。ちゃんと連絡ももらったし、まだ時間はあるから」
なんでこういう時に限って日直に当たった上に先生の雑用のお手伝いまでさせられてしまうんだろう。日ごろの行いは結構いいつもりなんだけどな。
ロッカーで着替えを済ませてフロアに出てくる。もうお昼のピークはとうに過ぎているからフロアの掃除も終わってしまっているみたいで、忙しくなる前の準備は整っているみたいだ。ちょっと遅れたことが申し訳なくなってくる。今日はいつもより頑張らないと。
「玲様、眞希菜さん、おはようございます」
厨房にいる二人にも声をかける。でも二人は僕の声も届かないほどに険悪な雰囲気が流れていた。頑張るとは言ったけどわざわざ面倒なことを起こしてくれなくてもいいんだけど。
「それは別にあなたに関係のないことでしょ?」
「こっちも仁義ってモンがあるんだよ」
その仁義がそもそも間違ってるんだけどなぁ。声は低く落としているけど、厨房の中が
「巨神兵の舎弟が迷惑してんだってよ」
「そんなの直に聞かないとわからないでしょ。巨神兵の言うことなんて知らないわ」
普段は遥華って読んでいるはずの玲様まで眞希菜さんに釣られて巨神兵なんて呼んでいる。ここに遥華姉がいたら卒倒しそうな言い合いが続いている。巨神兵、というこの辺りなら聞き慣れないであろう単語のおかげで事情を知らない人ならマンガやゲームのような非現実の話だと思ってくれそうなことが唯一幸いかな。
まったく、どうしてこんなことになっているんだろう。眞希菜さんが勘違いしたまま暴走しているのは間違いないんだけど、僕がはっきりしないから、という遥華姉の言葉がまた思い出された。
「ちょっとちょっと。なにやってるの」
「直、これどういうことなの? 答えによっては許さないけど」
鬼気迫る顔で玲様は僕を睨む。眞希菜さんにはあんなに怯えていたのに、どうして僕にはこう強気に出られるのかな? この態度を見るだけでも、玲様は僕と恋人になるつもりなんて絶対にないように思えるんだけど。遥華姉はどの辺りからそう感じるんだろう。
「ちょっと行き違いっていうか眞希菜さんが暴走してるだけだって」
「どこがそうだっていうんだよ?」
もうなんていうか全部だよ。遥華姉に助けてもらったお礼っていうのはいいとしても、玲様と僕を引き離すように考えが飛んでいるんだから暴走と言わなかったらなんなんだってことになる。本当に僕がはっきりしないからこんなことになるのかな。だとしたらはっきり言葉に出してみれば眞希菜さんは納得してくれるのかな。
「僕は玲様に困ってなんかないよ。僕の大切な友達なんだから」
厨房の中がしんとした静寂に包まれる。玲様も眞希菜さんも
「ふふふ、ほら見なさい! これで理解したでしょ?」
時が止まったように固まっていた厨房の空気を玲様の笑い声が吹き飛ばした。今まで蛇に睨まれた蛙のように身を縮めていたのに、一転して揚々とした声で語りながら僕の腕に絡みついた。なにがなんだかまったく訳が分からない。
眞希菜さんは勝ち誇った玲様と困惑する僕を見て、少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「お前がそれでいいっていうならいいけどよ」
「あ、えっと。心配してもらってありがとうございます」
なんでこんな気まずい空気になっちゃんたんだっけ? たぶん僕が変なこと言ったからなんだろうけど、どの辺りが変だったのか未だによくわかってない。眞希菜さんと対照的に玲様は妙にご機嫌だし。
とりあえずフォローのつもりでお礼を言っては見たんだけど、これもどうやらハズレみたいだ。眞希菜さんはこっちをまったく見てくれない。
「なんだよ、そりゃ。普通逆だろ」
「え、それってどういう」
「ほら、とっとと出てけ。仕事の邪魔だ」
まだ僕の顔を見ないままの眞希菜さんに厨房から追い出される。厨房から追い出されながらでも玲様の機嫌はまったく悪くなる気配はない。そろそろ腕を離してほしいところなんだけど。
「よく言ったわ、直。眞希菜のあの顔を見た? すかっとしたわ、褒めてあげる」
玲様は僕の腕を持ったままぴょこぴょこと跳ねる。まぁ、喜んでるんならいいかな。
「はーい。二人とも、そろそろお客さんが増えるから頑張ってね」
厨房から出たところで笑顔の朱鷺子さんに声をかけられる。アルバイトが三人揃って話し込んでたらやっぱりよくないよね。僕は遅刻してきてるのに。
「すみません。話し込んじゃって」
「いいのよー。むしろ眞希菜ちゃんとお話ししてくれてありがとう。あの子あんまり友達いないみたいだから」
うるせーよ、と厨房の奥から眞希菜さんの声が聞こえてくる。ちょっと間違った方向に突き進みがちなだけでわかってしまえば僕の周りの女の子と同じなのだ。苦手に思う人が多そうっていうのもわからなくはないけど。
「それじゃ、今日も一日頑張りましょう」
「もちろんよ、任せてちょうだい」
玲様は胸に手を当てて自信満々に言う。僕の不安をよそに、玲様はこの数日で仕事もすっかり覚えてしまってもう一人前に仕事をこなしている。サポートしなくちゃと思っていたのは僕の思い上がりだったみたいで、ちょっと玲様に悪いことをした気分だ。
「やっぱり清代の子だからかしら。物覚えがいいわねぇ。うらやましいわ」
自分なりのこだわりがあるのか、玲様は机と椅子の配置を少しずつ直しながら口元に手を当てて何かを考えている。それを見ながら朱鷺子さんは感心したように呟いていた。
干将さんや莫耶さんにいろいろやってもらっているからそんな気はしないけど、玲様は一人でもしっかりやっていけるのだ。きっといい教育も受けてきているし、なにより一番身近にいる人が優秀なら嫌でも成長するものだ。きっと漫画だってちゃんと環境を整えてあげればあっという間にできるようになってしまうだろう。
ドアのベルが鳴ってお客さんが入ってくる。これからどんどんお客さんは増えてくるからもう話している余裕もなくなってくるだろう。
「直は皿洗いやってなさい。今日は私がこっちをやるから」
「はいはい」
玲様のやる気があるうちは任せておこう。そのうち持たなくなってきて助けを求めてくれるはずだ。玲様ができることをわかっていながら僕はこうして玲様を助けていると思っているのは、もしかするとそうしていれば玲様が僕から離れないでいてくれると思っているからなのかな。僕は意外と嫉妬深いのかもしれない。
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