第13話 使命

女の名はミユルといい、この村唯一の医者だということだった。

 俺がいたあそこは、小屋ではなく診療所。俺は一週間ほど前に行方をくらましたきりだったらしく、ボロボロの姿で突然戻ってきた俺は緊急搬送という形であそこに運び込まれた。


 半ば死人として扱われはじめていた俺が戻ったという報せは、この小さな集落での一大ニュースとなったらしい。

 ミユルあの後、数人の男を引き連れ戻ってきた。彼らは皆村人であり、村の重役でもあった。

 彼らはまず、俺の生還を心から祝ってくれた。

 涙を流し俺に抱きつく男、神様がなにかに感謝の祈りを捧げる爺様。

 俺にとっては見ず知らずの人間とはいえ、ここまで俺の存在を祝福してくれることには、少し涙腺が緩んだ。



 そして………今俺は、俺の家に帰ってきていた。

 勿論、四日達に追い出されたあの家ではない。

 この世界の『彼』が生まれ、育ち、そしてついぞ帰ることのなかった場所。

 この村の中心に突き立つあの巨木には及ばないほども、両手を広げた俺が片手程度では囲えない巨大な木に寄り添うように、この家は建てられていた。

 部屋数は少ないものの2階まであり、一人で住むには広すぎるこの家に、同居人はいなかったらしく俺を出迎えてくれる人間はいなかった。

 2階の自室は好き放題に放置されたカビ臭い書物の匂いに包まれ、片付けられない人間特有の秩序だった混沌を作り出していた。


 どう見ても足の踏み場すらないその部屋に、俺は不思議とすんなり入り込めた。

 周囲が物で埋まっているため一見ではどこにあるかもわからない机の上には複数の書物が置かれていた。

 少し目を凝らし、ページをめくってみるが、残念ながらさっぱりだ。わかってはいたものの、淡い期待が拭われたことに一抹の慚愧を覚える。

 あの時、診療所で交わされた会話が思い出された。




「ハァ…もう、そのあたりでいいでしょう?ねえマレス様。」

「そうじゃな。皆、同胞との再会の喜び。儂も同じ気持ちじゃ。しかし、儂らがここに来た理由もそろそろ思い出さねばな?」

 まず、困惑する俺を尻目に温まっていく場の熱を冷まそうと、ミユルが声をあげた。

 そしてそれまで後ろで和かに様子を見守っていた老人が口を開くと、村人達はバツが悪そうに苦笑し合うと、俺から離れていく。


 マレスと呼ばれたその老人は、この村の長だ。村長さんだ。

 深緑のローブを羽織ったその体躯は、老いてなお往年の屈強さを忍ばせ、見る者に畏敬の念を抱かせる。

 俺はその穏やかな笑みをボーッと見つめていたが、村長さんの視線がこちら向いていることに気づいた。

 村長さんは笑顔を引き締め、俺に話しかける。

「コウよ、お前には聞かねばならんことが狼の毛ほどある。しかしミユルから聞くと、お前さん獣に飲まれたそうじゃな」

 周囲の空気が変わる。皆ギョッとした目で俺を見つめ、中には恐怖を浮かべ後ずさる者もいた。


(獣…?なんのことだ)

 勿論俺に心当たりなんてない。それより皆の様子が気になってしょうがない、何かしてしまったのだろうか。

 しかし、村長さんの言葉が記憶喪失ウソのことを指しているのは間違いないだろう。

「はい…それがなにかはわかりませんが、何も…思い出せないんです」

 落胆、失望、今度はそういった声があがる。目を覆い壁を蹴りつけた一人がミユルに張り倒される。

 焦った声で何か話し合う村人達。話の脈はわからないが、「もう時間がない」「代わりが効かない」などという言葉が飛び出し、不穏な状況であることが伺えた。


「静まれェい!!!」


 打って変わって浮き足立ち始めていた場の空気を、村長さんの怒号がかき消した。

「あいわかった。コウよ、騒がせてすまんかったな。儂らはこれで失礼するよ。後のことは、ミユルに聞きなさい」

 その言葉にミユルは静かにこうべを垂れ、さて皆の衆、という声をきっかけに、あれ程騒がしかった村人達は慌ただしくこの場を去っていく。

 すぐに、診療所に再び静寂が戻った。


「あのー…」

さっきとは違い、部屋に残ったミユルとの沈黙に耐えかねた俺は、とりあえず何か話さなければという義務感から口を開いた。

 正直、聞きたいことは山程あった。そしてこれはいい機会に違いない。村長さんの言葉からしても、ユミルはそのために残っていてくれているのかもしれない。


 そんな俺の胸中を他所に、ミユルはまた苦虫を噛み潰したかのような顔でこちらを見ている。

 さっきのイカれた笑顔よりかは万倍マシだが、これはこれで居心地が悪い。

「ハァ。ほんと、調子狂うわね…けどマレス様から命じられてしまったし、いいわよ何?」

「さっきの村人さん達の様子、あれはなんだったんですか?ただ事ではなさそうでした」


 村の終わりとまでいう事件が、今起こっている。そしてその原因が俺にあるらしいとあっては気にならないわけがない。

 しかし俺はそれを忘れている人間である。ミユルは案の定お前がそれを言うかといった様子ではあったが、素直に話してくれた。

「アンタが失踪前にやってたシゴト、期限が近いの。」


シゴト


 それは俺がこの世界に来た理由だ。

「そ、そ、それって!!何、何の!!?」

 ミユル勢いあまった俺を鬱陶しそうに見つめる。

「税調査よ。王都提出用の書類。魔法文字が使えるのはアンタだけだったから、今相当面倒くさいことになってるわ。赦免状をもらわなきゃいけないけどそれも間に合わない。」

 ホント何てことしてくれたのよ、と。

 ミユルは俺に吐きすてた。



 彼が就いていた仕事を俺の知識で語るなら、それは司書と呼ぶべきものであったと思う。知識を守り、知識を伝える。村のご意見番のような存在。

 元々は、村の書物の保管を任され、求めに応じてそれを開示する仕事であったそうだが、現在では村の内政にも携わるようになっており、今回の事件はそれが原因だった。


《魔法文字》

 それは文字通り、魔法により編まれた文字のことだ。

 書くにも読むにも専門の知識がいるものの、術者の意識を嘘偽りなく相手に伝えることができ、術者によって差異も生まれるため偽造は不可能。この世界において公式文書を認める際には必須の魔法。

 そのため、集落には魔法文字習得者が必ず必要となるのだが…


 今、この村は3年に一度の資原調査の時期を迎えていた。

 村の資源を調べ、一覧化し、国に提出する。その性質上、魔法文字での作成が義務付けられている。

 そう、そしてこの村に在籍するただ一人の魔法文字習得者、それが俺だったのだ。

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