20.

 千尋は不思議な感覚になっていた。嘘を見破れば見破るほどに、真犯人に迫れない。むしろ、遠ざかっているような気さえしてた。千尋が考えていたところからはるか遠くに真犯人像が出来上がりつつある。

 殺人犯を相手にしていると思ったら、三人とも冤罪の可能性が出てきたのだ。明良を守りたい一心で必死に取調べを行った結果、犯人を追い詰めるどころか、新しい犯人が浮上してきてしまった。

 しかも、その犯人が不明すぎて、どうしようもない。焦りが募っていく。

 その男とも女ともわからない人物を明良になにかある前に捕まえなくてはいけない。しかし、これは、至難の業と言えた。

 千尋一人が息巻いて逮捕するぞ、となってもそれは実質不可能だ。そうなると周りに協力してもらう必要がある。周りを動かすには確固たる理由が必要だ。

 それを得るには、結局自分が取調室のなかで奮闘するしかない。

 外で犯人を絞り込みたいのに、自分の出来ることと言うのは署内で容疑者相手に問答をすること。これはある種のディレンマだった。



 次の容疑者、本元一博を取り調べる時間になった。この本元という男、相当気味が悪い。千尋が思うのもなんだが、無表情で爬虫類然としている。

 しかも取調べの結果、殺人嗜好があるとしか思えない結果なのも気が重い。感情の発露の仕方が読めなさそうなのも、また不気味だ。一応、こういうタイプの犯罪者がいるということを机上では学んできたが、実際目にするのは初めてである。

「いつだって、なんだって初めては存在する。あまり気負うな。いざとなったらさぶが守ってくれる」

「はい」

「あと、ああいう手合いを相手にするときは、自分の学んできたことに縋るな」

「普通逆じゃないんですか? 積み重ねてきた時間を信じろ、みたいな」

「いや、おまえさんのような経験の浅いやつがそうすると、相手を理解出来なくなったときに一瞬で狼狽し、隙を突かれやすい」

「わかりました」

 ここで、代わると言わないのが権像流の教育なんだろう。厳しいが乗り越えられたならきっと大きく成長できるはずだ。そう自分に言い聞かせて本元を待つ。

 本元が取調室に連れられてきた。この間もそうだったが、能面のような表情でなにを考えているか上手く読み取れない。

 なるほど、確かに権像の言うとおりだ。今まで培ってきたことが全然通用しそうにない。表情や仕草だけから読み取ろうとすると、なにも読み取れず悲惨な結末になっていただろう。

「おはようございます、本元さん」

 本元は、口を開かず、起きてるのか怪しい胡乱げな目のまま、軽く頭を下げる。昨日より常識が通じそうな気がしてきた。

「今日は、犯行当時の話を聞かせていただきたいのですが」

「いいえ」

「あ、それはもういいです」

 やはりなにかずれている。

「なに、を。話せ、ばよ、い?」

「あなたは被害者を殺しましたか?」

 単刀直入の方が、こういう手合いにはいいのじゃないかという千尋なりの工夫だった。

「いいや」

「では、誰が?」

「あいつさ」

「あいつ?」

「そう。あいつはあいつ。みんなそれでわかってる。刑事さんだってわかっているでしょう?」

「残念ながら、わかっていません」

 本元は、一瞬大きく目を見開く。本気で驚いている表情だ。

「そうか。刑事さん、新米だね?」

「ええ」

「じゃあ、しょうがない。あいつは、いわゆる社会の闇さ」

「闇、ですか。人間じゃないんですか?」

「そうだよ。あいつは、僕とは違う。あいつは、本物の殺人鬼だ。現代の鬼だ。和製の連続殺人犯シリアルキラーでもある」

「では、あなたは?」

「僕? 僕は僕さ」

 千尋は困った。言っていることがさっぱり理解出来ない。

 ここで、あまりしたくない質問を思いつく。

「あなたは、なぜ被害者に目を付けたのですか?」

「可哀想だったから」

 殺したことが前提だったが、本元は認めた上で答えてくる。

「可哀想?」

「そう。家族を先になくし、この世に置いてけぼりをくった。でも、あの世になんて行ったことがないから、怖くて一歩が踏み出せずにいたんだ」

「それは、本人が?」

「見ればわかるでしょ? ああ、刑事さんは新米だった。見ればわかるようになるよ」

「自分も見ればわかるようになりますか?」

「なるよ。刑事さんは素質がある。それも見たらわかるようになるよ」

 思わずどこら辺がと追求したくなったが、本筋には関係無いのでその質問を飲み込んだ。

「じゃあ、被害者に恨みとかは?」

「ないよ。むしろ好きだったから。憎いのはあいつさ。僕の好いた子を僕の手で送ることを邪魔したんだからね」

 腕を組み、口角がわずかに上がり、本当に怒りを感じているように見える。

「そのとき、『獣の仮面』と呼ばれる覆面被りました?」

「うん。それを被ると気が遠くなって、気が付いたらあいつはいなかった。あの子はさっさと逝っちゃったし。まったく、最近の子は、挨拶もお礼も言わないんだよ。でも、それは彼女の照れなんだよ。かわいいよね」

 そういって、満面の笑みを浮かべた。

「そうですか。あなたは、直接殺していないんですね?」

「そう」

「あいつについて、わかることを教えていただけます?」

「そうだなぁ。もうあと三年もしたら自然にわかるようになるよ」

 徹底的に話が通じない。

「えっと、出来るだけ早くわかりたいんです。こういうのもなんですが、ずるする方法とかないでしょうか?」

「刑事さん、警察官でしょ? それは職業柄よくないよ。そうしないと、僕たち善良な市民のお手本として相応しくない」

 善良? なのだろうか。本元の話が全部本当だとしたら、彼は手を下していない。それならば、善良であるのかも知れない。

「わかりました。お話ありがとうございます。またしばらく、美里署にいてくださいね」

「うん! 刑事さんもお仕事頑張ってね」

「はい」

 本元が連れられていった。心なしか、来たときより足取りが軽そうだ。

 あの能面の本元のなにに触れたのだろう。こんなにたくさん表情豊かに話してくれるとは思わなかった。中身は、サイコパスのような感じだったが。

「権像巡査長、あいつっていうやつがいるのは確定のようですね」

「そのようだな。おまえさん、大丈夫か? 顔色がだいぶ悪いが」

「大丈夫です。本物に会ったから少し当てられているだけです」

「そうか。このことは、捜査本部にすぐ上げる。報告書を書いてくれ」

「はい」

 捜査会議までは、まだ六時間ある。急がなくても書けるはずだ。千尋は、本元のことを頭から追い出しつつ、それを紙に落としていくという難しい作業をこなし始めた。

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