第5話 金色の奇跡

「ちょっとー、寝ないでくれよぅ。もう体は起こせるはずだよ?」


 耳元で声が聞こえた。

 心地良く耳に染みいるその声は、まるで草原に咲く鈴蘭を揺らす風のようだった。どうやら俺を起こそうとしているようだ。

 しかし、もっとその声を聞いていたい、と更に体からは力が抜けていく。


「あ、君起きてる?起きてるよね?そっかそっかーそういう態度か。ムカついちゃったな、ボク。」

 少し不機嫌になった声がキッカケとなって記憶の浅い部分を探る。

 すぐに、自分がどういう状況にあったかを思い出した。


(俺は、生きてるのか…?)

 単純な生への衝撃が俺を打つ。

(起きなきゃ。)

 まずは自分がどういう状態なのかが知りたい。痺れて力の入らない腕をなんとか突っ張り体を起こそうとしたその時、また声がした。


「適度な痛みが、今の君には必要だね。そこにちょっぴりボクの鬱憤を乗せて…えいっ!」


 薄眼を開け体を起こそうとしていた俺の額に、何か硬いものがコツンと当たった。額から、何か暖かいものが体に流れ込んでくる。

 それが全身に広がりきると、異変が起こった。体がカァっと熱くなり、体に感覚が戻ってくる。濡れた服や手のひらから伝わるグズグズな土の感触、遠くから聞こえてくる雨音、ぼやけた視界でもわかる柔らかく暖かい光。


そして両足を包む熱く鋭く炎のような痛み。


「ギャアア!!」

 立ち上がるため力を入れようとしていた足をたまらず放り投げ転がる。

「うんっ、元気が戻ったようだね。よかったよ。」

 嬉しそうな声でそんな言葉をかけてくるソイツが、俺をこんな目に合わせていることに思い当たり焦点を声の主に合わせる。

 俺の眼の前に立っているのは、およそ現実の人間とは思えない美少女だった。

長い金髪、それも尋常でない長さのそれは、腰の辺りで纏めてなお地面に根をはるかのように伸びている。神に正しくそうあれと設計図でも引かれたような美しいその顔にも深くかかった髪の中からは、月光のように煌々と光る両目がこちらを臨んでいた。

 背丈は150cmあるかないかといったところ、年の頃は中学生だと推測される。

片手には身の丈を越すような大きな節くれ立った棒を持ち、それを杖にしながらこちらを見下ろしていた。正に、今を全力で生きているのだとでも言いたげなオーラを全身から発散し、少女は満面の笑みでこちらを見る。


 両足の痛みはまだ続いていた。直視する勇気がないほとに深く、広く傷ついているのを感じていた。しかし、彼女を見ていたいという欲求は、瞬時であれその痛みを凌駕していた。すっかり惚けていた俺に、彼女はまだしばらくその溢れんばかりの笑顔を向けてくれていたが、俺から反応が返って来ていないことに気がついたのか、先ほど聞こえてきた声のような、少し不機嫌と不可解が混じったような顔に表情を変えた。


「ちょっとちょっと、まだ寝たりないのかい!?ここまでやって反応が無いなんて、流石にこれ以上となると僕も心が痛むんだけど…」

 少し視線を惑わせた後、少女は両手で棒を掴むとそれをこちらに向ける。

身の危険を感じた俺は、ようやく魅了から解放され、咄嗟に昔道徳かなにかの授業で習ったであろう初対面の人とのコミュニケーション第一歩を実践する。

「お、俺は、東雲甲。き、君の名前は?」

奇跡的にその言葉は日本国民なら理解できるであろう水準を保ったまま紡がれた。


 目の前の少女のあまりの現実感の無さが功を奏したのだろうか。

 初めて言葉を発した俺に、棒、いやこれは杖か。それを頭上まで振りかぶっていた少女は面食らったような顔をしたが、素直にそれを下ろすと、先程以上の満面の笑みでこちらに応えた。


「コ・ン・ニ・チ・ハーッッ!!!」


 少女は笑みを通り越して泣きそうな顔で、突然謎の挨拶を行う。

 間髪入れず言葉を続ける。

「で、いいんだよね!そうだよねーっやっぱりまずは挨拶、君は礼儀正しい子だ!よかった、これ以上は君が壊れてしまっていたかもしれない、本当によかった!そちらが名前を名乗ってくれたのなら、いや実は君の名前を僕は知っているのだけれど、いやいや初対面なのは確実さ、そこは間違いない、話が脱線したね、何を話していたんだっけ、そう!僕の名さ!答えないわけには、いかないだろう!!!」

何やら物騒なことをサラリと流しながら、俺のパーソナルスペースを無邪気な顔で侵犯し、今にも抱きついてきそうな距離と勢いで少女は続ける。



「我は永久の旅神サイネル=イルミア=スレハザード!世界最後の幼神にして終末の明星に揺られる者!そして…君の、命の、恩人になるかもしれない神様さっ!!」



(…俺はやっぱり死んだのか?)

 先ほどまでとは違う意味で、二の句が出ない。

 少女の言葉を何度も頭の中で反芻する。

 サイネル、イル…なんだっけか、明らかに日本人には見えない顔立ちだったが、やはり正しかったらしい。

 カミ、神?自分を神様だと言っているのか。

 先ほどから感じていた光はよく見れば彼女から発せられている、およそ人間の成せることではない。週末がどうこうは本気で意味がわからないが、最後の言葉が気にかかる。

(命の恩人……なるかもしれない?)

 先ほどから俺を苛む足の痛みが、これは夢でないことを証明している。そもそも死んでたら痛みを感じることもないだろう、俺はまだ死んでもいないはずだ。

周囲を見渡す。

 少女の光に照らされて、周りが未だ森の中であることが伺える。この少女に成人男性を抱えてどこかに運ぶ力があるとは思えない、状況から考えて、彼女は遭難した俺を見つけ助けを呼んだのだろう。

 今は救助を待っているのだと考えれば発言の意図も理解できる。

(いややっぱり神だとかなんで光ってるんだとか、わからないことが多すぎる!なんなんだこの娘は!)

 気休め程度の推理では、現状を納得させるには到底及ばない。


幸いこの娘の態度は友好的なようだ、理解し合えるとは思えないが、なんとか彼女から情報を聞き出そう。彼女の機嫌を損ねないように言葉を選び、俺は勇気を振り絞って彼女に応えた。

「えっと…まずは助けてくれてありがとう。正直本気で死ぬかと思」

「助けてはいないよ、それは君とのお話を終えた後のことさ!」

 俺の謝辞を速攻で遮り、少女はますます混乱するような言葉を投げつけてきた。

「えっと…話…?えっと…まずはどこか、安全な所に連れていって欲しいんだけど。」

 このまま彼女に消えられでもしたら、今度こそ俺の命はないだろう。どもりながらも、俺は彼女に俺の意思を伝えることを優先する。

 彼女の話とやらを無視するつもりは毛頭ないが、身の安全には代えられるわけがない、まずはどこか体を休める場所に行きたかった。

「うーん、すまないが、それはできない。それ以前に、僕の細腕では君をどこかに運ぶことは叶わないだろうけど。」

「運んでもらう必要なんて!案内さえしてもらえば、歩いてついていくさ。」

 実は足の痛みはこれまでの間にかなり良くなってきていた、体の熱さは冷め始め、同時に痛みも急激に落ち着いていた。

 少し気を張れば、なんとか歩くことぐらいは適うだろう。

「そういうことじゃあないんだ。どうやら認識がズレてしまっていたようだ。足元のほうをみてくれないかい?」

 足、酷いことになっているだろう予想から、見ないようにしていたが仕方ない、彼女の言葉に従う。



 そこには、誰かが倒れていた。

 ボサボサの黒髪に痩せぎすの体型。

 泥まみれで顔もよく見えないソイツが誰なのかを、俺はよく知っていた。



(…………俺?)

 あれは、俺だ。

 無謀な野営で身を危険に晒し、今まさに命を終えようとしている俺だった。

 それは、どう考えてもおかしい。

 俺はここにいるんだ、俺が二人いることになってしまう。

 倒れた自分を、自分が見下ろしている。

(まるで、幽霊じゃないか。)

 自嘲気味に頭に浮かんだワードを、取り消す言葉が見つからない。

 そして、足の痛みが薄れてきていた本当の理由を理解する。

《痛みが消えたのではない、感覚が消えつつあるのだ。》

 意識した瞬間、自身の体が自分の体であるという感覚が急激に失われていく。

「なんで…やっぱり、死んで…」

 一瞬浮かんだ希望が、すぐに絶望に取って代わった虚しさに涙が頬を伝う。

 俺は何かの間違いだと言って欲しい一身で彼女を見据えた。

「死んではいないよ。でも、見てのとおりさ。君はもうすぐ死ぬ。話ができる 状態でもなかったからね、こうして精神だけを抜き取っているんだ。」


 精神を、抜きとる。

 また不可思議な言葉が出てきた。

 しかし、不思議と混乱は無い。

 あまりな珍妙な現象の連続に、かえって冷静さが戻ってきていたのかもしれない。何より、意味不明な彼女の言葉の中に、一つ、引っかかっている言葉があったのだ。

 『話をするため』彼女は確かにそういった。

 状況が俺の手に余る以上、彼女の話とやらを聞くことが最善だ。

 無意識ではあったが、俺は何か頼る指針を見つけたことで、恐慌状態を免れていた。彼女に問いただしたいいくつもの疑問を堪え、彼女の真意を尋ねる。

「そう…か、わかった。話ってなんだ?」

 彼女は再びその満月のような金の瞳をさらに丸くし、破顔する。


「いやすまない!君を見くびっていたようだ、謝罪をさせてくれ。本題に入る前に、君の質問にいくつか答える用意はあったんだが。いやしかし、そうだな、まず私の話を聞いてからでも遅くは無い。いやはや君は実に合理的なんだね!」


 彼女の心象が損なわれていないことにまずは安堵し、続く言葉を待つ。

 その様子を見て彼女は再び微笑むと、本題を切り出した。

「君の現状を踏まえて説明させてもらうね。コウくん、君はこのままでは死ぬ。これが大前提だ。君の命の熱量は刻一刻と減っている。具体的に言えば2時間、それが完全にこの世とサヨナラする残り時間だ。」

 気を引き締めていたはずだが、視界が揺らぐ。

 駄目だ、揺れるな。

 まだ話は始まったばかりなのだ。

「そこで、提案だ。僕は君の命をつなぐ方法を知っている。」

 心臓が一気に跳ね上がる。

 どこかで期待していたその言葉を聞くことができた喜びに、俺はおもわず話を遮ってしまう。

「お、俺はな、何をすれば!何をすればいい!?死にたくない、死にたくないんだ!!もう一度……」


(もう一度…なんだ?)

 ハッと我に返り、自身の失態に気づく。

 一度は諦めたはずの生に、こうも易々と飛びついてしまった自分の腰の軽さに赤面してしまう。

「すまない…話を続けてくれ。」

 それっぽっちの言葉を捻り出すのにどれほどの労力が必要だったか、鳴り止まぬ心臓の鼓動が教えてくれている。

 そんな俺に彼女は当然の反応だ、とやさしく微笑みその望みを口にする。

「一つ、僕は君に、ある人がやり遺した仕事を、引き継いでもらいたい。内容はボクからは教えることができない。二つ、その結果として、君は新たな人生を手に入れることができる。そして…」


『三つ』

 俺が新たな人生を得ることができる先、それはこの世界ではなく、俗に言えば異世界なのだと、彼女はそう言ったのだった。

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