14.
覚悟を決めて臨むと、公言した。したからといって、千尋の豆腐メンタルが治るわけがない。千尋は、今ものすごく落ち着かない気分になっている。焦燥感に炙られ、後悔が顔を覗かせ、自信のない自分がこちらを正面から直視してきていた。
大きく息を吸い、細く長く吐く。これは、千尋にとっての一番の緊張緩和の術だった。何度も繰り返す。
同室している権像はそれを見てもなにも言わない。ただ黙って、被疑者が来るのを待っている。千尋は、権像をちらりと見たが、この何日かの間には一度も見せたことのない表情をしていた。
今回は、刑事課横の取調室ではなく、専用のポリグラフ用の取調室で被疑者の到着を「早く来い」と思いながら「来なければいいのに」という相反する気持ちで待っている。
ただ、被疑者を引っ張りにいったのが、槐と生瀬だ。あの二人にかかっては被疑者は来ないはずがない。時間はかかるかも知れないが確実に来る。
もう、彼らが出ていって一時間が経過しようとしていた。その間に、権像との間に会話らしい会話はない。
だが、その緊張を千尋が破る。どうしても聞いておきたいことがあったからだ。
「権像巡査長は、なにか後悔がおありなんですか?」
「そりゃあるさ。後悔のない人間なんていない。俺なんぞ、昨日の晩飯の二択すら後悔してるぜ」
「権像巡査長、茶化さないでもらえると助かるのですが」
千尋の豆腐メンタルは潰れる寸前の状態なのだ。
「あるさ。こちとら二〇年以上刑事やってるんだ。人を死なせたり、助けられなかったり、冤罪まがいのことになったり。多くはないが、少なくもない数はあったさ」
「そうですか。では、助けてください。自分は、まだまだ未熟です。自分がそうならないように指導してください。これまでと同じように」
「気付いていたのか」
「確信したのはさっきですが、権像巡査長の教えを反芻したら自然と出てきた結論です」
「そうだな。おまえさんは、まだまだまだまだ、ひよっこだ。俺がおまえさんの後悔を一つでも消せるならどんな憎まれ役だって買おうじゃないか。それで、人を間違って罰することがないように出来るのなら、俺という刑事の人生にだって意味があったんじゃないかって思える気がするんだ」
「きっと、思えますよ。思えるように、頑張ります」
「頼もしいものだ。震えている声、親指を隠しながら握りしめられた拳、落ち着きのない脚。どこを見たって肯定できる要素はないのに、おまえさんのその言葉から嘘を嗅ぎ取れねえ。焼きが回ったのかなぁ」
「そうなのかも知れませんね。自分でもなんでこんなことが言えるのか根拠が見つかりません。でも、不思議と権像巡査長には言えてしまうのです」
「さあ、もうそろそろ来るぞ。親指は出しておけ」
手の親指は、自信の表れを示す部位なのだ。見えなくしているということは、自信がないことを表す。千尋は、手をぐっと開いて親指を出して握り直した。
その後少し経ってから、槐たちが一人目の被疑者である田沼という名の男を部屋へと連行してくる。田沼は、身長こそ高いがひょろっとしていて、背は丸く、纏う雰囲気はとても気弱だ。人を殺したことのある人間にはとても見えない。
見たことのない部屋に通され、明らかに挙動不審だ。目は左右を忙しなく往復している。千尋や権像の顔を見ようとしない。
「こちらへ」
部屋の真ん中に置いてあるチェアに田沼を誘導して座らせた。
「これから電極張りますから、触りますよ?」
そう確認してから頭と身体とに電極を貼り付けていく。最後に、人差し指の先に脈拍計を取りつけて終わり。
「はい、機械を調整しますからちょっと大人しくしてください」
もうこの時点で、ポリグラフの針は大きく振れていた。上下に大きく弧を描かれる記録紙。それが次々と吐き出されていく。
「落ち着いてください。深呼吸しましょうか」
紙にまるで己の心が投影されているような錯覚に陥っているようだ。紙が出れば出るほど乱れていく。確かに、わざと検査前から紙に写してプレッシャーをかけようという魂胆だった。だが、これでは乱れすぎて検査にならない。
一度、ポリグラフを止めて、様子を見ることにした。
「はい、そうです。深く吸ってゆっくり吐き出してください」
深呼吸すらぎこちない感じの田沼。もうこの時点で千尋と恐らく権像も「黒」だと思っている。
電極は本来ならば全部機械に付けるものだが、一部は千尋に繋がっている物もあった。本来なら「人間ポリグラフ」は行使したくない能力である。しかし、明良の命に関わるかも知れない今、悠長なことは言ってられない。使えるものは自分のトラウマでも利用する心構えだった。
これで、もっと正確に田沼の心の動きを読めるはず。
釣るべき獲物は、二件目と三件目の関連もしくは、関与。なにかが、捕まっていない四人目の容疑者も含め、この事件を一本に繋げているものがあるはずなのだ。
「では、これから全ての質問にいいえと答えてください。あなたの名前は田沼誠司さんですか?」
「い、いいえ」
「年齢は、四三才ですか?」
「い、いいえ」
「住所は、美作市美里区…………」
まずは、基本的な質問を繰り出していく。これらは、本当のことばかりだ。つまり、回答者としては嘘を言っていることになる。
本当のことを言っているときと、嘘を言っているときを比べるための質問だ。だが、この田沼という人物、心拍、脈拍、発汗など、開始前から乱れが大きかった。
今も本当のことを聞いていても、なにかを聞かれるたびにポリグラフの針が大きく振れる。これは、かなり調べにくい対象だ。
「いいか、神崎。基本の基本を教えておく。俺たちは警察官だ。それを忘れるな」
「どういうことですか?」
「俺たちは、いるだけで人を威嚇し、恐れさせる職業でもある。嘘を見極めようとするときに、起こるミスとして、俺たちに調べられるというだけで挙動不審になる人間というのが確実にいる。それを覚えておけ」
「はい」
田沼が連行されてくる直前に、千尋が権像に言われた言葉だ。それを反芻し、落ち着いて田沼の感情を感じ取ろうとしている。ポリグラフの結果は無茶苦茶だが、千尋は集中していた。
ポリグラフには感じ取れない感情の種類とその揺らぎを感じている。今、田沼は圧倒的な恐怖を感じていた。それが邪魔になって他の微弱な感情が読み取りにくい。
例えるなら、恐怖が限りなく黒に近く、他の弱い色彩がみんな呑まれている状態だ。その混じった後の微妙な違いを見分けるには、とてつもない努力だけでは足らずに天賦の才もいるだろう。
だが、千尋はずっとこの能力と生きてきた。そういう意味では天賦の才はある。忌避もしたし恨みもしたし嫌悪もした。努力も惜しみなくしている。この能力から逃げられないことを悟った千尋は向き合ったのだから。
どうせなら、行くところまで行こう。磨き続ければ、なにかの役に立つかも知れない。嫌っていた能力だが、心の底では認めてもらえる時を待っていたように思う。
しかも、今日は明良に関わる問題だ。役に立て。立ってくれ。初めて自ら使うことに怯えながら、沈痛な願いを抱いている。
千尋は、内心興奮と緊張をしていた。今までずっといらなかった能力が日の目を見る時が来たのだ。明良以外の人に、なにより自分に否定されない時が。
「あなたは、アメリカ人ですか?」
「いいえ」
今度は、本当のことを言ったときの反応を見るために明らかなる間違った質問を投げかける。
「あなたは、女性ですか?」
「いいえ」
これだけあからさまにも関わらず、田沼の心理状態は落ち着いていない。ずっと、針は暴れ続けている。
「あの、すいません」
千尋は一度検査を中断する。権像や槐と生瀬に顔を向けた。
「お三方には、外に出ていてもらえますか?」
「おまえ一人でやるって言うのか?」
槐がまず確認をする。
「はい」
「危険があったらどうする?」
「叫びます」
実際は、マジックミラーが設置されていてそこから中の様子、会話は筒抜けになっている。だから、間に合えば助けには来てくれるだろう。
じっ、と千尋と権像は目を合わせ続ける。権像の目は優しくも深く恐ろしかったが、千尋は目をそらさなかった。
「よし、俺はおまえさんを信じるぜ。さぶも生瀬も外に出ろ」
「わかりました」「はい」
二人は権像の言葉に従い素直に外へと出る。最後に権像が扉を閉めて、恐らく殺人犯と二人きり。しかも、相手は任意同行であり拘束もしていない。暴れられたら止められるかはわからない相手だ。
だが、千尋は臆せず口を開く。
「自分は、警察と協力していますが、心理技官の神崎と言います。今のあなたは、嘘も本当もみんな嘘として出ています。このままでは、濡れ衣があっても機械がそう記録したからと覆せないことになります」
びくんと、また針が大きく揺れる。
千尋は、権像を師事すると覚悟したのと同時に嘘の弁え方も身につけようと決めた。
実際はポリグラフは、そこまで精確に嘘を測定できない。今回のように、受ける人間の状態で簡単にめちゃくちゃにもなる。
だが、機械のやることだし、効果はあったと報告はあるし、理論も筋が通っている、ということでポリグラフの信頼の高さは異常だ。多くの心理学者らが警鐘を鳴らしても一度根付いてしまったポリグラフ神話は覆せない。
そのことを逆手に取り、田沼を誘導していこうとしている。とにかく、恐怖の感情を抑えてもらって、ポリグラフの結果は壊滅的でも、千尋の方でなにか読み取れるようにならないだろうか、と考えていた。
「それと、自分は心理技官なのであなたの発言の信憑性を測る役目も担っています。このままですと、あなたはとんでもない嘘つきと報告せざるを得ません」
脅しに脅す。こんな検査結果が公的な場で認められるかは、わからない。でも、それは、田沼にとっても同じこと。わからないから怖いのだ。
「あ、あのあの、ワタシはどうすればいいんでしょうか?」
田沼が泣きついてきた。これはまたとない機会だ。
千尋は、心にさざ波が広がるのを感じた。武者震いか罪悪感かは判然としない。でも、心が動いた。
「あなたがしたことを正直に話してください。このまま検査を通して調べると、あなたは冤罪も被る可能性があります」
「そんな、冤罪だとわかっているのにそう報告するんですか?」
「はい。なにせ、嘘発見器ことポリグラフがそう判断してますので。機械のいうことですから、客観性は充分、信憑性や信頼度も高いのです」
嘘八百もいいところだ。でも、千尋は田沼に対して攻め手を休める気もなかったし、手心を加える気もなかった。
体のいい脅しだと取られるかも知れない。でも、事実も多く含まれている。それに、今の田沼にそこを突いてくる心理的余裕はないだろう。
汚い手だと昔の千尋なら敬遠したかも知れない。今の千尋は違う。権像に師事するのだから、容疑者には負けられない。
それに明良に繋がる道は全部潰す。そういう心づもりだった。
「ワタシは、ワタシは…………っ」
「あなたは、恐れていますね?」
「……っ」
「なにを、怖がっているんですか? 自分たち警察でしょうか? ポリグラフの機械? 真実? それとも……計画を立てた人物?」
最後の一言で、少し薄れてきたと思った恐怖の色が一気に濃くなり、狂乱状態とも呼べる心理状態の様相を呈してきた。
「ちがっ、違う! はあはあ、そんな……わけ……ない……そんなわけ……そんなぁ!」
「槐さん!」
千尋は、約束通り叫んだ。
槐がすぐさま飛び込んできて、千尋に掴みかかった田沼を取り押さえてくれた。
「とりあえず、暴行未遂と公務執行妨害で
「ううぅ、違う。違う。ワタシは、言ってない……」
手錠をかけられてもなにかうわごとのように田沼は「違う」を繰り返した。
「今日は、もうダメだ。日を改めよう」
そう槐に言われて、頷く他なかった。この男の犯罪が明良へと繋がっている可能性がある。それを証明できなかった。千尋は悔しくて歯噛みする。
結局、犯行の自供は得られていない。千尋が、実証できない形で田沼の関与を理解しただけだ。だが、それでも確信は出来た。田沼は、人を一人殺し、誰かの教えを受けている。その人物に、事が露見したことを知られるのを狂わんばかりに恐れているようだ。
「やりすぎだ。性急すぎる」
そう権像に言われた。
「いえ、もっと順番を考えて締め上げるべきでした」
「おい、神崎?」
「はい?」
「落ち着け。そのままだったら、俺はおまえさんを捜査から外さねばならない」
そういわれては、千尋は言うことを聞くしかない。
「わかりました。次は、もっと冷静にやります」
だが、心中深くでは、操っている人物に思いを馳せた。それが誰であろうと、明良に届く前に締め上げてやる。千尋は、心の中で黒い炎を燃やしていた。
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