13.

 目を覚ますと、清涼な朝の空気が冷たく鋭く身に刺さるようだった。

 明良は、念のために実家にいるようにしてもらい、単独行動も避けるように言いつけてある。理由も理由だけに後藤田がうろついているのは説明した。そうでもしないと明良は止められない。どこまで、言いつけを遵守してくれるかは不明だ。だが、千尋は七年前の事件の重みを考えるならば慎重になってくれることを祈るばかりである。

 そういった事情で仕方がないので、一人の朝をゆっくり堪能しようとした。久しぶりに自炊をしようとした途端。千尋は、割った卵の殻を手にしたまま携帯電話に呼びつけられた。また、美里署からだ。

「はい、神崎です」

『権像だ。朝飯は食ったか?』

「いえ。まだですが……」

『そう訝るな。今日はそのまま食べずに出勤した方がいいという忠告だ』

「はあ。で、出勤は今からですか?」

『急がないが、ヒマなら出てこい』

「権像巡査長は、なんでそんなに早いんですか?」

『俺は、仕事だ』

「わかりました、一五分は無理ですが準備でき次第出勤します」

『ああ、わかった。二〇分な』

 そこで通話が切られる。人の話を聞いているのかいないのか。結局タイムリミットを設けられてしまった。千尋は、割った卵と未開封のベーコンを冷蔵庫に放り込むようにしてしまう。

 すぐに顔を洗い、よれはじめのスーツに袖を通して、歯磨きガムを口に放り込んで家を出た。また、タクシーか。この出費が重なると結構痛いことになりそうだ。

 拾ったタクシーに乗り込んで行き先を告げると、運転手が気さくに話しかけてきた。

「また、お会いしましたね、刑事さん」

 この前の中性的な感じの運転手だった。

「この辺を回ってるんですか?」

 千尋のなにげない問い。

「はい、毎日だいたい同じところを回ってます」

 そうなのかと思いながら、美里署に乗り付ける。

 署に入って受付の人たちとあいさつを交わして、刑事課へ。そこでは、一人難しい顔をした権像が自分の席で資料に目を通していた。

「おはようございます」

「おう」

「今日は、なにがあったんですか?」

「四人目が出た」

「四人、目? って、あの連続殺人事件のですか?」

「そうだ。しかも、さっき末吉が盗ってきたナイフが連続殺人事件の凶器と一致することがわかった」

 沈痛な面持ちの権像。飄々としているがやはり応えるのだろう。

「ナイフは回収出来たのに、まだ続けるなんて」

 悔しさがこみ上げてくる。権像もまた悔しさを隠そうとしない。

「で、犯人は後藤田に関係する人ですか?」

「いや違う。おまえさんには、微妙だが捜査に協力してもらう」

「自分も捜査に参加させてもらえるんですか?」

「そうだ。ほぼ俺の独断による特例だと思ってくれ。これが資料だ。ただ、気をつけろ。作り物とは違う応える写真ばかりだ」

 恐る恐る資料を受け取る。表紙はまだなんともない。

 意を決して中を開ける。そこには、生々しい犯罪の痕、死者の無念、人間が人間じゃなくなっている写真が何枚も載っていた。

 千尋は、最初こそクルものがあったが、すぐに慣れて食い入るようにして資料を隅から隅まで読む。そこから得られた情報は、テレビなどでは到底得られない事細かなものだった。

 容疑者の目星もすでについている。あとは、鑑を取って絞り込むだけまで来ているだけのようだ。

「おまえさんは、どう思う?」

「悲惨、ですね」

「違う、マル被についてだ」

「この容疑者リストに上がっている人たちのアリバイは調べたんですか?」

「もちろんだ」

「捜査本部では、これも四件目と断定してますが、根拠は?」

「手口がそっくりすぎる。模倣犯にしては、正確過ぎるんだ」

「なるほど。権像巡査長、この前三件の資料も見せてもらえますか?」

「ほらよ」

 四件の被害者の写真を並べてみる。確かに、顔への殴打が見られ、身体には索状痕が見られ、死因はナイフによる刺殺だ。恨みでもあるのだろうか、何度も刺していた。めった刺しとまでは行かないまでも深い恨みか快楽のどちらかが垣間見える。

 顔への殴打は、知人の犯行かどうかを見分ける根拠になりうる。知人だと普通あまり顔面へ攻撃しない。もしくは、恨みが深いと徹底的に攻撃する。

 この写真の具合だとどちらでもない。暴れたから大人しくさせるために殴った感じ。つまりは、行きずりの可能性が高い。

 その割に、被害者の身体にはロープ状のものを巻き付け拘束しており、準備が周到にも見える。行きずりと矛盾している気がした。ただ、相手が誰でもいい、無差別ならその矛盾は解決する。犯人はただの殺したがりなのか。

 その殺したがりを肯定する材料として、被害者が女性ばかりで、容疑者は男のみ。弱者を選び、行きずりで殺す。これも、連続殺人犯に多い傾向だ。

 そうなると、犯人は快楽殺人嗜好者という結論が一番自然だ。無秩序型の犯行にしては、やり口が計画的すぎて、秩序型の快楽殺人嗜好者の方がしっくりくる。

 前三件の資料に目を通した千尋はすぐに違和感を覚えた。権像の言うとおり、犯行の手口があまりに似通っている。その度合いは、極端で同じ人間でもそこまで出来るのかというくらいに精確だ。そこに、千尋は違和感を覚えた。

 それに、矛盾は他にもあった。怨恨の線が強い人物がそれぞれの被害者に対し居るということ。同じ人間による連続殺人だとすると、間隔がめちゃくちゃで快楽殺人嗜好者ではない気がすること。

 矛盾ではないが、手口があまりに統一されていて儀式めいたものも感じ取れる。

「嘱託殺人という件は洗ってみたんですか?」

「それも視野に入れた。同じ人間がやっているなら、その儀式めいた殺し方も犯行の類似性も説明できるからな」

 なるほど、やはり権像も儀式めいたものを感じていたらしい。

「だが、こいつらの周りで暗殺者や暴力団との接触は確認が取れなかった」

「なるほど。言っておいてなんですが、仮に殺しのプロがやったとしたなら犯行手口を一緒にするでしょうか。もしくは、こだわりがあるなら過去のどこかで同じ様な犯行の記録があってもおかしくないで気がします」

「どうだろうかな。日本は、割りと都道府県をまたぐと情報の共有が甘くなるからな」

「そうなんですか。…………この三件では、別々の人たちが怨恨の線で浮かんでますね」

「ああ。だがな、それぞれの件に繋がりがないんだ。ここまで手口が同じなのに、犯人が別ということが起こりうるだろうか、というのが捜査本部の見解だ」

「ちなみに、前三件の怨恨の容疑者への取調べは行いましたか?」

「当然だ。だが、一件目の容疑者は、二件目の被害者とはなんの面識もなく、また二件目の容疑者のことはまったく知らなかった。アリバイも確認済みだ」

「その人たちから話を聞いたのは権像巡査長ですか?」

「いや、俺は選抜されなかった。ちょうど、他の区の事件に当たっていたからな」

「では、彼らが嘘をついていたとしても見抜けなかった可能性があったわけですね」

「おい、口を慎め。別に俺じゃなくても他がざるなわけじゃない」

「いえ、相手はそのレベルで犯罪を隠匿できる相手だと認識すべきです。もう一度話を聞き直した方がいいと思います」

 さすがの権像も閉口せざるを得ないのか、黙ってしまう。

「おいおい、まじかよ。朝早く来てみれば、珍しいものを見ちまった」

 これは三文の徳なのかねえ、といいながら槐が刑事課に入ってきた。

「おはようございます、槐さん」

「おう、おはよう。神崎、おまえプロファイリングをきちんと修めてないんじゃなかったか?」

「はい、きちんとは修めてません」

「それで、その眼力か。末恐ろしいな。ろくさん。これは、一度言うことを聞いてみた方がいいかもしれませんよ」

「そう、だな」

 権像は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。隠そうとして見えているのではなく、無防備にその顔をさらしていた。それは、新人に厳しいことを言われたからではなく、別の感情に起因している後悔のようなものに見えた。



 そのままの勢いをもって、捜査会議が始まる前に、権像たちは捜査本部長の元に報告をしに行く。今気付いたこと、これからの方針を伝えるために。

「犯行は、極めて計画的と言えるでしょう。まず、露見するまでに時間がかかっています。しかも、死体を動かしていないのに。時と場所を最初から決めていたのではないでしょうか。ロープなどの拘束具の準備や凶器、物証の乏しさも秩序型の犯行と呼べるでしょう」

 朗々と語る千尋。

「ですが、快楽殺人犯ではないと思います。自分は、怨恨による犯行だと考えています」

「じゃあ、犯行の類似性はどう見ている? そこが繋がらないと話にならないぞ!」

 捜査本部のお偉いさんは、怒気のこもった声で千尋を脅し、睨みつけてきた。いきなり捜査方針を否定されて怒らない責任者はいないだろう。しかも、千尋という新米に。

 千尋は怯えなどは顔に出る。だが、千尋は胆力でその攻撃を耐え凌いだ。無表情な顔のまま、真っ直ぐ捜査本部長の目を見返す。

「そこは、自分と権像巡査長にもう一度それぞれの相手から聴取させてください。お願いします!」

 千尋は、頭を深々と下げた。勝算があるわけじゃないし、なにを聞くかも整理が付いていない。

 だが、権像の悔しそうな顔が瞼の裏に焼き付いて離れないのだ。権像ほどの男が後悔している。それを知りたい。あわよくば、力になれないか。そんなむしのいいことも考えている。

 だが、一番はそこではない。けっこう酷い五日間を味わってきたが、自分は権像から学びたいと思っている。そのためにまだまだ現役を続けてもらわねばならない。もう、現役から引退しそうに先ほどは見えた。それに慌てた、それが運の尽きだろう。

「俺からもお願いする」

 報告の間中一言も発しなかった権像も捜査本部長に頭を下げる。

「権像さん、本当に成果出るんでしょうね?」

「わからんが、手応えとしてはある」

「だけど、割ける人員はいませんよ?」

「私も参加します」

「生瀬くん……。なにも君まで参加しなくてもいいんじゃないか?」

「お願いします」

 幹部候補生の筆頭に頭を下げられるのは悪い気はしないのだろう。顔の端々に優越感を浮かべている。この捜査本部長はけっこう歳に見えるし、もしかしたら現場叩き上げなのかも知れない。

「じゃあ、特例として認めましょう」

「ついでに、ポリグラフの使用も認めてくれないか」

「あれで、出るんですか?」

「ああ、恐らく」

「恐らくって……。だけどまあ、権像さんが言うのなら」

 そういって、話をなんとかまとめて刑事部屋に戻る。



「だけど、神崎。プロファイリングを使うのを躊躇っていなかったか?」

 槐の当然の質問だ。数日前に、確かに嫌がったのを、こうも簡単に手の平を返したように使っては聞きたくもなるのだが人情だろう。

「自分は、自分の判断一つで多くの人間を混乱に陥れてしまうのではないか。余計なプロファイリングが犯人逮捕の妨げになるのではないか。それを危惧してました。そんな責任を負えるほど時間をかけていませんから」

「今回だって少なからず動くぞ」

 それは間違いない事実だ。しかし、辞めることも明良に認めてもらったので、捨て身になれる。出来ることをやってみる覚悟は出来た。

「申し訳ありませんが、槐さんと権像巡査長は数えていません。問題は、生瀬警部補です」

 そういって、途中参加のキャリアを見た。

「ああ、こいつこそ数えなくていい。こういう捜査があることを教えておきたい。それにしても、勤続数日のやつにオレやろくさんが使われるとはな。本来なら天変地異だぜ?」

「それに関しては後日正式な謝罪をさせていただきます」

「いいってことよ。大した度胸だって褒めてるんだよ」

 拳で千尋の胸をとんと当てる槐。

「では、権像巡査長。始めましょう。我々の戦場で我々の戦いを」

「……いいだろう。見せてもらおう、その戦場での生き残り方を」

「じゃ、とりあえず。生瀬、任意同行をお願いしに行くぞ」

「はい」

 槐と生瀬は颯爽と部屋を出ていった。

「やってもらうぞ」

「はい」

「失敗は許されない」

「わかってます。それより、ありがとうございます」

「許可の件か? それなら、警察官としての義務だ。気にすることはない」

「いえ、ポリグラフの使用許可を取っていただいたことです。どうやって被疑者に触るか考えてました。ポリグラフの使用許可はその点を考えずに済みます」

「こっちは絶対なにかを吐かせなくてはいけないからな。出来ることを出来るだけやっておきたかった。これでなにも出なかったら犯罪心理学研究所に戻されるかも知れないぞ?」

「それは、深く考えてませんでした」

「もしくは、犯罪心理学研究所との連携も切れるかも知れない。おまえさん一人の問題じゃなくなるかも知れない」

 そう言われると、ぞくっとしたした感覚が足下から脳のてっぺんまで駆け抜ける。否応なしでやらねばならない状況に追い込まれた。しかし、後に後藤田もいると思うと心は急く一方である。

 さらに、明良が味方でいてくれるという事実が大きい。どうせ研究所に戻されるなら、やりたいようにやってから辞めてやる。普段の千尋にはない気概を持っていた。

 矛盾するようだが、明良が認めないといった人間ポリグラフ。それにだって、自分はなってやる。なんとしても、この事件を解決したい。万が一にも明良に危険が及ぶ可能性があるならなんとしても排除してやる。強い決意が千尋を動かした。

 犯罪心理学研究所には悪いが、ここは意地を張らせてもらおう。

「はい、覚悟して臨みます」

「け。嬉しそうな目をしやがって」

 興奮で瞳孔が開いたのかも知れない。やはりこの人の観察眼は精緻で鋭い。この人に、付いていこう。そう決めた。

 明良は必ず守る。そのためには何でもする覚悟だ。権像に付いていくし、やり方も真似させてもらう。きれいだとか違法だとか関係無い。後藤田に繋がる道を見つけられるなら悪魔にだってなってやる。


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