12.

 朝、目を覚ますとそこに明良の姿はもちろんなく、時間もずいぶん早い。昨日、胸がむかつくことを思いだしたせいか、ザンギがもたれてる。少し、気持ちが悪い。

 胃薬を飲んで一段落したら、ふと気付く。昨日の仕事の悩みが若干軽くなってることに。とりあえず、今日一日は頑張るかと思えるくらいには回復していた。

「食い物の力ってすげえな。いや、違うか。明良がすげえんだよな」

 そこで、後藤田の問題をどうするか考える。警察は、基本的に防犯を中心に動かない。具体的な被害がないと動けない法律上の問題とかもある。

 それが前科者であっても、法律上更生したと見なされれば、具体的な犯行を行わない限り監視くらいが関の山だ。

 とりあえず、地域課に言って情報をもらえないか聞いてみよう。必要ならば、自分が張り込みに行ってもいいぐらいに考えていた。

 特別な呼び出しもなく、通常出勤。それでも、早い方でまだ誰も来ていない。

 本日もまた権像の教育、育成の指針に沿ったとされる命令によって警察官の基礎をたたき込まれていた。

 ようやく、一日の勤務から解放されるかと思った夕刻の四時半。刑事課に一人の男が駆け込んできた。少し大きめの鞄を大事そうに胸に抱えている。

 顔は知った顔だった。置き引き常習の末吉である。権像は、複雑な表情をした。厄介ごとのにおいしかしない。それは、新人の千尋でさえ感じ取れた。

「どうした、末吉?」

 いつもと違うものを感じ取ったのか、権像が訝る。

「あ、あのろくさん! お叱りは後で受けますんで。とりあえず、これを見てくだせい!」

 そういって、黒い鞄を大きく開帳する。中には、ナイロン製のロープと大きなサバイバルナイフが入っていた。

 騒然となる刑事課の面々。嫌な予感が千尋の脳裏をよぎった。直接の関係はまだないが、昨日の後藤田の姿がまぶたの裏にちらつく。

「末吉、ちょっとこっち来い」

 権像が末吉を取調室に呼び込む。

「おい、さぶ! それ、鑑識に出して刺創と照合してもらえ!」

「がってんです」

「神崎は、こっちに来い!」

「はい!」

「末吉、またやったな?」

「へい」

「どうしてこれを盗んだんだ?」

「なんか、とっぽい兄ちゃんが後生大事そうに抱えていたんで、大金かなにかかと思いやして」

「そうか。褒めてはやれん。だが、叙情酌量はする。末吉、どんなやつからこれを盗んだんだ?」

「とっぽい兄ちゃんでやす。全身黒尽くめで、異様な雰囲気でやした」

「ひげは生やしていましたか?」

 あまり表現豊かではない末吉の説明に、千尋が居ても立ってもいられず口を挟む。

「へい」

「短髪で、歳は二〇半ばぐらい?」

「そうでやす! お兄ちゃんなかなかやるっすねぇ。さすがろくさんのお弟子さんだ」

「神崎、心当たりがあるのか?」

「あります。前歴者リストの中から写真をもらって来ます」

 千尋は、背中から血の気が引いていた。やはり、後藤田は報復しに現れたのだ。確信もないのにそう思わずにはいられなかった。

「神崎、あまり短絡的になるな」

 権像の忠告もほぼ耳に入っていない。千尋は取調べ室を飛び出して写真を取りに向かった。ただただ気が逸る。

 どこで、どうやって写真をもらったか覚えていない。その写真に憎しみの視線を向けながら取調室に戻ってきて末吉と権像に見せる。

「そうでやす。この男でやんした」

「こいつは、後藤田といって、高校時代に婦女暴行並びに婦女暴行未遂で逮捕、高校を退学させられています」

「顔見知りか?」

「………………未遂に終わらせたのは自分です。逮捕されたときにも自分は立ち会いました」

 奥歯を噛みしめ、拳を強く握る。もうこの男に対し憎しみしか感じられない。また、明良を傷つけるつもりなんだろうか。許すとか許さないとかの段階は飛び越えている。

 殺してやりたい。そんなどす黒い感情が千尋を苛み、目を曇らせる。

「おまえさんの関係者が被害にあってんのか?」

「はい」

「そうか。じゃあ、この捜査からは外れてもらう。身内の捜査には参加できない決まりだ」

「そんな!」

「おまえさん、そんなに殺意むき出しの人間を捜査に加えられると思ってんのか?」

「ぐ」

「そういうこった。この件は、捜査本部に任せる。ナイフの鑑識が終わったらまたなにかわかるだろう」

 嫌だと反発したい。でも、それを口にすることが出来なかった。

「今日のところは、帰れ。ゆっくり風呂にでも浸かって落ち着け。無理だとは思うが」

 権像が肩に手を置きながらそういった。権像の手の温もり以外全てが、冷たく温度を失ってしまったような感覚になっている。

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