11.
後日。後藤田たちは連続婦女暴行犯として警察に逮捕される。実名は出なかったがニュースにはなった。千尋は、軽度の頭蓋骨陥没と拳の骨折で入院することとなる。
二週間入院していたが、明良は一度も見舞いに来なかった。別に恩を売ろうとか思っていたわけでもない。なので、それでも良かったと思う反面、単純に一番会いたい顔だったので残念だとも思った。
退院して、三日ばかり自宅で静養した後、復学する。そのとき初めて明良が学校に来ていないことを知った。
思い返せば、メールすら来ていない。明良のことだから、明日になればなにかしら反応があるだろうと二週間強、こちらから動かなかったのは完全に怠慢だった。
学校の帰りに、明良の実家である大多屋に立ち寄る。店に変わりはなく、お客さんも夕食前の時間帯にもかかわらずちらほらといた。
「こんにちは」
千尋は、申し訳なさそうに暖簾をくぐった。久しぶりの大多屋だったからだ。
「おう、いらっしゃ、って千尋じゃねえか!」
店主の親父さんは、まさに明良の父親って感じの人で豪放磊落な人柄である。
「ご無沙汰してます」
「本当だぜ。もっと顔見せてくれよ。おう、母ちゃん、千尋が来てくれたぞ」
「あーら。いらっしゃい!」
中年の女性が出てきてくれる。こちらも、また明良の母親という表現がぴったりくる気っ風のいい、肝っ玉母ちゃんだった。
「どうも。あの、明良は?」
「あの子は、部屋に籠もりっきり。病院とトイレぐらいしか出てこないのよ。それより、千尋ちゃんの方は? 入院してたんでしょ?」
「ええ、まあ。でも、外傷だけですから。もう大丈夫です」
そのとき、最後のお客さんが出ていった。
親父さんは帽子を、お袋さんはほっかむりを取って、二人とも深く頭を下げる。
「あいつを守ってくれてありがとう。聞けば、あいつが千尋を誘ったっていうじゃねえか。そんな怪我してまで、うちの子を守ってくれて、言葉もない」
「いえ、誘われてなくてもいってましたよ」
嘘である。知らなかったら、行っていない。
顔にもたじろぐ笑顔を作った。それも嘘である。
だけど、本当のこともあった。知っていれば知らない面子のところでも食い込んでいたと思う。その結果、同じことになったはずだ。
「あいつは、幸せもんだ。その幸せにあぐらかいてんだよ。千尋の見舞いにも行ってないんだろう? 本当に、不出来な娘で済まない」
「やめてくださいよ。オレが好きでやってることですし」
あぐらをかいていたのは自分も同じ。
「そういってくれる人がいること自体、恵まれてることなのにな。我が娘ながら困ったもんだ」
「あの、明良には会えますか?」
「わからないの。部屋からはほとんど出ないし。もしかしたら、きっかけになるかも知れないから、千尋ちゃん、あの子の部屋まで行ってみてくれない?」
「いいんですか? じゃあ、お邪魔します」
店の奥へと進み、古めかしい木製の階段を昇っていく。造りは急で、ぎしぎしと軋む音が響いた。
二階の奥の部屋が明良の部屋だ。ここに来るのも久しぶりである。高校に入った頃はまだ来ていた。丸一年くらい来てないだけか。それがものすごく懐かしいことのように感じられた。
とんとんと、年季の入った扉をノックする。いい音がするので、千尋はこの扉が好きだった。でも、今回は中で明らかに明良が怯えるのがわかってドアノブには手をかけられず、立ち尽くす。
「……誰……?」
覇気のない弱々しい声。まったく明良の声のようには聞こえなかった。
「あ、オレ……だけど、大丈夫か?」
部屋の中の緊張感が一気に高まるのがわかった。千尋は、自分は明らかなる異物であることを認識させられる。それだけでも、充分衝撃だった。
「ごめん。……来ないで」
追い打ちの一撃の凄まじさたるや、椅子で殴られて軽度の頭蓋骨骨折なんて比じゃない。言葉もなく部屋の前で呆然としてしまう。
「たまたま、着替えの最中だったか? そんなの気にするな。見慣れてる」
そうおちゃらけて、部屋に押し入ろうとしたが、手も足も微塵も動かない。部屋の中からも否定の沈黙が返ってきただけである。
「あ、あ、えっと。オレ、なんかしたか?」
「ううん、あんたは悪くない。むしろ、助けてもらったのに。……ごめん」
「おまえは、無事なんだよな?」
「うん」
「じゃあ……、また来る」
そういって、扉の前から去ろうとしたが、足は動かない。未練がましいことこの上ないが正直な気持ちもでもあった。
「止めようとしても、止められなかった。あんたは、朦朧としながら後藤田のこと殴ってて。完全に意識がないのがわかっててもわたしじゃあんたをなかなか止められなかった」
「う、すまん」
「あんたは、悪くない。悪いのはわたしなんだ。でも、わたしは男の人がどうしようもなく怖いの」
「でも、オレはおまえに拳を向けたりしない。絶対だ。約束する」
もはや、千尋の言葉は宣誓と言うよりは哀願に近かった。
「……あんたのことも怖い。相手を殴るあんたは、鬼かと思った。助けてもらったのにね。でも、男の人に襲われたらもう逃げられないんだと思ったら、怖い。どうしようもなく」
「怖い」を繰り返す明良。ここで、社会に復帰できなければ明良のために良くない。「怖い」と引っ込まれるたびに傷つきながらも、この日から明良の家へ通い始めた。
明良のために通ってきているのも事実ではある。がしかし、全部ではなかった。社交的で人の中で輝く明良の笑顔が千尋が一番好きだったからだ。
せめて、自分と顔を合わせてくれやしないかと、一縷な望みを持って通った。そうすればなにかが変わる気がしたのだ。
だが、千尋は無力だった。明良は、カウンセリングに通っている。専門知識のない千尋は邪魔にはなっても、助けにはなっていない。そのことを知りながらも千尋は明良のところへ行くのを止めなかった。
「オレは、後藤田たちに恨まれるのはなんにも怖くない。でも、おまえに会えない日々はめちゃくちゃ辛い。おまえの飯、また食いたいな」
そういった直後、部屋の前から立ち去ろうとして千尋は倒れる。最近、ストレスで睡眠が狂い、食欲、体調が変調をきたし、ぼろぼろだったのだ。
大きな音を立てて、硬い木の床に転倒する千尋。一階にいた明良の両親が何事かとどたどたと二階へ駆け上がってくる。意識はあるが、身体が自由に動かない。力が入らず目眩も止まらない。
「ちょっと、千尋ちゃん?!」
「大丈夫……です」
千尋は、感じていた。今まで、ベッドの中で怯えていた明良が、厚くもないこの扉の向こうで息を殺して自分の様子を窺っているのを。おろおろと狼狽える明良が瞼の裏に浮かぶようだ。
後は、この扉を開けるだけ。だが、そこが遠い。勇敢な明良にして、きっとドアノブに手をかけることさえも難しいだろう。だけど、布団から出ることは出来た。後もう一歩。千尋は、そう確信した。
でも、こじ開けてはならない。それも理解しているつもりだった。だから、ふらつく身体を支え、千尋は家路に着く。
千尋のめちゃくちゃな生活は今に始まったことではない。明良ともう一歩まで詰め寄った後もぼろぼろだったが、学校へは通い続けていた。
段々周囲が明良のことを受け入れるというか、諦めて忘れようとし始めている。大人になったとき集まって、「大多明良なんてやついたよな~。あいつなにしてんの?」っていう会話が出るまで思い出されない存在になりかかってきていた。
明良がいないとクラスにいるのにいないのと同じ扱いを受けている。気を遣ってくれているのか、清々しているのかはわからない。
事件が起きてから一ヶ月が過ぎていた。千尋が復学して二週間経ったということだ。この辺りになってくると千尋は寝不足でちょっとした不注意が激増し、なにごとにも集中出来なくて、かりかりしていた。
千尋は、一人暮らしだ。明良が居なければ誰も千尋をサポートしてくれない。ある日、とうとう限界が来たのか起きたら昼前だった。
長く横になっていたのに、頭は普段以上に重く吐き気すら伴っている。トイレに行っても出すものはない。身体は風邪をひいて高熱を出してるかのように重く、節々が痛む。
「薬を変えないとダメかもしれんな」
独りごちる。
食事を作る気力はない。さらに食欲も減衰している。
なにかを求めるように、千尋は私服に着替えて身体をしゃにむに動かしながら一人暮らしのアパートの自室を出た。
本心では一歩も動きたくない。でも、今自分を支えてくれるのは明良の存在だった。少しずつだが、心を開いてきてくれている。ここで止めてしまうのは、良くないのはなんとく感じていた。
また性懲りもなく、明良の部屋の前に辿り着く。今の千尋にしたら一種の奇跡のように思えた。
「あんた、学校は?」
「起きたら、半休状態だった」
「寝られないの?」
「…………ああ」
「………………」
明良も言葉を詰まらせた。明らかに責任を感じている。
「ご飯は?」
「適当に、食ってるよ」
「嘘でしょ?」
なぜかわからないが、千尋の嘘は明良にはほとんど通用しない。反面、真実が伝わりやすいので、一長一短な関係だった。
「ああ。体重が二キロ減った」
「あんた、標準体重より軽かったでしょ。死ぬ気?」
「死ぬくらいになったら、なんか食いたくなるだろ」
意識がどろどろしてて、いろんなことの判断が怪しい。今も明良と言葉を交わしたい以外の欲求を理解出来ていない。
千尋は、特に感情と身体を意識して繋げないといけない構造になっている。それなのに、今自分がなにを感じて考えているかまったくといっていい程に不明だ。
千尋は、立っているのが辛くなって明良の部屋のドアに背中を預ける。すると、力が入らずにそのまま座り込んでしまった。こんな木の板一枚を突破できない自分が情けない。無力感が心を埋める。
その心に吹く寒風を遮ってくれたモノがあった。背中に温もりが感じられる。木の板で遮られていても、明良が同じように背中を合わせてくれたのだ。
そこからは、微かな恐怖と戸惑い、強い葛藤が伝わってくる。明良は、戦ってるのだ。己の中の千尋と。
「無理すんな」
「ここで無理しなかったら、一生のどこで無理するってのよ」
「だけど、焦ったっていきなりどうにかなるもんじゃないだろ」
「でも、このままじゃあんたが死んじゃうでしょ」
「オレはまだ大丈夫だ。おまえが戦っているのに、オレだけ自分と向き合わないのもなんかかっこつかないしな」
「嘘。限界でしょ。あんた今自分が言ってることをもう一回言える?」
「オレは……、オレも……、オレだって……、戦う?」
「ごめんね。わたしのためにそんなぼろぼろになって」
明良の声に涙が混じった。悔し涙だ。自由にならない自分を呪っているのだろう。
「いいんだ。おまえは、もう死ぬのか?」
「ううん。まだ生きていたいよ」
「じゃあ、ゆっくり行こう。オレもしばらくは生きて……いる、予定だ」
そういったところで、千尋の意識は急速に遠のいていった。ドアが開いて、誰かが自分を呼んでいる。だけど、もう身体が言うことを聞かなくなっていた。
次に、目を覚ますといやに消毒薬のにおいが鼻をついた。意識は朦朧としている。視界もぼんやりとしていた。
ただ、はっきりと左手に温もりを感じている。手を握っていてくれたのは、明良だった。一ヶ月以上ぶりに見る顔だ。その顔は、哀しみで曇っていた。
「う、あき、ら……」
「千尋!」
「部屋、から……出られたんだな。よかっ、た」
明良は急いで、ナースコールを押していた。
駆けつけた医者の話に寄れば、極度の睡眠不足と栄養失調とのことだ。その外見は、明良よりよっぽど病人然としていた。やつれた頬に、分厚い隈。血管の浮いた手足。
それらを、優しく撫でてくれる明良。その仕草は、愛おしそうだった。なんか、千尋の方が照れてしまう。
「あんた、馬鹿でしょ?」
「頭は良い方ではないな」
「あんたが、わたしなんかのために死んでどうするの?」
「おまえなんかじゃない。おまえのため以外に命は賭けない」
今度は明良が、照れた。理由は良くわからない。
「あんた、意識がまだはっきりしてないんでしょ?」
「ああ。頭にも充分な糖分が回ってない感じがする」
「自分の言ったこと、わかってる?」
「すまん、思いついたことが口を突いている」
「でしょうね。でも、ありがと。こんなに嬉しいことはないよ」
「そうか。良かった。オレもまたおまえに会えて嬉しい」
「もう少し寝なさい。顔がまだ酷いんだから」
「ああ。安心したら無性に眠い。起きてもいてくれるよな?」
「いるよ。わたしは、ずっとあんたと一緒にいる」
それを聞いて、千尋はまた眠りについた。
割りと、早い解決だったと思うが、これを機に明良は学校に復帰した。千尋も遅れて復帰する。日常が戻ってきたのだった。二人の関係は、ここら辺から奇妙になって来たのだったけども。
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