第2話 てれれれってッテーン 肺活量がアップした。
「これを持って行きなさい。餞別です」
叔父の眼差しは玄関に向いていた。
そこには腰ほどの高さのキャリーケースが一つ、その上には茶封筒が置かれていた。
「部屋に戻る必要はない。日用品を詰めた荷物を私が用意した。これを持って出て行け」
四日が、木偶のように固まった俺に苛立った声でそう告げる。
その言葉に反応し、少し冷静になる。四日が言うことがどういう意味なのか理解しようと頭を動かすが、すぐに答えは出る。
(そんなん…できるわけねえじゃねえか…)
パソコンも、携帯も、財布だって部屋にある。俺が生きてきた全てが部屋に残っていると言っていい。そんな言葉に到底従えるわけがない。
だが、俺の考えなど見通しているかのように、叔父が口を開く。
「あの部屋にはお前の物なんて一つもない。私がお前にしてやれるのはこれが全てだ」
そんな理屈が通るか。
横暴だ。
そんな言葉を何も考えずにぶつけたい衝動に駆られる。
しかし今の俺にはその行動を形にする気力もなく、震える手で茶封筒をポケットに突っ込み、キャリーケースの柄を握った。
何かを期待するように、もう一度俺は静止する。しかし今度は叔父からも、四日からの言葉はない。
沈黙のまま何分が過ぎただろうか。背中に二人の視線を感じていた。
振り返ることはできない。
先ほどの二人の表情を思い出すだけで全身が震え、膝が折れそうになるのだ。
結局俺にできることは、玄関の扉を開け、うっすらと冬の寒さが覗く久々の外へ、歩を進めることだけだった。
●●●
「あああああああああ!!!」
家を出てすぐ、数分立ちすくんだ俺は、やり場のない怒りに襲われ走り出した。
家から出て右手にある急な坂道を下り、その下に伸びる道を挟んだ先にある丘。
そこには丘を切り開いた公園があった。
小さい頃よく遊び、拠点としていた場所でもある。
そのためか、自然と足がそこへ向いたのであった。
「あああああああ!!」
走る
「ああああ!」
走る
「ああ」
極端にスピードが落ちる
「ガハッ!ゲホッ!ウェエ!!」
立ち止まり嗚咽する
「ヒュー…!ヒュー……!!」
年単位での運動不足に苛まれた俺の体は衝動的な全力疾走に耐えられるようにはできていなかった。
忘れていた右脛の痛みもぶり返してきた。
ままならない怒りを糧に歩を進めること数分、公園に到着する。
一般的な公園に比べ幾分大規模なその公園は、大人になった今もその広さを減じることなく俺を迎えた。
休日であれば、平時は家族連れでピクニックに使われることも多い公園であったが、今朝は珍しく人の姿が見えなかった。
コンクリートで作られたかまくら状の遊具の側に荷物を置き、上へ登る。
幼い頃秘密基地と呼んでいだその遊具の眺めを、うまく思い出すことができないでいた。
ただちょっと高いだけ、そんな淡白な感想を抱きつつ俺は今後の生活に思いを馳せた。
(詰んでるよな、俺…)
持ち物は中身もよくわからんキャリーケース一台に茶封筒のみ。
金もない。
(金…そうだ…!)
働いて稼ごうなんて健康的な思考では決して無い。俺の頭に浮かんだのはポケットに入れた茶封筒。
(手切れ金…てやつじゃないか!?)
そんな期待を抱いて茶封筒に手を突っ込む。
するとまさにそこには一万円紙幣が五枚入っていた。
(諭吉サンきたあああああああああ!!)
本気で喜んでしまうあたり俺も救えない。
しばらくテンションが上がったものの、今からの生活を五万でどう過ごすか冷静に考え始めた途端、その額の頼りなさに気がつく。
「死ねってことか!!!?」
茶封筒を握り潰し乱暴にポケットに突っ込む。
(賃貸部屋って俺一人で借りられるのか…!?)
その日夜風を凌ぐ場所が存在しない、そんな非常事態は20年間のうのうと引きこもり続けた男の人生経験で到底解決できるものではなかった。
誰も頼る人がいないなか、明後日の方向へと転がり続ける思考だけを続けた。
友人の家へ泊めてもらおうと考えたものの友人がいないことに気がついた辺りでふと、昔読んだ物語を思い出す。
突如家族が「解散!」し、ホームレス生活を送る羽目になる中学生の物語。
「………」
俺は足元にソッと視線を動かした。
その城(遊具)の壁は厚かった。成人男性の体躯を悠々と受け止め揺ぎない。
その城(遊具)の懐は広かった。少し屈めば足りる高さと、大で寝転んでも足りる広さ。
(よし、住もう)
孤独が、俺を狂わせた。
不意に訪れた非日常は、俺が物語の主人公になったかという錯覚を植え付けていた。
(まずは幾つか空いてる穴を塞がないとな!ダンボールでいいだろう!布団は……よし、キャリーケースにシュラフが入ってる。なんとかなるぞ!)
とにかく現状を忘れようと努めていた俺は、ワクワクしていた。
自分の力で始める新しい生活というものに。自分のような人間でもできることがあるのだと知った喜びに。
「やるぞ……!」
誰かの助けのみで生きてきた男が、自らの人生を始めて歩む時が、今訪れようとしていた。
「ニーちゃんだれー?」
「おいここ俺らの基地やぞ!」
後ろから声が聞こえた。視線を向けると小学生低学年程の、2人の少年が立っていた。
(…)
(……)
(せせせ先住民だあーーーッ!!)
冷や汗がナイアガラのように背中を駆け抜ける。そして俺はようやく自らの狂気に気がついた。
(馬鹿じゃねえの馬鹿じゃねえの馬ッッかじゃねェの!!!!??公園なんかに住めるわけねえだろ!!!!!!人が来るんだよ子供が遊ぶんだよ公園に住んじゃいけないんだよ!何考えてんだ俺!!)
静止したまま脳内で悶絶する俺を少年達は思いっきり不審な目で見ている。
(マズイ!完全に不審者だと思われてるに違いない。ここが肝心だ、努めて爽やかな青少年を演じろ俺!ハハッごめんネっつい懐かしくて、君たちの遊び場をとっちゃうつもりはなかったんだハハッごめんネっつい懐かしくて、君たちの遊び場をとっちゃうつもりはなかったんだハハッごめんネっつい懐かしくて、君たちの遊び場をとっちゃうつもりはなかったんだっっだ!!いけ!俺!)
「ハッハヒッ!?ゴメッッ…ア…」
結果出たのはおよそ人の声と思えぬ金切り声であった。
もはや言語とするのもおこがましいレベルの俺のファーストコンタクトを受け取った子供達の表情に、戦慄が浮かび上がる。
こいつはやべぇ、大人みたいな背丈だが俺たちが今まで頼ってきたパパママ先生とは決定的に違う。正しい人としての形を逸脱したナマモノの匂いを感じ取っていた。
「わあああ!」
「おかあさーーーーん!」
少年達は逃げ出した!
場に静寂が戻る。
(勝った…)
「負けだよ!!!!!」
あまりの自分の無様さに、ついセルフツッコミをいれてしまう。
「…出よう」
いたいけな少年2人に負わせた心の傷を偲び、俺は遊具を出た。
妙にスッキリとした気分だ。
他人を通して自分の姿を確認できたためだろうか、自分のことがよく見え、何をすべきかがわかる。
(まずはこの町を出よう。もっと広い町に出て、仕事を探そう。俺みたいな奴でも、きっと人がいる場所ならなんとかなるはずだ。)
まだ若干混乱していることに気づいてはいないようだが、働くという意識を持てた以上、幾分かマトモになったことは確かだろう。
(犯罪さえしなければなんとかなる。今回の悲しみを糧に、俺は前に進むんだ!)
気持ちを新たにした俺は、公園の外まで出ると振り返って公園に向かって礼をした。
ありがとう、俺を育ててくれて。
たった数十分しか世話になっていないはずだが、この公園を見ていると心から暖かいナニカが溢れてとまらない。
俺には母という人の記憶が存在しないが、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。なんて思ったのだった。
「ん?」
公園の奥の方に、人影が見えた。
五人組のようで、2人の影は子供だ、さっきの子供かもしれない。となると小柄なもう2人は母親達か、ピクニックか、フフッ微笑ましい。
最後の大柄な男はお父さんかな?全身青目のコーディネートで駅員さんが被るような帽子を被っている。
よく見ると、母親達が男に向かって何かをまくしたてている。あっこっち見た。
(あ、なんかこのシチュエーション知ってるぞ)
母と共に公園に遊びにきた子供たちが、自分たちのお気に入りの遊具に不審な成人男性が居座っていたなら、当然助けを求めたのだろう。
当然の行動として、母親達はわが子を守ろうとするだろう、どこかに電話をかけたに違いない。
きっとその電話先は小学生でも知っている有名な番号だろう。
(そして今電話先の相手が到着して、事情を話し、俺を見ている、と)
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"! ! !」
(あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"! ! !)
俺はパニックに陥り、一目散に公園から逃げ出した。一瞬でも力を抜いたら人生が終わる、そんな考えがどうしようもなく不安を煽る。
命が懸かっている(と思い込んでいた)ためであろうか、家を飛び出した時より早く、長く、俺は走った。
幸いと言っていいのかは微妙なところであるが、誰も追ってはこなかった。
追う価値もないと判断したのであろうか。もしかしたら俺の勘違いだったのかもしれない。
今となっては確かめようがないことだが。
ただ、俺が引き返せるチャンスがもしあったとしたら、それはここだったに違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます