手を伸ばす先には扉

@yumesigoto

第1話 手を伸ばしたくない扉

 10月某日、今日は俺の二十歳の誕生日だ。

記念すべきその日を迎え、俺の心は浮き立っていた。

 酒!飲んだことは無い。

 煙草!吸うつもりは無い。

 女!縁が無い。

 そんな俺でも自分がどこか一人前になったような気がしてくる。

 まあそんな日でも俺は部屋で一人。

 引きこもりだし。ニートだし。高校中退だし。

 家の外には三年前から一度も外に出ていない。もうなんか世界はこの家で全部って気がしてる。

 でもときめいちゃう!大人!なんかいい響き!



 徹夜明けの妙なテンションではしゃいでいたら、部屋の外から誰かがこちらに向かって歩いてくる音がした。



 瞬間、俺は静止する。まるで川に流れる木の葉の様な自然さで席に移動。すると、何百年も同じ場所に佇んできた様な彫像の如き調和が、そこには体現された。



 ガン!と乱暴にドアが蹴破られる。



「今貴様の運命は決まった。出て行け、穀潰し。」



 少女はネットサーフィングを楽しむ俺の後ろで、高らかに宣言した。

 長い黒髪を中ほどで縛り、やや釣り気味な目でこちらを睨むこの少女は東雲四日シノノメヨツヒ。2歳離れたピチピチ女子大生、俺の従妹だ。

 元々仲は普通という程度であったが、最近俺への当たりが強い。思春期はもうとっくに過ぎたはずなんだが。

(また、始まったか。今日はやけに威勢がいいな。やれやれ、面倒だがいつものようにあしらうとするか。)

 俺は顔を引き締め、この愚妹を躾けることに決めた。63072000秒も存在する絶対的な年の差という時の壁、その厚さを思い知らせてやるぜ。

「おいおいおいおいおい、俺が穀潰し?冗談キツいぜ。今だって将来のためにこの情報社会を生き抜く術を身につけんがため血の滲むような努力をだな」

「黙れ穀潰し。20歳無職童貞最終学歴中卒高校中退からバイトもせず早3年、家に引きこもって行ってきたその努力とやらが生み出したのは我が家の赤字だ・け・だ。」

「お兄ちゃんに穀潰しとか言うなよ!!」

「労働の義務って知ってるいるか?クズよ。この国では成人した健康な男女は、労働の義務を負うことになっているんだ。貴様が二十歳を迎えた瞬間から私がお兄ちゃんと呼ぶべき人間は消滅したんだ。」

「いやぁ…でもぉ…!俺今日皿洗ったしぃ…てかなんなんだよいきなり!わけわかんね!いきなりキレて!わけわかんね!!」

 ダメだ、勝てない。なんか涙出てきた。思えば俺の社会経験は高2で止まっている。人生の先輩たる彼女に、正論で勝てるわけがなかった。

 というか何なのこいつ。いっつもは小言言ったらすぐどっか行ってくれたのに。そういえば、何か言ってたような。



「わけがわからんと。あまりに人と交流を持たんと言語中枢が腐るというのは本当のようだな。ではもう一度言ってやる、出て行け」


 デテイケ?出て池?デッテー=イーケ?いや、出て行け、か。

 いかんいかん、流石にいくら俺でもその程度は理解できる。これでも語彙力検定三級の資格者なんだ。俺の数少ない誇りのひとつである。

「あ、ああ掃除な!ごめんごめん後でやるよ。他人にやられると物の場所とかわからなくなるって言ってるだろ?もう少し待って!」


 チッ、俺の部屋だってのに。他人の部屋にいちいち口出しするなよな。誰にもメーワクかけてねえんだし。


「その必要はない。この部屋から捨てる必要があるのは、お前だけだからな。今すぐ出て行ってくれ、部屋ではなく、家から。」




 だよな。そういう意味だよな。

 語彙力検定三級の俺には実はわかっていた。今日の奴の部屋に入ってくる勢い、声の低さ、そして右手に持っている金属バット。

その全てがいつもの嫌味ではないと警鐘を鳴らしていた。

 一昨日辺りから露骨に機嫌悪くなってたからなー、理由わかんないけど。多すぎて。

 この無職シゴトやってるとこういうことがある。世間体、説教する気力すら残らない日々の生活、砂の城を支えるそんなか細い柱が突然折れてしまう瞬間が。



 こういう時は年貢の納め時だ。まずは真摯な顔を見せる。そして仕事を見つけると誓おう。

心を入れ替えると誓い、そして土下座。今までの不孝を心から悔やむんだ。

「そしてこう言うのか?今からネットで求人を探すから、もう少しだけ時間をくれ、と。」

「ずま”な”が”っだ”ぁあ”!!お”れ”、は”た”ら”く……え?」

 冷ややかな目をした四日が、俺の思考を先読みしたかのような発言をする。なんだ、様子がおかしい。

「いや、本気なんだ!ほらこのサイトで」


ヒュッ


 何の音だろう?耳元で何かが風を切る。


ガッッッッベキャガキィィッッッ!!!


 それが何かはすぐわかった。四日が握っていた金属バットだ。振り下ろされた金属バットは正確に俺のマイコンピュータを狙い破滅の音を奏で………


「な に や っ て ん だ デ メ” エ” !!!」


 俺の頭は瞬間的に沸騰した。

 真っ白な頭の中で、目の前の奴を殺せとたった一つのシンプルな命令だけが俺を動かす。俺の男女平等拳が、目の前のメス豚の顔をグチャグチャしろと叫ぶ。

「ブ チ 殺 し 確 てアギィィィ!!?」

 視界が急激に傾く。なんだ?急にバランスがって痛い痛い痛い痛い痛い!!!

 俺の足元に四日が握ったままの金属バットが見えた。

(ああ、俺これで足を殴られたんだ)

 そんなどこか冷静な思考も右脛から発せられる激痛にすぐにかき消される。

「ッッッッッ!!ッッッッッ!!!」

「大げさな、折れる程殴ってはいない。それより、三度目を言わないとわからないか?」


 閻魔が突く槌のように、倒れる俺の目の前に金属バットが突き刺さる。

「すいませんすいませんすいませんすいません!!!!」

 俺、無条件降伏。

 精神でも負け、力でも負けた。

 生物としての本能的恐怖を刷り込まれた俺には、その言葉に逆らうという考えすら起きない。足を引きずりながら慌てて部屋から出る。


 幸い、四日は追ってはこなかった。




●●●




 改めて説明しよう。我が家は三人家族である。叔父である東雲達樹シノノメタツキ、その娘である四日、そしてこの俺東雲甲シノノメコウ

 俺が物心つくかつかないかの頃、俺の両親、そして四日の母親である叔母は、連れ立って出かけた際交通事故にあって亡くなったと聞いている。両親を無くした俺の養父を買って出てくれたのが叔父だったわけだ。

 以来三人仲良く十余年、同じ家で暮らしてきた。


 

 勝手しったるはずの我が家を、俺は塹壕を目指す負傷兵のような気持ちで這いずっていた。

(ダメだ…奴は話が通じる状態じゃない。父さんを味方につけなければ…!)

 ハッキリ言って叔父は俺に甘い。

 口数は少ないが、高校を中退した時も何も言わずに「やりたいことを見つけるといい」なんて言ってくれた。

 俺が今まで無職生活を続けてこれたのもこの叔父の存在があったからだ。今までもここまでではないにしろ四日との衝突の際、なんだかんだで仲裁してくれたのも叔父だ。

 そんな叔父を俺が実の親父と慕うのは当然のことだった。


(とぉさん…とぉさんならわかってくれるぅ…)

 今日は土曜、時刻は8時半。いつも父さんは食卓で新聞を読んでいるはずだ…!

 気がつくと、目の前に人が立っていた。叔父である。

「父さん!ごめん、ちょっと四日を怒らせちゃったみたいで…!頭に血が上ってるみたいだからちょっと話してみてくれない!?」

 コツは自らの非を最初に認めることだ。父さんも従妹が怒る理由には検討がついているだろう、自分に非が無いとは流石に言えない。

(こちらの非を認めた上でなら、きっとあのモンスターを止めてくれる…!)

そんな考えを巡らせている俺に、叔父はこう答えた。


「そうか。じゃあ、もう聞いてるんだな?」


「え?」

 そうか……って何。もうって……何を?

 何何何何、今日は何度この言葉が頭に浮かんだだろうか。わかっているはずなのに、理解ができない。そんな甘えきった俺に叔父は続ける。


「今日はお前の味方はしてやれない。悪いが、俺も四日と同じ気持ちだ。」

 そう告げる親父の顔を、俺は見ることができなかった。縋りたい、謝りたい。そんな考えが沸いては消えてを繰り返す中で、叔父が四日と同じ気持ち、という言葉が俺の脳に突き刺さった。

 どうにかしなきゃという気持ちとああ、だめなのかという諦めがせめぎ合い思考を止める。

 いつのまにか四日が追いついてきていた。

 俺の様子をみて鼻を鳴らし、罪状を読み上げるかのように言葉をかける。

「聞いた通りだ。今まで散々お前を庇ってきた父さんも、もうお前の面倒はみれないそうだ。最後にもう一度言う。この家から…」

「待ってくれ四日。それは、私の仕事だ。」

 そう叔父は四日を遮ると俺の肩を掴んだ。そして呆然とする俺の顔を両手で包み、無理やり顔を自分に向ける。俺は必然的に叔父の表情を認識することになった。

 怒り、悲しみ、悔しさ、そういった感情をどこかに期待していたのかもしれない。

 叔父の表情を見た時、未だ鈍く痛む足を忘れるほど、胸が痛んだ。

 叔父はなんの意思も感じることのできない無表情でこう言った。




「お前の面倒はもう見れない、この家から出て行け。」





………三年ぶりの異世界へ、俺は放り出された。

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