第3話 生まれ故郷にさよならバイバイ
(なにやってるんだろう…俺)
公園から走って逃げた後、俺は街へ向かうため最寄りの駅に向かって歩いていた。冷静になり、自分が何をしようとしていたのかを思い出し、とりあえずの目標が欲しかったので街へ向かうことにしたのだ。
家から追い出されてからまだ2時間と少し、たったそれだけの間に俺の精神力は擦り切れていた。唯でさえ突然家が消えたというのに、家から出て数十分でまた住処を失った。子供とすらまともに会話できず、周囲の目は俺を不審人物だと決めつけていた。
いや、実際完全に不審者だったと自分でも思うけども。
自分が自分で思っていた以上に人間としてダメダメだと自覚し、何も考えたくなくなった。不思議と不安は感じない。
20年間そうやって俺は自分を守ってきたのだ、嫌なことはとりあえず棚上げするに限る。
(そういや…3年前まではこの道を毎日歩いてたんだよな)
これからの事を考えないようにしていると、これまでの記憶が浮かんでくる。
4年前、俺がまだ高校生だった頃。この道を歩き、電車乗り、高校に通う。
今でこそこんな有様だが、そんな日々を当たり前のようにこなす時期が俺にもあった。あまり思い出して気持ちのいい記憶でもない。
(今も昔も碌な人生じゃねえな!?)
また気がつかなくてもいい真実に気がついてしまった、頭が痛くなる。俺の胸を疼かせる既視感を頭の隅へ追いやろうと顔を振ると、道を挟んだ向こう側から、男2人組が歩いてきた。
一見して年の頃は同世代、ただそれだけのことだったが、俺の背筋はまたしてもWARNINGを鳴らし始めた。
外に出た以上、当然発生するリスク『昔の知り合いに会う』。
色々あったせいで考えすら及んでいなかった。
(………。きっと知らない人だ!きっと知らない人だ!きっと知らない人………ッッ!!)
片方の男に見覚えがあった。高校時代、同じクラスだった男だ。
確か名字が…中崎、名前は思い出せない。
そう親しかったわけではない、しかし話くらいなら何度かしたことがある。
もうすぐ駅前、しかも休日である。昔の知り合いと会ってもなんの不思議もないはずだ。
大したことではない。
ただその程度のことが、今日最も俺の脳を揺さぶった。
もうとっくに整っていたはずの呼吸が、急激に動きだした心臓につられて乱れ出す。体は鈍な刃物で古傷を抉られたような痛みに震え、滲む涙に視界が歪んだ。
もうすぐ彼は俺を認識するだろう。
今の俺の姿を見てどう思われるだろうか。
認識されたくない、評価されたくない。
俺を見ないでくれという思いがどうしようもなく溢れ、その源に栓をしようと必死に試みるが無駄に終わる。
しかしそんな頭とは裏腹に、なんとか不審な動きは避けようと歩みが止まることはなかった。距離が5メートルほどに近づいた頃、友人の方を向き話していた彼の顔が此方に向いた。
一際大きく心臓が動く。
知らないフリをすればいい。
そう思っていたはずが、彼が此方を向いた瞬間、電流を流されたかのように体が強張る。
思わず彼の方を向いたまま固まってしまった。
当然、俺と彼の視線はぶつかることになる。
普通にしなくては。
此方から声をかけるべきだろうか。
焦燥感が俺に行動を迫る。
話しかけられたらどんな答えを返せば。
俺の中の焦りに、不安という思いが注ぎ込まれどんどん膨張していく。
しかし、中崎は一瞬ん?という顔をして、すぐに友人との会話を再開し、俺を通り過ぎていった。
「どした?」
「んー、いやさっきの人どっかで見た気がして。多分、気のせいだわ」
立ちすくむ俺から離れていく二人が、そう話しているのが聞こえてきた。すぐに彼らの話は他愛のない雑談に変わっていた。おそらく俺を見て覚えた違和感など既に消え去っていることだろう。
よくわからないが、涙が溢れた。
別に仲の良い友人だったわけではない。
同じクラスだったとはいえ、一年の大半クラスで顔も見せず、そのまま消えていった俺のことなど覚えている奴のほうが少ないに違いない。
よかったよかった。そう冷静な理性が言っている。
なのに、ただただ悲しかった。しばらく、涙は止まらなかった。
●●●
(そうだ、山で暮らそう)
俺は、アウトドア商品なども取り扱っている大型スポーツ用品店へと訪れていた。どう考えても頭が沸いているとしか思えない行動であるが、実際沸いていたのだからしょうがない。
突然の放逐に始まり、公園での出来事を経て、駅前でのストレスにてついに、俺は人間社会で暮らして行くことを諦めた。
(人と全く関わらず生きるためには…そうだ!山で暮らそう!)
引きこもり時代、動画サイトで野草や狩りを行う動画を何度も見ていた。自分とは正反対の生活力の塊のような彼らを俺は尊敬していた。そんな思いが、過去も今も何も頼ることができなくなった俺に、都合のいい目標として映ったのだ。
彼らはテント一つのキャンプ地から食料をどこからともなく見つけだし、生活を成立させていた。
別に俺はそんな縛りプレイをする必要はない。
食料を事前に用意してもいいし、自前で畑を作ってもいい。
なんとかなるのではないだろうか。
頭の中では、既に充実した野外生活が完成している。
後はそれに向かって行動すればいいだけだ。
ただ、突然の野営暮らしというのもそれなりに厳しいものだろう。
食料を自給できるようになるまで携帯食糧を買い込んでおけば平気なはずだ。
そこまで考えると、俺は駅から離れバスに乗り、近くのネイバーフッド型ショッピングセンターに向かうことにした。
●●●
結局俺は、1人用のテント、サバイバルナイフ、コンロと燃料、数種類の野菜の種、リュック、残ったお金で水と食料を買い込み、叔父からもらった手切れ金をほぼ使い切った。
会計時に怖気付きそうになる自分を勢いで誤魔化し、もう戻らないと奮い立たせなんとか購入したその装備は、俺の両肩と背中に重くのしかかった。
最後に残ったお金でバスに乗り、俺は来た方角へと戻ることにする。
俺が住んでいた町は、山を切り開いてできた経緯から、少し奥へ進むと誰も近寄らないような森林地帯が延々と広がっている。そこならば、誰の目にもつくこともないだろうと考えたのだ。
しばらくバスに揺られることになる、疲労感を少しでも消そうと目を閉じる。
終点であるバス停には、森林博物館があったはずだ。
小学生の頃、何度か行ったことがある。森の生態系やら、この辺りで伝わってた山神信仰なんかをアトラクションを使って学ぶ施設。
頻繁に紹介される虫やら蛇やらを四日が怖がるのを宥めながら、俺は普段とは違う場所で遊べる喜びにはしゃぎまくっていた気がする。
(変なことだけは思いだせるんだよなぁ。)
思い出したくないことが多すぎて、大部分を黒く塗りつぶした俺の記憶帳には、そんな少しだけ幸せだった記憶だけが、ポツポツと残されているらしい。
俺が特に気に入っていたのはもう数十年には廃された神社に伝わっていた山神様のお話だ。
――大昔、茅で作った大きな輪を潜り無病息災を祈る儀式が行われた際、誰も潜っていないはずなのに、突然輪から美しい娘が現れた。人々が彼女を神の化身だと思い、丁寧にもてなしをすると、娘は御礼にと、吉凶を予言してみせた。その予言はよく当たり、人々の暮らしは日増しに良くなっていった。人々が口々に娘に礼を述べると、娘は満足げに微笑んだが、翌日煙のように消えた。最初こそ人々は嘆き悲しんだが、すぐにこれは清き心を持った私たちに神様がくださったご褒美だと気がついた。神様は褒美に頼った私たちが堕落していかないよう、私たちの幸せを祈って姿を隠したのだ。そんな風に考えた人々は、娘を手厚く祭り、また来ていただけるよう清く生きていこうと誓った。娘は今でもそんな我々を見守っている。――
大体そのような話であったと記憶している。
俺が幼かった頃は、山を切り開いた際無くなってしまっていた神社の代わりに行われていた祭りが目当てに訪れていた。そこから少し時が経ち、典型的な中二病患者となっていた俺は、各地の神話を読み漁り、このお話がこの地に伝わる固有の伝承だということを知り興奮したものだ。
まあそれ以上特に何かエピソードがあるわけではなかったが、朝訪れた公園と同じくらいには思い出が詰まっている場所だ。幸せな記憶に浸っていると、時間は矢のように流れ、すぐに終点に到着した。
俺はバスから降りると、目の前に建っている件の博物館を眺める。
記憶より幾分寂れた印象のその施設は、今日も元気に営業しているらしい。一瞬寄っていこうかとも思ったが、両肩と背中にズッシリとした重量で存在を主張する荷物を思い出し、諦める。
まずは、近くに流れる川へと向かった。
記憶では、川には降りれたはずで、子供たちの遊び場になっていたはずだと思う。実際に、それは可能であった。
両岸には石が転がり、足場は悪いが歩けない程ではない。
そのまま岩場はずうっと続いており、登っていくこともできるだろう。
流石にここをキャンプ地とするには目立ちすぎる、移動が必要だ。
(よっし、少しは疲労も取れた。いっちょ気張るか!)
俺はそう意気込み、川に沿って上流へと歩を進めることとした。
●●●
2時間ほど経ち…
「ウッ…グスッ…ア"ーッ"ア"ア"ーッ!!」
川辺に怪鳥の鳴き声がこだまする。
俺の嗚咽なんだけども。
この重装備での川上りは正直無理があった。
重量を考え水があまり確保できなかったため、水の確保を最優先に考え川の側を選んだが、石だらけの川辺ではキャリーケースはただの棺桶に成り下がり、上流になるにつれ悪くなる足場によりバスで休めた体力は削られていった。
先程から10分に一度は休んでいるため、1~2km進めたかも怪しい。しかし、その程度の距離でも周りから人工的な風景は急激に薄まっていった。もう近くに道路も見えない。
更にしばらく歩くと、比較的なだらかにな河原にたどり着いた。
「ダメだ…もう歩けねぇ!この辺りで十分だろう」
俺は根をあげ、ここをベース地とすることに決めた。いざテントを建てる段になり、設営できるかが不安であったが、ワンタッチ式という種類だというソレは全くの素人の俺でもなんとか形にすることができた。
流石文明の利器!と感心すべき所なのであろうが、自分の住処を作ったということに満悦した俺は、1人これからの生活への自信を高めていた。
「いけるもんだな…!ここから、俺の自給自足伝説が始まる…!」
などと嘯いていると
パツ パツ
と耳慣れない音が聞こえた。
続けて鼻に冷たい雫が落ちる。
「うわっ雨かよ!」
先ほどの音は雨がテントに当たった音のようだ。テントの設営が終わっていて幸いだった。俺は荷物を纏めてテントに放り込むと、キャリケースからシュラフを取り出しもぐりこんだ。
まだ日が沈むような時間ではないが、極度の疲労により先ほどから激しい睡魔に襲われていたのだ。
(今日は疲れた…明日のことは明日の俺に任せよ。)
いつものように未来の自分への債務を膨らませ、俺は夢の中へ旅立った。
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