第11話 指針
ふわふわとした何かが、鼻先をくすぐった。
顔を撫ぜるそれは、顔中を綿毛でマッサージされているようで、とても気持ちが良い。
手の先が、柔らかい何かで包まれている。
(握られてる?)
それに、ベットか何かに寝かされていたらしい。自分が暖かな毛布に包まれているのを感じる。
曖昧な意識でそんなことを考えながら目をあけると、髪だったらしい先ほどまで顔にかかっていたそれが目に入る。
「痛ッ」
意識を覚醒させる鋭い痛み。堪らず目を擦り、視界をハッキリさせる。
陽光に反射し、夕日のような暖かな赤毛をもった長い髪の少女が、俺を見つめていた。
玉のように丸い目をさらに丸く広げ、小さく開かれた口からは、言葉になっていない空気の流れが伝わってくる。
あまりに悲壮感漂うその様子に、俺も圧倒されてしまい言葉が出ない。
両者無言の静寂、だが、彼女は気がつくと大粒の涙をその目にだが湛えていた。
状況が飲み込めず、俺はさらに硬直してしまう。
「ウグッ!」
突然、腹部に強烈な衝撃が。
重い、胃の中が空っぽだったのか、どうにか嘔吐は避けることができたが口の中に広がる胃液の味と、腹部に突き刺さった鈍い痛みのダブルパンチに悶絶する。
犯人は当然目の前の彼女、俯きながら震えてはいるが、その拳は今も俺の腹へと突き刺さりグリグリと傷口を広げんと捻じくりまわされている。
だが、それもすぐに終わった。少女は徐ろに立ち上がると、無言で俺に背を向け、部屋を出て行く。
彼女が背中を向けた瞬間、雫が日に輝きながら散っていくのが見えた。しかし、俺にはどうしようもないことだった。
●●●
それから暫く、ベットの中で一人思案に明け暮れた。
記憶の整理をしなければならない。俺は、イルミアとの出会いから今までに起きた出来事を思い返し、自分が誰かに助けられた事を思い出す。
(察するに、その誰かが俺を運んでくれたんだな)
心の中でその見知らぬ誰かに感謝する。ここは大森林サリアにほど近い集落か何かだろう。
ならば、俺は自分の居場所に心当たりがあった。
身を起こし、まずは窓に向かう。見つけたいものがあったのだ。
外は昼頃の陽気だというのに、窓から見えるものはそう多くない。木々が立ち並ぶ中細い道がひっそりと伸び、他に家もない。
だが俺は目当てのものを見つけた。
視線を上に上げる。そこには、木々のカーテンを貫き一本の巨木が聳え立っていた。
この世界の西の果てに広がる大森林サリア。その傍にかつて聖樹と呼ばれた大木を中心に形成された、ごく小さな集落あるという。
(ここが、そうなのか?イルミア)
彼女と共にたどり着くはずだった場所。
俺の第二の人生の開始地点に、俺はいつのまにかたどり着いていたようだ。
俺がこの世界で生活するにあたって、説明された情報を思い返す。
俺は、元々この世界の住民で会ったXとなり替わり、そいつの生活環境ををそのまま引き継ぐことになっている。
イルミアが言うにはソイツという概念を俺が被る、とかなんとか。
Xの能力に準じた行動が、今の俺には可能となっているそうだ。
ここで気をつけなければいけないのが、「頭で記憶した技術」と「体が記憶した技術」の違いだ。実は、実際に今俺がこの世界でできることといえば、他者との会話程度らしい。
その他こいつが持っていた経験に基づいた技術なんかは、俺には使うことができない。日々の生活を繰り返す中で取り戻す力もあるということだったが。
そしてその代わりに、俺は元の世界の知識、技術の使用を禁じられている。
この世界に存在しない知恵は、当たえる影響が巨大すぎるためだそうだ。
試しに頭の中の知識を攫ってみると、何か、違和感がある。
自分の記憶にいくつもの虫食いがある。いつも容易に連想できていた事柄がブッツリと断ち切られていてそこから先が思い出せない。
「ウッ…!」
得体も知れない気持ち悪さに嘔吐感がこみ上げてくる。俺はうずくまり、震える自分を抱きしめる。
俺という人間を構成する記憶、それがスカスカになって、今にも崩れそうだ。
(父さん、四日、イルミア…!)
消えた記憶とは逆に、確かに俺の中に残る人たちの記憶を必死にかき集める。
幸い、その違和感はすぐ消えた。断裂した記憶も、元々そういうものだったという風に思えるようになっている。
これが、知識や技術を禁じるということなのだろう。その意味を身をもって知る。
その後は、ほかに何かできることはないか、魔法が使えたりはしないかと色々試してみたが、特に何が起きるわけでもなかった。
わかったことといえば、つまりは結局この世界でも俺は、無能だということだけだった。
少しはマシになるかと期待した俺の新人生、これじゃマイナススタートじゃねえか。
しかし、そんな境遇はありえないはずだったのだ。元々は、イルミアのサポートを受け徐々にこの世界の文化に慣れ、溶け込んでいくという計画だったのだ。
だが今彼女はいない。それはあまりにも大きすぎるイレギュラーだ。
こんな状態での新生活なんて、何の冗談だ。
0からならまだしも、既に構築された人間関係を維持して俺は生きていかなければならない。
(そんな器用なことができたらこんなところに来てねえよ!)
どこまでいっても理不尽な世界だと、頭を抱えずにはいられない。
先の赤毛の少女の涙が、脳裏をよぎった。思えば、最初の弊害は既に起こってしまっている。
(知り合い、だったんだろうな)
家族…だろうか、姉、妹、友人、それとも…
(恋人?)
顔が熱くなる。いやいや、まさか。ハハ、困ったな。ひとしきり心の中で喜び踊った後、その気持ちは一旦落ち着けておく。
この状況をどう切り抜いていくか、選択肢はそう多くない。
一つはここから逃げることだ。 その中から、俺はこれからの方針を定めた。それは…
何もしない。
イルミアは生きている、あの白狼は確かにそう言った。ならば、俺がすべきは彼女との合流、それ以外にない。
俺の成り代わりを気づくことは、そう簡単にはできないと聞いている
誰も俺を入れ替わった他人だとは気づかないし、多少のことならあえて気づかないように勝手に自分を納得させる。そういうものらしい。
正直怯えすぎではとも思う。しかし、俺は俺自身の対人スキルほど信用を置いていないものはない。できるだけ波風を立てずに状況が好転するならば、それを選びたい。
『出来るだけ目立たず生きてイルミアと合流』
わざわざ口に出して、自分にこれからの目標を刻み込む。俺には荷が重すぎるミッションだ。しかし、ここをしくじるわけにはいかない。イルミアのためにも、何より俺自身のためにも。
そんな決意を試すかのように、気合いを入れる俺の後ろで、扉が開く音がした。
誰かが、入ってくる。
「起きたのね…」
気だるげな女性の声。ビクリと揺れる肩。
俺は、じんわりと手を濡らす汗を握り潰し、ゆっくりと後ろを振り向いた。
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