第6話 異世界、到着

 たっぷりと、悩んだ。

 条件不明の仕事とやらだけではない。俺がその世界でできること、できないこと、異世界とやらの文明発展度、聞きたいことは無数にあった。

 意外なことに、イルミアはそれらの問いに至極真摯に答えてくれた。

 その答えを元にして、小一時間はかけて考えに考え抜いたが、俺の中の理性はそんな得体の知れない世界への旅路にGOサインを出すことはなかった。



 結局決め手となったのは彼女の

「急かすつもりはないけど、そろそろ時間かな。君の命の」という言葉。

「い、行く。」


 そう答えた俺の明らかに頼りない眼差しに、イルミアは静かに頷き、言葉をかけることはない。その段になって、彼女の額に珠のような汗が浮かんでいたことに気づいた。彼女はそれを隠すように両腕でゴシゴシと顔を擦ると、その腕を解いた時には笑顔に戻っていた。


「感謝するよ、東雲甲君。君の人生が、豊かなものになることを祈る。」

 俺より半回り程も年若そうな見た目なのに、イルミアの言葉、そしてその眼差しは成熟した修道女のような穏やかさを湛えていた。



●●●



「カフッ…ゲホッゲホッ」

 目覚めて最初に感じたのは、口中に広がる土の味だった。

 息と一緒に取り込んでしまったそれに咳込み、重たい体を持ち上げる。


 重く、そして寒い、俺自身の肉体だ。雨によって根こそぎ体温を奪われていた昏倒時より、環境は大分マシになったはずだが、既に立ち上がる力は残っておらず、近くの木まで這って行きそこに身を寄せる。

 顔を上げた先には、イルミアの姿があった。それに気づいた彼女はこちらに向かってとびきりの笑みを返すと、一転して表情を引き締めた。



 右手には、最初から随分と目立っていた古い節くれだった杖。左手には、見慣れぬ短刀が握られている。

 彼女は、杖を頭上に掲げ、言葉を紡ぐ。


「現虚に揺蕩いし全ての祖よ、ボクはアナタの欠片を与えられ、全ての命を祝福する者。昇華の時は来た。今こそ、アナタから授かった祝福をお返しします。この身を世界へ還し、この世に、新たなる法と秩序を与えよう!」

 その終わりと共に杖を深々と地面に突き刺す。

杖はまるで水面に沈むかのように抵抗なく地面に飲み込まれ、その全身を捧げる。

 イルミアは、次に左手の短刀を持ち上げた。

 それは、天に光る星々を一点に押し込めたように輝くその美しい髪にかかり、一気に引き抜かれる。


 風が吹き、髪が巻き上げられ、見えぬ風の流れを示す塗料のように暗闇の中で輝いた。風は彼女を中心に渦を巻き、金の糸は彼女を包みこむ。その内部では、謎の発光が行われている。

 あの中で何が起こっているのか、何一つわかることはないが、その時、変化が起こる。

 今まさに花開こうとする蕾の様に彼女を包むヴェールが膨らみ始めていた。更に輝きを強める光が髪を透過しこちらの目を焼いた。


 しかし目を閉じることができない。

 陽光のような光は俺を暖かく包み、今にもはち切れそうなソレはまるで光に愛された愛子の揺籃と錯覚する。乏しい俺の人生経験の中であっても、この世でこれ以上に美しい光景を見ることは2度とないだろうと確信できた。


 現実時間にしておよそ数秒、しかし俺には永遠に続いていたように思えたその次の瞬間、ソレは弾けた。

 更に強さを増す閃光に、今度こそ俺の目は眩み、平衡感覚が喪われる。咄嗟に伸ばした手に地面の感覚を受け取ると、俺は静止しグッと目を閉じ、視界の回復を待った。


 眼球が流水で洗われるような違和感が薄れ、ようやく薄眼を開けた俺は、そのあまりの光景にまたしても目を奪われる。


 俺が手をついていたはずの地面、そこに満天の星空が広がっていた。


 天地崩壊を察したまらずバランスを崩し転げまわる。

「ん?」

 地面の感触がある。そのまま何処までも落ちていけそうな星空に向かい手を伸ばしてみても、やはり枯葉と土の感触が返ってきた。


「どうだい、綺麗だろう。そんな簡単に見れるものじゃないんだよー?」

 星々が咲き乱れる花畑の中心で、彼女はそう言った。

 その足元からはホワイトホール、とでも言えばいいのだろうか。光芒を纏い純白に輝く真円が生まれていた。

「これがゲートだよ。じゃっ思い切って飛び込んじゃってくれ。」

 異常なほどの長さを誇っていた髪が、襟元辺りまで失われ、ともすれば言動も伴い美少年といった風貌に様変わりしたイルミアであったが、そのことに特段ショックを受けた風でもなく、むしろ何故かショックを受け固まっていた俺にそう促す。


「……」

 この後に及んで俺はまだ動くことができない。イルミアが苦笑いで此方を睨んでいる。

(くっそ…かっこ悪ぃ、ここまで来てまだ動けねえのか。)

 俺ってやつはいつもそうだ。事を決めた後になってもウジウジウジウジ。何度笑われたことか。そうあの時だって


「さっさと行けっ!」

 俺の様子に焦れたイルミアは癇癪を起こしたように地面を蹴っ飛ばす。すると、永久に星空の中心に鎮座しているものと思われた白円が、まるでエアホッケーのパックのようにこちらに飛んでくるではないか。


「可動式!?」

 驚く間に、白円は俺の真下までたどり着いていた。

「キャアアア!」

 沈む!沈んでしまう!

 ワープ式、○の扉式、どのように異世界へと旅立つのか色々シュミレートしていたが、現実は想像より奇なり、まさかの沼式。

 ゆっくりと、時間をかけ、白円は俺を飲み込んでいく。


「出してェ!怖い!これは怖い!!」

 沈んだ先から無くなる感覚、上がってくる泥のような感触。どこにこんな力が残っていたのか叫ぶ俺に、イルミアが近づいてくる。

「はいチャッチャッと沈む!」

 彼女は半分ほど飲まれた俺に向かってジャンプ。無慈悲なドロップキックによりイルミア諸共俺たちは一気に飲み込まれた。




●●●




「ここが、異世界?」

 俺たちは薄暗い洞穴のような場所に立っていた。

 例のごとくぼんやりと輝くイルミアによって周辺の様子は伺えるものの、前を向いても後ろを向いてもその先には闇が広がっている。


「いや、ここは世界と世界を繋ぐトンネルみたいなものかな、別に一気に飛ぶこともできたんだけど、君には会っておいて欲しい人がいてね。」

「会って欲しい、人?」

 生憎だが俺に会いたがる人間なんぞ一人たりとも心当たりはない。悲しいことに、実に遺憾なことに。

「あ。」

 だが、パッと浮かんだ人物があった。顔は知らない、名前も知らない、だが俺にこんな事を頼んだけったいな奴。

「そうだよ、彼さ。彼の仕事を引き継ぐ君に、エールの一つでもあるんじゃないかな?」

 イルミアはカラカラと笑うと、ピョンと後ろに跳ね、溶けるようにその姿を消した。

《それじゃあ、僕は先に行ってるよ。どうぞごゆっくり。》

 どこからか声が聞こえるが、姿はどこにもない。それっきり声もしなくなる。

「ちょっ、置いてかないで!てか暗っ!寂しい!彼ってどこ!?」



 イルミアが消え、明かりを失い、周囲が暗闇に包まれたことで狼狽えてしまう。

「ここだよ。」

 後ろから、イルミアではない誰かの声がした。振り返ると、先程までどこまでも続くトンネルのようだった洞穴は石壁に変わり、俺の眼の前に、木製の扉が現れていた。

「すまん、動けないんだ。入ってきてくれないか?」

 声は扉の向こう側から聞こえてきていた。察するにその主こそがイルミアの言った『彼』に違いない。


 唾を飲み込み、手汗を拭き、俺は取手を掴む。ガチャリと音を立て開いたその先からは眩い光が放たれていた。

 その光はドアの広がりと共に強さを高め、俺の視界を真っ白に染め上げた。




●●●




 小鳥の囀り、無数の命を内包した土と植物の匂い、木の葉から漏れ出る陽光の暖かさ。目覚めた俺を出迎えたのは、大自然のそういった感触だった。


「って夢オチかよ!!?」


「うわぁ!?いきなりおっきな声出さないでよ!」

 全てが夢であったと錯覚し声を荒げた俺だったが、それに応えたイルミアの声により正気に戻る。

「夢じゃない…」

「そりゃそうだろう…来て早々現実逃避はやめたほうがいいね、明るく、明るくいこうっ。」

 未知の世界に来てしまったというプレッシャーに比べれば、それは気休めもいいところの慰めであったが、存外、効果覿面であった。

「あ、ああ。」

 顔が熱い。

 彼女の顔がすぐ側にある。

 老若男女問わず人間自体に免疫がないのだ、イルミア程の美少女との接近となればその衝撃は推して知るべし。

 気恥ずかしさに耐え切れず距離をとる。

「それよりっ!ここは、どこなんだ?」

 空気を変えたかったというのもあるが、割と真面目な疑問でもあった。周囲は緑溢れる森林のようで、俺が入った紅葉深まるあの山とは違うことがわかる。

「うーん、後でまとめて話した方が早いとおもうんだけど。ここはさっき教えた大森林サリア。この国に3つ存在する森林地帯の一つで、君の住む村はそのお膝元にあたる。」


確かに、その言葉には聞き覚えがあった。

イルミアにした質問の中で、その名前が出てきていたからだ。

「まずはここを出よう。可能な限り、急いで。」

イルミアの様子はいつに無く焦っているように見えた。

此方としても地理もわからないこんな森にいつまでも逗留するのは遠慮したい。

一瞬とはいえ山暮らしを志した人間とは思えぬ変わり身であったが、そんなことは棚に上げ、彼女に従う。

「わかった、君に従うよ。」

イルミアは笑顔で頷き、早速歩き出した。


俺の手を握りしめて。


「ちょっ!?」

いきなりのことで咄嗟に手を振りほどいてしまい、瞬時にそのことを後悔する。

振りほどかれた手をイルミアはキョトンとした顔で見つめていたが、構わずもう一度手を掴む。

「慣れない道だ、逸れたら怖いからね。」

淡々と意図を説明するイルミア。

その余りの冷静さに、俺はまたしても自身の情けなさに意気を沈没させるのであった。




●●●




歩き始めて数分、イルミアの案内は的確で、俺たちは鬱蒼と生い茂っていた木々を抜け、獣道と呼べるほどには歩きやすい道へ出ることができていた。

「もうちょっとの辛抱で街道に出られるよ、それより、足の調子はどうだい?」

足手まといを引きずりながら、自称旅神に違わぬ慣れた様子で歩き続けるイルミアは、俺に問いかける。


気になってはいた。

先を急ぐようであったので黙っていたが、ボロボロ傷ついていた筈の俺の足は何故か傷一つついておらず、未だ裸足であるにかかわらず何不自由無く歩き続けることができていた。

靴など無かった遥か昔の屈強な古代人の体でも手に入れてしまったのだろうか。

「ああ、大丈夫。でもこれって…?」

イルミアは得意げな顔をしている。

明らかに聞いてほしそうなので素直に聞いてみた。

「ま・ほ・う、だよっ♪」


魔法。

よくよく考えなくとも、既に散々超常現象を見てきて、今更といえば今更な答えである。

今時剣と魔法のファンタジーストーリーなんてものはありふれた代物であり、彼女の答えは想像の範疇を出なかったと言えよう。

そんな彼女の答えに対し、今日イチの盛り上がりを見せる男が一人。

「ウッソ魔法!?マジで!!?すげえよ!すごすぎる!ホ○ミ!?ケ○ル!?わああ使いてえ!!!」

そういうの、大好きだったのである。

「ウフフッ、オススメはしないけどね。いつか、落ち着いたら教えてあげよう!」

基本ノリのいい方と思われるイルミアは、ようやく明るい顔を見せた俺を見て嬉しそうにするとそう言った。

(すごい…!回復魔法なんて実際にあればどれだけ役に立つことか。)

戯れに、現実世界に魔法を持ち込めたら、なんて夢想を幾度となく行った経験がある。

移動系呪文や攻撃系呪文、どれであれそれなりの使い道が存在するであろう魔法の中でも、俺は回復呪文推しだった。

病院はいらなくなるし、死人も蘇るようになれば世界がひっくり返るだろう。

死を乗り越えた人類はどのように発展していくのか、なんて妄想が俺の空虚な日常を彩る灰色の絵の具であったことは、あまりにどうでもいいので置いておく。

俺はいつのまにかテンションに任せてイルミアと両手を繋いで足踏みをしていたが、そのうち現状に気づく。

柔らかい彼女の手の平を堪能したい気持ちは山々であったが、一度冷静になるともういけない。

心からの笑いは苦笑いにとって変わり、空気を切り裂くように手を離した。

「おっと、こんなことをしている場合ではなかったね!奴に見つかる前に、ここから離れないと。」

そう、俺たちは急いでいたのだ。

と、イルミアの口から気になる言葉が出たのでツッコんでみる。

「奴って誰のことだ?」

俺たちは何かに追われているのか、果たしてそれはなんなのか、解決せずにしておいて楽しい話でもない、イルミアからの答えを待つ。

「やめよう、奴の名前なんか呼んだらいっぺんに飛んできちゃう。」

名前を呼べば影が、というやつだろうか。

イルミアはその何者かの名前を口にする言葉を拒んだ。

「とりあえず先へ進もう、騒ぎ過ぎたかもしれない。森を抜けたらもう平気さ。」

俺を不安にさせたいのか安心させたいのかわからないイルミアだったが、とりあえず歩を進めようとした瞬間、側にあった茂みがガサりと揺らいだ。

『ッ!?』

二人揃って緊張に体を強張らせる。

イルミアはいつのまにか俺を守るように杖を構え茂みに対峙していた。

「イルミア!?」


「逃げてッ!!」

困惑する俺に彼女は悲痛な叫びを返す。

(奴、とやらがこの先にいるのか。)

イルミアの様子からして尋常な相手ではないことは確かだ。

しかしそんな相手に対し一人で対峙しようとする彼女を置き去りにするなどという選択肢を、とれるはずもない。

そんなことをしている間に茂みは割れ、黒い影が二つ飛び出す。



それは醜悪な化け物だった。

児どものような矮小な体躯は、それに反して飛び出るように肥大化した鼻と口以外は老婆のようなシワクチャの表皮に包まれている。

衣類は腰に布を巻いただけの貧相な出で立ちで、こちらを見つめるその濁った黄色の目だけがギラギラと輝いていた。

武器は持っていないようだが、こちらを見る目は完全に捕食者の色をしており、凶悪な怪物であることに疑いはない。

(こいつらが…!)

イルミアの戦闘力が未知数とはいえ、奴らの野生の生命力、とでもいうのだろうか。

威圧感のようなものに俺は完全に圧倒されていた。

イルミアもそれを感じ取っているのか、後ろ姿だが体を震わせているのが見える。

(二人で逃げた方がいいんじゃないか…?)

実際のところは不明だが、奴らの小さな体は明らかにこちらに有利だ。

全力で逃げれば追いつかれることもないだろう。

おまけにイルミアはもうすぐ街道に出ると言っていた、そこまで行けば助けも期待できるかもしれない。

二人で生き残る算段を立てた俺は、急いでイルミアに提案を持ちかける。

「イルミア、こいつらからなら逃げられる!街道まではし…」

言い終わるまでに、俺は彼女の様子がおかしいことに気がつく。

確かに彼女の体は震えていた。

しかし、それは肩部分に限り、何かを堪えるように身を竦めていたのだ。

そして…

「アハハハハハハッ!小鬼!小鬼じゃないか!!」

と、彼女は突然大きく吹き出した。

『!?』

俺だけではない、小鬼と呼ばれたその化け物達ですらギョッとした顔でイルミアを見ている。

「おいっ!ぶっ壊れちまったのか!?」

彼女の奇行には面食らったが、ならば正気に戻さなければならない。

激しく彼女の肩を揺さぶる。

「あわわわわっ!何々!?何事さ!」

小さな彼女の頭はグワングワンとよく揺れ、突然のフレンドリーファイアに困惑した様子をみせた。

「何、じゃないが!!に・げ・る・の!!」

俺もテンパってしまい口調が変になっていたが、この状況では仕方がないことと言えよう。

「ヒーッ、ヒーッ、いやあんまり拍子抜けしたものだから…このボクが小鬼にっヒヒッ…!」

本当に、何がおもしろいのだろう。

せっかく繋いだ俺の寿命を削る遊びに愉悦を感じているのではないかという恐怖を覚えていたら、どうやら小鬼にも、言葉が通じているのかはわからないが馬鹿にされていることは伝わったらしい。

一匹が、その鋭い爪を光らせイルミアへと飛びかかった!

「イルミアッ!!」

注意は払っていたはずだったが、常人の動体視力では到底負えないスピードである。

その爪は真っ直ぐイルミアの首筋を狙い、その柔らかな肌に食い込むものと思われた。

「ギィッ」

という何かの断末魔と

ゴウッ

と目の前の大気が一瞬で暖められる音が重なった。

目の前にはイルミアの背丈ほどの火の玉が現れ、その中で小鬼とやらが真っ黒な影となって燃え尽きるのが見えた。

「えっ?」

あまりの光景にそれしか口に出せない俺。

「小鬼だからね、油断してても遅れなんかとるもんか。」

攻撃を受けたことで少し冷静になったのか、イルミアはつまらないものを焼いてしまったかのような表情で俺に説明する。

「こう見えても結構強いんだ、ボク。」

回復呪文があるのだ、攻撃呪文が使えても不思議ではない。

頭では納得できても、人間の児どもほどもある肉の塊を、一瞬で灰も残さず焼き尽くすその威力には、本能に訴えてくる力があった。

目の前の少女に、改めて畏怖の念を抱く。

「どうやら、奴の眷属でもないみたいだ。去りなさい。」

相棒が、一瞬で塵と化したことに呆然としていたもう一匹の小鬼であったが、イルミアの言葉に我を取り戻す。

「ギィッ!ギギャッ!アギィ!」

しかし、腰を抜かしてしまったようで、逃走すらうまくできず、両手を使い懸命に距離を取ろうとする。


地面との摩擦のためか、腰に巻いていた布がとれ、性器が露出した。

(ウゲッ)

醜悪な化け物とはいえ、人型の生物の性器をマジマジと見つめることは避けたい、俺はそっと目を逸らした。

一向に距離が広がらないことに焦ったのか、小鬼はその大きな両目から大粒の涙を貯め、何かをブツブツと呟き始める

「ギャッ…ギャッ…ジッ…ジジッ!ジュジュ!」

威嚇音だろうか、虫の羽音のようなそれはとても長時間付き合いたいようなものじゃない。

「行こうイルミア、あいつにはもう戦意はないみたいだ。」

「そうだね。時間も大分とられてしまった。」

俺の提案にイルミアは素直に従い、そこから立ち去ることにした。

「ジュジュッ…!ジューリ…!ジューリ!」

小鬼は相変わらず謎の威嚇音を発し続けている。

勘弁してくれ、すぐにここから立ち去るから。

最期に小鬼を一瞥し、離れようとした瞬間小鬼が腰蓑の裏から何かを取り出すのが見えた。

「なあイルミア、あれって…」

「ん?」

俺の言葉にイルミアが振り返る。

小鬼が取り出したのは、何かの骨で作られた数珠のような代物であった。

それを天に掲げ、一心に何かに祈るような姿勢をとっている。


イルミアの髪の毛が逆立ち、全身から大量の汗が飛び散った。


「マズいッ!!やめろ!!」

彼女が杖を向けるのにも構わず小鬼の言葉はどんどん明瞭な言葉となってきていた。

「ジュ…ジュラ…ジャーラ!ジャーラ!ジャーラ!!ザーラ!!!サーラ!!!!」

その言葉より一瞬遅れて、先ほどより3倍は大きな火の玉が小鬼を灰にする。


その場にアッサリと静けさが戻った。

(なんだったんだ…?)

イルミアの激昂とは裏腹にアッサリと消えた小鬼に、俺は肩透かしをくらったような気分に陥る。

しかし、イルミアは依然張り詰めた表情を崩さない。

「すまない、完全にボクの失態だ。眷属の証は普通首から下げているものだから…!」

「お、落ち着けよ、なんのことだかサッパリだ!」

取り乱すイルミアを落ち着かせようと肩を掴むが、効果はない。

イルミアは爪を噛みながら俺にこう捲したてる。

「こうなってしまった以上、もう奴が来るのは時間の問題だ!少々危険だが、飛ぼう!」

「飛ぶ!?」

また魔法か、まさかあの伝説のなんてお気楽なワードが浮かんだが言葉には出さない。

「しっかり掴まって!」

イルミアが突然俺に抱きつく。

先程までとは比べものにらない急接近にまたしても俺の心臓は跳ね上がる。

しかし、そのあまりの剣幕に釣られて俺もイルミアを抱きしめ返していた。

「行くよ!ハアアアアッ!!」

イルミアから並々ならぬ力の波動を感じる。

それは地面を伝わり、俺たちをここから弾き飛ばそうという意思を感じた。

その力はどんどん強まり膨張していく。

そして臨界に達した時、俺たちは…


何も、起こらなかった。


「え?」

「くっ間に合わなかったか…!」

現状をサッパリ把握できていない俺と、悔しそうに顔を歪めるイルミア。

先ほどまで感じていた膨大な力の波動は、アッサリと霧散していた。

周囲もなにも変わった様子はない。


ある一点を除いては。


「………霧?」

いつのまにか周囲が深い霧に包まれている。

極端に狭まった視界に、つい先日遭難した俺の背中には嫌な汗が流れた。

「どういうことなんだ!?これは!」

「……おでましさ。女王様のね。」


女王?

さっきからイルミアの言葉は何一つ要領を得ない。

女王ってなんだ!!と彼女に叫びそうになったが、さらなる異変に止められる。


匂いがした。

乳製品を腐らせたような生臭い匂いが、生暖かい風にのり俺の首筋を撫ぜた。

音が聞こえた。

ペキペキと小枝がへし折れ、地面がひしゃぐ音、そして何者かの息遣い。


(俺の後ろに何かいる…!)


どうしても後ろを振り向く勇気が出ない。

イルミアは一人方向を変え、その何者かと向き合っている。

「やあサーラ、ご機嫌いかが?すまないね、君の寝床を荒らすつもりはなかったんだよ。」

イルミアの声はいたって平静を装ってはいるが、どこか張り詰めている。


《■■■■■■■■■■■■!!!!》


凄まじい衝撃で、俺は最初なにが起こったのか理解できなかった。

それは、『奴』の咆哮だった。

衝撃で俺はつんのめり、転がり、その姿をようやく目に映す。


人であれば全てが見上げるだろう巨?、白い霧に同化しどこまでも広がりを見せる雄大な銀毛、とてつもなく巨大な白狼がそこにいた。


「彼女こそ、この大森林サリアに巣食うヌシ、そしてこの森を育んだ古き愛子、樹牙の大狼ラジュリネ=サーラその人さ。」

イルミアはそんな飛びっきりの化け物に対し、強がるようにそう嘯いた。

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