15:水着回の必要性に関する一考察
俺と織枝は、コンビニの駐車場でアイスを食べてから(結局購入してしまった)、海辺沿いの舗装路を再び歩き出した。
これ以後は、作画資料の確保も忘れない。
地域独特の風景を見て取れば、デジカメを構えて撮影していく。
糸乃崎海岸周辺を「聖地巡礼者」が多く訪れていたことは、資料画像の収集にとって、どちらかと言えば好都合だったのかもしれない。
アニメファンは皆、あちこちの景色を記念に写真で撮っていたから、俺たちが似たような行動を取っていても、別段不審に思われたりしていないみたいだった。
一頻り写真撮影し続け、海水浴場の手前まで来た頃には、もう午後一時に近かった。
駅前から真っ直ぐ歩けば一〇分弱の距離を、六倍も時間を費やして移動した計算になる。
しばしば道端で、『ラブハニ』のポスターや看板の類が目に入った影響も否定できない。
まあ、何はともあれ、そろそろ昼食を取ろう、という話になった。
このまま進んだ先で砂浜へ下りて、海の家で何か注文しようかとも考えたけど、その案はすぐに取り下げられた。
それよりも、織枝の興味を引く飲食店が、比較的近所にあったからだ。
「あそこにあるのって――百歌ちゃんの旅館だよね?」
指差した先に見えたのは、古風な佇まいの日本建築。
織枝ならずとも、『ラブハニ』ファンなら即座にわかる。
そこにあるのは間違いなく、主人公・高樹百歌の実家――
そのモデルになったと思しき建物だった。
「どうやら、元々は和食レストランみたいだな」
入口付近を見ると、立て看板が置いてある。
店名の下には、おすすめメニューらしきものが書かれていた。
「アニメの美術設定だと、よくあるパターンだ。この近辺に丁度いい旅館がなかったんで、他の見栄えがする建物を作画の参考素材にしたんだろう」
「……えっと。つまり、アニメで百歌ちゃんの実家として描かれている旅館は、現実には飲食店だってこと?」
「まあ、そういうこった」
美術設定の真相を知って、我が「同好の士」は一瞬、驚いたような表情を覗かせた。
が、すぐに別の着想を得たらしい。
「ねぇ冴城くん。この際折角だし、あの店で何か食べてみましょう」
織枝は、素早く行く手へ回り込むと、俺の手を引いてレストランに導こうとした。
「昼ご飯を食べながら、百歌ちゃんの家の中を直接この目で見ておける――なんて、まさに一石二鳥だと思う」
そう言われると、あえて反対する理由もない。
なので俺と織枝は、和食レストランへ入店した。
店員の案内で、窓際のテーブルに着席する。
やはりというべきか、店内には俺たち以外にも、聖地巡礼者と思しき客が散見された。
二人でちょっと悩んでから、一緒に同じ料理を注文する。
海老や帆立の海鮮定食セット。一人前二〇〇〇円。
高校生には少々お高い価格設定だが、致し方ない。
本来は観光客が相手の商売なのだろう。
「アニメで描かれていたシーンと、内装は所々違ってるね」
織枝は、食事中も周囲を観察し続けていた。
「でも、いつか百歌ちゃんの旅館を舞台にした二次創作漫画も描きたいなあ。今作ってる同人誌じゃ無理だけど」
「……百歌の旅館が舞台の漫画って、きょうきこメインなのか?」
「そこはやっぱり、三角関係的な感じで。百歌ちゃんに京ちゃんが迫って、たまたまそれを見た希子ちゃんが誤解して……みたいな。希子ちゃんは、他の二人どちらに対しても受け、とにかく総受けね。もちろん京ちゃんは、本当は希子ちゃんのことしか見てないんだけど――……」
ちょっと気になって話に乗ってみたら、織枝は次々に自らの妄想を披露してきた。
普段は控え目にしているくせして、趣味の話で盛り上がると、妙に饒舌になるところがオタクらしい。
その後も、取り留めなく様々なシチュエーションを、我が「同好の士」は語り続けた。
尚、食事を済ませて会計しているあいだも、
「強引な攻め……京ちゃんの束縛……逃げられない受け……。無理、待って……」
などと、織枝はぶつぶつ独り言を続けていたことは、付言しておこう。
ごめんさすがにちょっと怖い。
とにかく、俺と織枝は店を出て、ついに海水浴場へ踏み込んだ。
やはり浜辺も、平日にしては人が多い。
その大部分が、ここでも聖地巡礼者なのだろう。
「じゃあ、冴城くん。早速だけど、海の中に入って、所定のポーズを取ってもらえる? それを写真で撮って、海水浴シーンで作画の参考にするから」
寄せては返す波打ち際を眼差しつつ、なぜか織枝がきりっとした顔付きで言った。
「……いきなり俺だけ泳いだりするのか」
「ちゃんと水着、持って来てるんでしょう」
そりゃ一応、出発前に指示されたからな。
ていうか百合漫画なのに、実は作画で参考にする画像の被写体は男だなんて。
ポーズだけなら性別は無関係なのかもしれんが、夢がなさすぎるぞ。
「おまえは水着に着替えないのかよ」
「私は、撮影係だもの」
我が「同好の士」は、わざとらしくデジカメを掲げてみせる。
「写真を撮ってるうちに、そっちだって濡れるかもしれないぞ」
「お気遣いなく。服の下には、ちゃんと水着を着てきてるし」
もうあらかじめ着てんじゃねーかよ!
「別の服も持って来てあるし、本当に濡れたら撮影が終わったあとに着替えて帰るから」
「なんか、俺一人だけ水着姿で女の子から裸体を写真に撮られるのって、客観的に考えてスゲェ不思議な光景だと思うんだが……」
軽く左右へ目を動かし、海水浴場の利用客を眼差してみる。
もし、そんな状況を第三者が見たら、どんなふうに思うのだろう。
――クラスメイトの女子からセクハラを強要される男子高校生?
かえって体裁が悪いのは、この子なのではあるまいか。
そんな予感が働いたのだが、どうやら織枝も同じだったらしい。
何か物言いたげに唇を動かしたあと、俺たち二人は互いに少し黙り込んでしまった。
「……わかった。それじゃ、私も水着に着替える」
たっぷり一〇秒近く間を置いてから、織枝はどこか憮然とした面持ちで言った。
「二〇分後、あそこのかき氷を売ってるカウンターの傍で合流しましょう」
そう言い残すと、我が「同好の士」は海の家の更衣室へと歩き出した。
…………。
……でもって、二〇分が経過した。
要望通り海の家のかき氷売り場で、俺は織枝が更衣室から出て来るのを待っていた。
もちろん、ちゃんと水着に着替えている。
荷物は、更衣室の有料コインロッカーの中に預けてあった。
♪――
だけど 本当の「好き」って
想いが動き出しちゃったのなら
恥ずかしがったりしてらんない
キレイにキメガオしてらんない ――♪
浜辺一帯では、スピーカーから流れ出たメロディが鳴り響いている。
糸乃崎海岸のSkuld推しマジパネェ。
『ラブハニ』の聖地であることを、どこまでも主張していくスタイルかよ……
なーんて、一人で唸っていると。
「お待たせ、冴城くん」
にわかに背後から、織枝に声を掛けられた。
いつもの唐突な登場。
近付く気配に直前まで気付かなかったけれど、もはや毎度のことだ。
なので取り立てて動揺するでもなく、俺はそちらをゆっくり振り返る。
そこには果たして、水着に着替えた我が「同好の士」の姿が……
――なかった。
水着姿じゃなかった。
いや、織枝は、たしかにそこに居る。
水着もおそらく、着用している。
だが、水着を明らかに着ているということが、目視で確認できる状態ではない。
上半身には薄手のパーカーを羽織って、下半身は膝下まで花柄のパレオに包まれていた。メガネを外した面差しには、かすかに戸惑いめいたものが窺える。
素肌の純粋な露出面積は、セーラーカラーのシャツを着ていたときよりも、逆に減少してしまったように見えた。
「……なあ、織枝」
俺は、これまでとは別種の衝撃を覚えつつ、その姿を上から下まで思わず注視した。
「浜辺でその恰好じゃ、暑くないのか?」
「それはたしかに暑いけど」
「じゃあ、もしかして日焼け止めがないから、日焼けが嫌だとか――」
「きちんと肌の隅々まで塗ってあるけど」
「だったら、なんで」
重ねて問い掛けると、織枝はやや伏し目がちに目を逸らす。
「……は、恥ずかしいから……」
今更すぎる理由だった。
ていうか、最初に取材に必要だ何だと理由付けし、水着も持っていくべしと言い出したのは、織枝自身だったはずではないか。
その当人がなぜ、ここへ来て水着姿になるのを躊躇しているのか。
他人に水着を着ろと言えるのは、自分も水着を着る覚悟のあるやつだけである。たぶん。
さすがに抗議のひとつでもしてやろうかと、俺は口を開きかけた。
が、それに先んじて、織枝が急に持論を展開しはじめる。
「あのね、冴城くん。実は私、前々から疑問に思ってたんだけど」
「なんだよ」
「深夜のラブコメアニメでは、どうして正式に交際もしていないカップルが、一緒に海水浴へ出掛けるのかな」
「いや俺とおまえだって、今こうして浜辺に来てるだろうが」
「だから、これはあくまで、作画資料収集という目的があるから仕方なくでしょう」
「仕方なくだったのかよ。ずっと朝から、上機嫌そのものにしか見えなかったが」
俺は異論を唱えたものの、織枝は華麗にスルーした。
「つまり、私が言いたいのはね。心を許し合ったわけでもない年頃の男女にとって、互いに水着姿で肌を露出させ合って遊興することは、本来現実的に許されるのかどうかなの」
んなこたぁ知らねーよ!?
それ言い出したら、大半の深夜アニメと水着回は全否定じゃねーか。
ていうか、家族不在時に同級生男子を堂々と自宅へ招き入れている点を考えれば、おまえがそれを持ち出すなっつーの。
倫理観に抵触する分水嶺が、完全に所在不明である。
何だか不毛なやり取りに思えてきた……。
これ以上、議論で無駄な労力を費やすのは馬鹿らしい。
「あー、わかったわかった。……おまえがそのままがいいってなら、もう別にそれでいい」
俺は、投げ遣りに降伏の意を示し、行動をうながした。
「それより、早く海に入ろうぜ」
本人がそこまで水着を嫌がるのなら、強要する気にもなれない。
作画のための資料収集と割り切ろう。
そう思って、海の家の前を離れ、波際へ向かおうとしたのだが。
「――ま、待って」
後ろから手首を掴まれ、織枝に引き止められてしまった。
そして、我が「同好の士」を振り返ってみると――
懊悩に満ちた顔を朱色に染め、華奢な身体を細かく震わせていた。
唐突にそんな有様を見せられて、俺はつい目を剥いてしまう。
「ね、ねぇ。冴城くん――」
織枝は、僅かに掠れたような声音で、問い掛けてきた。
「冴城くんは……み、見たいの?」
何を、と訊かなくても、答えは決まってる。
この子の水着を、見たいのかってことだろう。
俺は、急に息苦しくなって、呼気を吸い込んだ。
いったい何だ。何なんだ。
織枝は、水着になるのが恥ずかしいんじゃないのか。
だったら、どうして殊更そんなことを訊くんだ。
いや、それより俺は今、どんな返事をすべきなのか。
別に水着姿に興味はない……なんてわきゃない。
織枝は可愛い。
健全な男子高校生として、可愛い女の子の水着姿は見たい。
ゆえに、織枝の水着姿は見たい(三段論法)。
むしろ、ここで見たくないと跳ね付けるのは、織枝が可愛くない、異性として魅力がないと断じているようなもので、この子に失礼ではあるまいか。
きっと、おそらく、むしろ確実にそうに違いない。
「――み、見たい」
だから、俺は偽りなき本心を告げた。
「織枝の水着姿が、見たい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます