04.
「あの……」
昨日の衝撃が覚めやらぬ翌日。昨日のことを誰に問うことも出来ず、時間ばかりが過ぎて行った。そんな終業間際の夕方のことである。
一人の男性制服警官が男を連行してきた。捕まった男は、両手に手錠をはめられ、肩を大きく落としている。顔や歳は俯いているせいでわからない。ただ、あまり清潔な感じは受けなかった。
周りを見渡しても、槐は今日は非番なのでいない。生瀬も今は自分と交代で休憩に行っている。権像は、どこに行ったのか見当たらない。他の強行犯係の刑事には出会ってすらおらず、今強行犯係には千尋しかいなかった。
「はい、なんでしょうか?」
嫌だったが、応えた。昨日の槐の帰り際の言葉が一時も忘れられず、向こうから見たら自分は強行犯係なんだと思う。
「置き引きなんですが、権像さんじゃないと口を割らない男でしてね。えっと……」
「強行犯係に配属になりました、神崎心理技官です」
「心理技官、ですか?」
まるで、珍獣を見るような顔だ。呆気にとられて理解していないというのが前面に出ていた。
「はい。一応、巡査相当です」
「そうなんですか。わたくし、美里署生活課の……」
「ああ、ろくさん!」
名乗ろうとした制服警官の声を置き引き犯の男が掻き消した。その声には、縋り付くような声色がありありと含まれいている。
「……
どこからか帰ってきた権像は、今まで以上に疲れた声をしていた。
「じゃあ、権像さんよろしくお願いします」
「ああ、お勤めご苦労さん」
「へい、ありがとうございます」
末吉が後頭部を掻きながら言った。先ほどの意気消沈はどこへやら。とても生き生きとしている。
「おまえのことじゃない」
その慣れた感じのやりとりを苦笑混じりに見ながら生活課の警察官は帰っていった。
「とりあず、なんだ。こっちに来い。神崎、おまえさんもだ」
「はい。でも、ここ人いなくて大丈夫なんですか?」
「奥に課長が居るから大丈夫だ」
そう言われて、取調室に一緒に入った。透明化のためにやはり扉は開けたままだ。
昨日、案内されたときと同じで刑事部屋と空気が違う。空気そのものが変質しているようだ。
奥に末吉が座り、手前の椅子に権像が腰掛ける。
権像は、机の上に手を出し若干前に重心を出している姿勢だ。相手のなにかに興味があるというのを示す姿勢である。
末吉は、亀の首と言われる肩をすぼめて、首を可能な限り縮めていた。元々小男と言った方がしっくりくる体格がより小さくなって見える。
「なあ、末吉?」
権像が口を開いた瞬間。
「すいやせん!」
末吉は、地べたに正座しいきなりの土下座。
その光景に千尋は驚いた。泣き落としとも思えたが、だからといってなにを言えるわけでもない。黙って権像の背中を取調室入り口横に立って見つめていた。
「なあ、末吉」
「はい、すいやせん!」
二度目の謝罪。その瞬間、権像の背中が疲れた中年のそれに見えた。でも、一瞬。本当に一瞬のことだった。
「何度目だ?」
「六回目でやす」
「俺ともうしないと約束して何回目だ?」
「五回目でやす」
「そうだな。おまえは、記憶力がいい。間違いないないだろう。しかも、賢い。それなのに、なんで置き引きがやめられない?」
「お金に困って……」
「そうだな。毎回お金に困るよな。なんで、賢いはずのおまえが保護費で足りない?」
「あっしが、無駄遣いするからでやす」
「俺は、その説明を六回聞いた。俺の馬鹿な脳みそにもそう刻まれてる。で、なんで足りなくなる?」
「すいやせん!」
権像は、腕を組んでパイプ椅子に深く腰掛けた。目をつまむように揉んで間を取る。
「とりあえず、土下座ではなにも解決しない。椅子に座ってくれ」
「はい」
完全に意気消沈した末吉は、また身体を小さく丸めて椅子に腰掛けた。浅くはなく、深く腰掛けている。
向こうも持久戦を覚悟しているのだろうことと、権像に誠実であろうとしているのが読み取れた。
「今回は、なにを盗った?」
「ハンドバックを一つ」
「それだけか?」
「へい」
「で、盗もうとしたときに置き引き防止用のブザーが鳴ってお縄か」
「へい」
「おまえも焼きが回ったな」
「へい、面目ありません」
「で、今回の件だが、被害者がおまえを告訴しないとおっしゃってくれてるから、罰金払って帰れ。そして、いい加減懲りろ」
「へい、すんません」
末吉は、何度も頭を下げて取調室を出て行った。
権像は、大きく息を吐く。
「なあ、神崎」
「はい」
「今のやつを見て、嘘を見つけられたか?」
「申し訳ありません。自分には、本当のことを言っているようにしか見えませんでした」
「そうだろ? 俺にもそう見えた。だけどな、あいつはまた来る。そうやって六回繰り返してきたんだ」
権像の後ろ姿が、くたびれているように見える。
「俺はあいつが置き引き止められない理由を知っている」
千尋にはなんと応えていいかわからなかった。
「嘘は言ってないのがわかるのも辛いよな」
肩を大きく落とし、年相応の哀愁が権像の背中を包んでいた。
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