21.
千尋が書いた報告書はすぐに上に上がり、捜査会議にも提出されている。今回の捜査会議にはようやく参加できた。自分の報告書が元になって捜査の方向性が決まるというのはものすごく緊張してしまう。
だが、待ったなしだ。後藤田も恐らく明良を狙っているが、その横には後藤田なんてなんとも思わない殺人鬼がいるはず。
かなり、危機的状況だった。時間の余裕は恐らくほぼゼロだろう。
今回の捜査会議で、「あいつ」の身元を徹底的に洗い出すことが通達された。もちろん、犯行道具を持っていた後藤田の監視も続けることが決まる。
外回りで働く捜査員たちが、仮眠、捜査、食事など、各々の理由で動き出し始めていた。
「さて、帰るか」
権像は、千尋に向かってそういった。
「なんか、みなさん頑張ってるので、気が引けますね」
「俺たちには俺たちの仕事がある。それが完全分業制というものだ。とりわけおまえさんには、休養をとる義務がある。いざというときに動けんでは困るからな」
「そうですね。わかりました」
返事は快くしてみたものの、眠れる自信などこれっぽっちもなかった。薬を飲んでも休まるかどうか。
眠る前に明良から、脅しの電話が来た。ちゃんと寝ないんだったら今から押しかけるぞという内容で。
「どんな気遣い方だ」
そう思ったが、それはものすごく明良らしいし、思いに溢れた優しさなのである。
千尋は、医師に言われてる量より少し多めに眠剤を飲んだ。医師に言われている上限手前くらいの量である。
そのおかげで、よく眠れたのだろう。目覚ましも満足に聞こえていなかったようで、起きたら遅刻ぎりぎりだった。
血の気が引くくらいにぎりぎり。だけども目はすっきりと覚めてくれた。
今日の予定もなにも思い出さずにスーツに着替えてアパートを飛び出す。慌ててタクシーを拾って、美里署に向かった。
「あ、またお会いしましたね」
タクシーの運転手が、この前と前々回と同じだった。運転手は、にぱっと笑う。二度乗せた客だからか警戒心を感じられなかった。
「美里署まで、お願いします!」
「お急ぎですか?」
「かなり」
苦笑するしかない、千尋。
「腕が鳴りますねぇ」
なのに、運転手は実に心強い。むしろどこか楽しそうでもある。
交通法ぎりぎりのテクニックで、美里署には時間ぎりぎりで着いた。
「ありがとう、運転手さん! お釣りは取って置いて!」
転がり出るようにタクシーを飛び出して刑事課に向かった。
「お、おはよう、ございま、す」
疲れ切った声で挨拶をする。それは、まるで死人のような覇気のなさだった。
「おう、よく眠れたか?」
「はい、おかげさまで」
「そうか。顔色は昨日とは別人のようだ。今日から大変だからな。気張れよ」
「はい。気張るのはいいんですが、自分の仕事はあるんでしょうか?」
「今は待機だ。おまえさん、地理的プロファイリングできるか?」
「いえ、出来ません」
「そうか、犯人の行動範囲だけでも絞れたらと思ったんだが」
「ああ、それなら」
「わかるのか?」
「上に上げられる精度ではないですが、ある程度は予想つけられます」
千尋は、大きく美作市の地図を広げる。美作市は、南に山と温泉街を持ち、中央と北に海を持つ広大な街だ。
その面積は、小さい県よりも大きい。そのため、ここの地域課の担当区域は広くなりやすく、また穂澄野という日本有数の繁華街も抱えているため警察官の練度も高いと言われている。
美里区は、美作市の南東に位置し、地下鉄も電車も通っていないため、アクセスが大変と言われていた。だが、車があれば不便な分土地が安いので割りと大きな家が多いのが特徴だ。
「結論から言いますと、美里区近辺の出身の可能性が高いと思われます。車を使っているという点、被害者がここら辺に住んでるものが多いという点、殺されてから発見まで時間のかかっている遺体があるという点からそう推察しました」
「車を使っているのは、他の区でも使っているだろう?」
「はい。ですが、この犯人はこの辺の地理にすごく詳しいです。これは、獲物をよく観察し、殺すのに最適な場所を通るのを見つけられるくらいに。それで、ここら辺をよく通ってて不審に思われない人物。それがかなり怪しいです」
「ほう。具体的には、なんだと考えている?」
「近所の人かタクシーなどの運転手などが怪しいと思っています。あとは、物流関係か送迎付きの介護関係も怪しいです」
「だが、コロシの対象は、飯田と本元が恨んでいた人物だった。犯人が選んだわけじゃない。そこはどうなってるんだ?」
「これも推測でしかないですが、犯人はこの辺でいざこざのある人たちを見つけて声をかけたのではないかと思います」
「飯田は、ネット掲示板で知り合ったと言っていたが?」
「最初は、飯田という人物を知らなかったかも知れませんが、彼が美里区民を対象に憤りをぶつけるスレにいたとしたら話は見えてきます。そこまでわかれば、残りはなんとかなるのが現代のネット事情のようです。あとで、飯田に聞いてみましょう」
「お、おう。割りと本格的じゃないか」
「いえ、見様見真似です。それに、現実では推測で動くことは出来ません。なので、一つずつ裏付けていきましょう」
「そうだな。名探偵なんて存在できねえのが、現代だ。俺も安楽椅子探偵になりたかったぜ」
「お似合いの職業ですね。証拠も証人も向こうから来て事件は解決。素晴らしく向いていると思いますよ」
「うるせー。それ以上言ったら拳固落とすぞ」
「すいません。調子に乗りました」
まずは、飯田にどの掲示板で知り合ったかというのを確認。次いで本元にも出会いを尋ねた。
結果、飯田は美里区の苦情や不満を晒すスレにいたということがわかり、本元もネットで知り合ったとのこと。
飯田は、よくわからない「不気味なやつ」だと言い、本元は相も変わらず的を射た解答はしてくれず「あいつはあいつ」と、懐かしい友を語るようにしか話してくれなかった。
「さて、少し裏付けが取れましたね」
「そうだな。この線で行くと美里区民っていうのも現実味を帯びてくるな」
「後藤田の監視はどうなってます?」
「張り込みからの報告だと、特に不穏な動きはないらしいぞ」
「そうですか……」
そういわれても、千尋は不安を拭いきれなかった。なにせ、高校生の時点で同級生に睡眠薬を飲ませ犯すような人物だ。なにをするかわからない。それに、後藤田が動かなくても真犯人が動くかも知れないし、安心は到底無理だった。
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