第7話 樹牙の大狼

《■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!■■!》


 白狼が激昂した。太い樹木が若木のようにしなりその場から逃げ出そうとしているかのように身を捩る。

 その衝撃だけで俺は膝を屈し、自身の2度目の生の終わりを予感した。


「待っておくれサーラ…!話を…!」

 しかしイルミアはその場に立ち残っていた。身の丈を越す長杖を杭のように使い、自身を白狼の眼前に縫い止める。


《■■■■■!■■■■■■■■■■■■■■■!■■■■■■■■■■■■■■■!》


「やるっていうんだね…。互いにタダで済むとは言えないことになる。」

 なぜだかわからないが、白狼とイルミアは意識が通じているようだ。未だ激情迸る白狼に対し、イルミアの体から暖かなオーラが発せられ始める。

 俺はその光景を見て思い出す。小鬼に対してあれほどの力を見せたイルミア。

 その実力は未だ未知数といえる。

 単純な肉体の彼我では暴力的なまでの差がある、しかし、あの力を以てすればこの死地からの生還すら可能とするかもしれない。

 胸に微かな希望が灯る。

 であれば、俺にできることはただ一つ。

(足手まといにならないようこの場から逃げること…!)

 あまりな結論に胸が疼く。



《逃げてッ!》

 イルミアが、小鬼をあの白狼と誤解して俺に咄嗟にはなった言葉を思い出す。

あの時は、小鬼相手であったからこそ自分にも何か出来ることを考えた。しかし、この森そのものの化身とも思える怪物を目にしては、そんな勘違いすら抱くことが許されない。

 力の無い俺は知っている。俺が生きていたあの世界ですら、力無い義憤は他者を傷つける結果しか生まないのだと。暴力によって支配されようとしているこの場で、そのミスが何を失う結果となるのかを想像するのはとても容易なことだった。



 白狼の牙、そしてイルミアの後ろ姿からも背中を向けて、全力で地を蹴った。

 幸い、白狼はその背を追いかけることはなく、イルミアを睨み続ける。

(必ず、助けを呼んでくるからな…!)

 せめてもの気休めに、そう心に誓い、俺は街道の方角へとひた走る。それから1分もしない内、戦いの火蓋が落とされる気配がした。いくつかの爆音、そして熱風。小鬼を軽々と葬った火球が頭に浮かぶ。

(あの娘が戦ってる……!)

 ついに場は動き始めてしまった、俺にはどうすることもできない。

 緩みかけていた足の動きを戒める。

「動け動け動け、止まるなッ、動け、進み続けろッ!」

 半ば自己催眠のように、俺はそんな言葉を唱え続けた。



《パリン》



 後方で、何かガラスのようなモノが割れる音がした。

 次の瞬間、凄まじい衝撃が俺を襲う。

「ッうわああああああァ!!?」

 体が宙に浮きそのまま空を飛ぶ。

 すぐ樹木に背中から叩きつけられた。

 視界が真っ白に染まり、地面に転がる。

(息が、できない。)

 ショックによる横隔膜の麻痺、初めての体験によるその現象に痛みが加わり恐慌状態に陥りかける。

(イルミアは……!?)

 しかし、自身を庇い逃した少女の存在が、俺の正気を保っていた。今の衝撃の爆心地は間違いなく彼女らだと確信があった。かなり離れたここでさえあれ程の衝撃だ、彼女の身が気がかりでならない。

 無駄な行いであったが、ショックに霞む視界で、なんとか彼女の無事が見れないかと眼を細める。

 当然、イルミアが見えるはずもない。



それだけならどれだけよかったことか。



「嘘だろ」

 視界の先、ボヤけたその最奥で、巨大な、白い生き物が、此方に歩いて来るのが見えた。




●●●




「ありがとう、君は聡い子だ」

 自分の力を知り、自身を信じてくれた彼へイルミアはそう呟き、自らに莫大な殺意を捧げる相手に向き直る。

 杖を真一文字に降ると、青い半透明な壁が彼女を覆った。簡易な障壁魔法だ。

 そして、今にもこちらに跳びかからんとするその巨躯に向かい、先程小鬼に放ったそれより更に大きな火球を十数個程生み出し、放った。

 清涼な森の空気を喰らい、純粋な熱エネルギーが白狼を襲う。

 自身に向かう最初の二発を、白狼は上へ跳び躱した。

 爆風によりその跳躍の速度は更に上昇し、そのままイルミアに爪を伸ばす。

 その威力は、イルミアを守る貧弱な障壁など物ともせず、その体をへし折るだろう。


 イルミアは、残りの全弾を自身の足元に集中させた。熱波は彼女の全身を焼くと同時に、後方へと吹き飛ばす。

 対して白狼は、多大な熱量の爆発に自ら飛び込む形となる。しかし、常人なら小鬼と同じように骨すら残らぬその灼熱であったが、白狼には文字通り毛ほどの手傷も負わせることはない。

「ほんと反則だよね、君って…」

 ゆらり、と爆炎から無傷で姿を現す白狼に対し、イルミアは苦笑する。

 しかし、その笑みには、諦めの表情など欠片も見受けられない。

 彼女の火球は、ダメージこそ与えれなかったものの、白狼の視界と嗅覚を一瞬であれ奪うことに成功していた。

 障壁により爆風に耐えたイルミアは、その間に次の手の準備を整え終える。


「則ルール通りで通じないなら、外法の業をお見せしようかっ!!」

 彼女の目の前には、直径1メートル程の漆黒の球体が出現していた。白狼の眼に初めて激情以外の感情が浮かび、再び飛びかかろうとした足を止める。

「ツレないじゃないか、おいでよサーラ!」

 目を見開き白狼に微笑みかける少女は、さらなる一手を叩きつける。球体に意識をとられ、白狼は反応が遅れた。

 球体と白狼の間の空間には、限りなく透明に近いが、確かに存在するナニカが空間を歪めていた。無臭、気配すらないソレは突如「空間を喰らい始める」。

 結果、減った世界の分だけ白狼は漆黒の球体まで引き寄せられた。

白狼が焦りを見せる。

 この球体に、自身を害するだけの力があると察したのだ。事実、この球体はイルミアのほぼ全力といえる奥義であった。

 マトモに当たれば確実に、害どころか白狼を仕留めることさえ叶うだけの力が、その球体には備わっていた。

 しかし、白狼が球体と接触する直前、白狼の体が光を放った。

 その瞬間、白狼の犬歯が異常なまでな巨大化を見せる。

 そして、大木と見まごうその巨大な牙を、地面へと突き立てた。

 勢いは殺しきれず、そのまま地面に傷をつけながら漆黒の球体と、純白の双牙が激突する。

「ヤバイ…!」

 その光景に、焦りを見せたのはイルミアだった。白狼を飲み込まんとする球体を、白狼が傷つけた地面から吹き出る白き奔流が押さえ込んでいた。

 激突の衝撃に、術自体は拮抗していたが、術者たるイルミアが揺らいだ。

(持って行かれる…!!)

 内臓が浮くような感覚に必死で抗うイルミアだったが、限界はすぐに訪れた。


ガラスが割れるような音が響き渡る。


 それは思わず聞き入ってしまいそうな美しい音色を持っていたが、即座にその場に莫大な斥力を生んだ。

 肉体レベルにおいてはか弱い少女にすぎないイルミアは、その力に抗う術を持たず、凄まじい勢いで天空へと吹き飛ばされた。

 その勢いは彼女の意識を瞬く間に刈り取る。

(生きて、コウ…)

 消し飛ぶ意識の中で、彼女はそう祈った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る