第10話 待つ者

――十分後

「ゼェッ…ゼェッ…ゆるしてっ…ゆるしてぇぇ…!!」

『ギギィ!キルキルキルキル!!』

 俺は子鬼達に捕まり、嬲られていた

 確かに俺は、子鬼達からの逃走に成功した。しかし、それはあくまで一時的なもの。

 その後、混乱から回復した子鬼達は更に死力を尽くす追走を見せ、俺はとうとう虜囚の身となってしまったわけだ。

 子鬼の石斧が容赦なく俺に振り下ろされた。鈍い痛みが腹部に広がる。しかし、その光景から連想された真紅の奔出が起きることはない。

 それは、実は俺が鋼の腹筋を持っていた。などということではなく、彼女の力によるものだった。

 イルミアが俺に施したという魔法は、回復だけでなく肉体の防護すらも可能とするものだったようだ。そのおかげで、俺は子鬼の執拗な責め苦を受けても、未だ命を繋ぐことができていた。

 イルミアへの感謝の念は、汲めども尽きることのない泉のようだった。

 今は近くにいなくとも、俺を守ってくれている。しかし…

(やっぱり…弱まって、来てるよな)

 子鬼の攻撃をほぼ無力化してくれているこの魔法ではあるが、その効果は無限というわけではないようだ。その効力はだんだんと弱まってきており、最初は蚊に刺されるほどの脅威でしか子鬼の一撃は、今では確かに俺の体に響き始めている。

 それに平行して、俺の中の焦りもジワジワと大きくなっていく。このままでは、そう遠くないうちに致命的な一撃を受けることは確実だ。

(まずは、これを止めさせなきゃ…!)

 最優先事項はこれ以上のダメージを受けることを避けることだ。この力を保持することができれば、後に脱出する際、重要な助けとなる。そのために俺は行動を起こす。

「子鬼さァん!勘弁してくださいよ~。アナタ方には敵いません、逆らいません!どうか許してください!なんでも、なんでもやりますので!!」

 思いつく限りの媚を売る。別に、言葉が通じるわけではない。しかし、身振り手振りというものは、案外すんなり通じるものだと聞いたことがある。

 なので子鬼達への無抵抗をアピールし続けている。一先ず手を止めてもらおうという算段だ。

「ギギィ!」

 しかし、その返答は痛烈な石斧での一撃だった。

「ガッァ!!」

 前頭部への一撃に、目の前に火花が散る。これは、効いた。クリティカルヒットだ。

 散々コケにされた子鬼にとって、いまさら俺の媚など侮辱にしか映らないようだ。

 他者の感情の機微を把握するのは俺にとって最も苦手な技能のひとつだ。この段になってようやく、俺はその事実に気づけた。


 やばいやばいやばいやばい。死ぬ。

 この短期間の間にすっかり身近になった死の気配さん、また会いましたね。

 手足が凍りつくようなその感覚には未だに慣れることができない。行きたいという本能が、俺に行動を促す。

「クソッ、どけぇ!」

 一か八か、子鬼が武器を振り上げた瞬間を見計らいその細腕に向かって蹴りを繰り出す。

 意表をつかれた子鬼は武器を取り落とし後ろへと倒れこむ。

(今だっ!)

 俺は身を起こすと倒れた子鬼を踏み越え、再び逃走劇を試みる。

 だがしかし、それは悪手であった。

 すかさず周囲の子鬼達から攻撃が加えられ、四方からの一撃に俺はなすすべもなく、再び引き倒される。

 まだ暴れる体力が残っていたことに驚いた子鬼は、今度こそ俺の息の根を止めにかかった。

 これまでにない猛攻に、イルミアの守護も瞬く間に薄れていき意識が遠のく。

 さらば異世界、イルミアとの会話が懐かしい。この世界で出会った生き物はイルミア、子鬼、狼、子鬼、子鬼、子鬼、子鬼子鬼子鬼子鬼子鬼子鬼………

(子鬼ばっかじゃねーか!!!)

 獣娘や悪魔娘、天使なんかと会いたいなんて贅沢は言わない、せめて人間、一言くらい人と話たかった。これではあそこでのたれ死ぬのと何も変わらないじゃないか。

 サーラに食い殺された方がまだ劇的だったというものだ。

 そんなことを考えている間に、新鮮な外気に皮膚が触れる感触を覚える。それはついにイルミアの守護が失われたことを意味していた。

 次の一撃は、容赦なく俺の命を絶つ一撃となることだろう。正面に、大きく石斧を振りかぶる子鬼の姿が見えた。

「南無三!」

 渾身の力を込められたそれが振り下ろされる。



「ふんぬっっっ!!」

 突然影が落ち、目の前の子鬼の頭が弾け飛んだ。

 呆けるその場の俺と子鬼達の視線を奪ったのは、またしても斧。しかし、それは子鬼の血潮に濡れ手なお鈍く煌く鉄の輝きを放っていた。

 そして身の丈70がいいところであろう子鬼達の三倍はあろうかという大男のその強靭な肉体であった。

 一匹、そしてまた一匹、意思を持った嵐のようなその男の動きは、次々とその場の子鬼達の命を奪っていった。

 子鬼達が劣勢を悟りその場から離脱を始めるのに、そう時間はかからなかった。

「大丈夫か!?」

 男が俺に駆け寄り、抱き起こす。

 イルミアの守護があったとはいえ、無数のダメージは俺の体力を着実と削っていた。助かったという安心が、優しく俺を包み込む。

「ああ…ありがとう」

 かろうじて礼を言うことはできたが、そこが限界であった。 

「あ、おい君!?」

男は一瞬慌てたものの、ただ俺が気を失っただけだと気づきすぐに穏やかな顔に戻る。

だがその直後、再び男の顔は驚愕に歪むこととなった。

「君…いや、コウ、お前なのか!?」




●●●




 リータは、本日何度目かのため息をついた。

 一日の仕事は既に終わった。天気もいい。本来なら、もっと明るい気持ちですごせるはずだった。

 しかし、彼女の胸中は穏やかではない。心にポッカリと穴が空いたような不足感は、不必要な雑用の処理を彼女に強いた。何度目になるかわからない机の拭き掃除を終え、再びため息をつく。


「ほんと、どこでなにをしているのかしら…」

 自身の胸をザワつかせる犯人へ、心の中で悪態をつく。

 彼女の幼馴染である彼は、数日前、突然失踪した。

 彼は夢見がちな男であった。この狭い村でいつも外の世界の話を聞いては、楽しげに他人に披露することを喜びとしていた。そういう意味では、いつこうなってもおかしくなかったのかもしれない。自分探しの旅とか、急にやりかねない。

 しかし、それは考えづらかった。彼は重大な責務を担っていたからだ。彼は誠実な男でもあった。自分の村においての立ち位置をよく理解していた。そんな彼が、その責務を果たさず村を出ることなど、考えられない。

(やっぱり、もう…)

 暗い思考の雲が覆い始めてくるのを、頭を振るい打ち散らす。そして、消せない焦燥感を拭おうとするかのように、気がつけば再び机を拭いていた。


「リーナ、リーナはいるか!?」

 その時、扉が大きな音を立てて開け放たれる。そこには見上げる程の大男。

 平均的に屈強な村の男達と比べてもなお分厚い胸板。そして自分と同じ赤毛を短く切り揃えたその男は、紛れもない我が父、ラルフであった。

「ちょっと、どうしたの?そんなに慌てて」

「リーナ、喜べ、コウが見つかった!」


 ポトリ、雑巾が取り落とされ次の瞬間、リーナは走り出していた。

「ああおい、場所くらい聞いていかないか!今はミユルの所だ!!」

 そそっかしい娘の行動に、ラルフは慣れた反応で行くべき先を大声で伝え、仕事は終わったと椅子に腰掛ける。そして、妙に磨き上げられた我が家に気づき、一人苦笑するのであった。

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