第六章「帰る場所」

出立~もうひとつの真実~

 ついに、限界村最終日。今日は帰宅の日である。このまま村にいたいぐらいだったが、俺には都会でケリをつけなきゃいけないことがある。


 朝食を終えたあとは自室に戻って、荷物の整理をした。といっても、たいしてやることもない。あとは、かすみさんの車で、駅まで送ってもらうばかりだ。


 その駅から電車とバスを乗り継いで空港まで行って、そこから東京へ帰る。かなりの長旅だ。


「凡人さん、お車、用意できましたわ♪」

「あ、はいっ!」


 階下から声がかけられて、応える。いよいよ、民宿「草枕」とも一旦、お別れだ。部屋から出て、階段を下りる。そして、廊下を進んで、玄関へ。

 靴を履いて、開いていたドアから外へ――。


「あ、凡人さん、おはようございますっ!」

「見送りに来てやりましたよ」


 ひなたちゃんとあずささんが、庭に立っていた。


 ひなたちゃんは体操着姿で、あずささんは巫女服姿。もうこの服装にも驚くこともない。たった五日だが、すっかり慣れた。


「凡人さんがいなくなると、ひなた、すごく寂しいです……早く、戻ってきてください……」


 ひなたちゃんは、涙を浮かべていた。俺のことを見つめて、ぎゅっと体操着の端を掴んで、泣くのをこらえている。


 正直ここまで想ってもらってえるだなんて思わなかった。俺なんか、都会ではただの冴えない、非リア充なわけだから。


 こうして必要とされることは、嬉しい。それがこの限界村に来て初めて知ったことだ。都会の生活で俺が必要とされる場面なんて、まったくといっていいほどなかった。顔もイマイチ、コミュニケーション能力も高くない。なにか特技があるわけでもない。進学校におけるスクールカーストの底辺として、ただ毎日を無気力に過ごすだけだった。休み時間や家で読むラノベが唯一の楽しみだった。非現実が、俺の逃げ場所だった。


 でも、この限界村では、俺を受け入れてくれる。それどころか、積極的に求めてくれる。それはやはり、かけがえのないことだと思うのだ。


「ほら、なに自信なさげな顔してるんですか。誘惑に負けず見事に童貞を守り切った上に、わたしたち全員を惚れさせたんですから、もっと胸を張ってください」


 あずささんがいつものような毒舌で、俺を叱咤激励する。その言葉もだいぶ心地よいものに変わっていた。最初は、面食らうばかりだったのだが。


「……帰ってきたら、これから毎日社務所の掃除をやってもらいますからっ」


 そう言って、あずささんはぷいっと横を向いてしまった。でも、それが強がりだとわかる。ちょっと、瞳が潤んでいたから。


「ああ、大丈夫。色々と片づけて、なるべく早く帰ってくるから。そのときは、もっと境内の掃除とかも手伝うよ」

「ま、まぁ……いい心がけです。そのときは、みっちりしごきますからっ」


 俺はもっとあずささんやひなたちゃんたちのためにも、色々と手伝いたい。それに、村のためにも――。村長になる権利は辞退したが、村のために役に立ちたい思いはあった。その過程で俺が村長になるほうがいいのなら、そのときは死ぬ気で職を務めるつもりだ。


 いままでロボットのように勉強をするだけだった俺は、人間らしい心を取り戻したのかもしれない。限界村のみんなのためなら、いくらでもがんばろうという気になる。それは、都会で暮らしていた頃にはなかった感情だ。


「……そういえば、まつりは?」


 そこで、俺はまつりの姿が見えないことに気がついた。


「うふふ……♪ あの子、ああ見えて、すごい泣き虫ですから♪」


 かすみさんがにっこりと微笑む。その目の端にも涙が滲んでいたのは気のせいだろうか。


「ほら、まつり♪ ちゃんと、挨拶なさい♪」


 かすみさんがワゴン車の影に声をかける。


 すると、もそもそと動いてメイド服姿のまつりが立ち上がった。そして、こちらに振り向く。


「……まつり」


 その顔は、涙でいっぱいだった。ほっぺたが赤くなるぐらい、涙が流れた跡が残っている。目は赤く充血して、兎のようだった。


「ぐすっ……えぐっ……」


 嗚咽を漏らすまつりに、あずささんが近づいて、懐からティッシュを差し出す。


「ん……ありがとぅ……」


 鼻をかんでから、まつりは俺のことを真っ直ぐに見つめてきた。

 俺も、まつりのほうに向き直る。


「ん……凡人……ほんとに、……すぐに戻ってきてよ……」

「ああ」

「絶対……だからね……絶対に……ひっぐ……戻って……きなさいよ……」

「ああ……絶対に戻ってくる!」


 俺は、力強く頷く。

 この先なにがあろうと、限界村に絶対に戻ってくると心から誓う。


「じゃ……指きり」

「指きり?」

「うん……ちゃんと、約束したいから」


 指きりするの、いつぶりだろうな……いや、初めてかもしれない。ちょっと気恥ずかしいが、これでまつりの気持ちが落ち着くのなら……。


 俺は、まつりに近づいて、右手の小指を出す。すると、まつりも震える手で小指を出してきた。


 こういうときぐらい、男らしく――。


 俺は、まつりの指を自分から絡めた。それだけなのに、キスをするみたいな緊張感があった。改めて、まつりの顔を見る。そして、ふたりで息を合わせて、


「「……ゆーびきーり、げんまん……うそついたら、はりせんぼんのーますっ」」


 声を合わせて、約束の儀式をする。


「「ゆーびきったっ……」」


 そして、俺とまつりの小指が離れる。それだけなのに、ひどく寂しい気持ちになった。もっと、ずっと指を絡めていたくなる。不思議な感覚だった。これが、恋というものなのだろうか。


「あ、あのっ……ひ、ひなたもっ」

「無論、わたしもです」


 続いて、俺はひなたちゃんと、そして、あずささんとも指きりを繰り返す。


 ひなたちゃんの幼女のように小さな指、そして、あずささんの女の子のわりには大きな指。そのどちらの感触も、俺の心に波紋のように広がり、響いていった。


 これで、三人の女の子と約束したことになる。それこそ、絶対に破れない約束だ。無論、破る気なんて微塵もないが。


 ――必ず、俺は限界村に帰ってくる。そして、また三人と一緒に暮らす。


「うふふ……♪ なんだか、妬けてしまいますわね♪」


 俺たちの指きりを見守っていたかすみさんが微笑む。こういう場面を見られると、やっぱり恥ずかしい。


 でも、これでかすみさんが証人になったわけだ。三人との、約束の――。


「それでは、凡人さん、参りましょうか♪ まつりは、留守を頼みます」


 電車や飛行機の時間もある。残念ながら、いつまでもここにはいられない。

 俺はワゴン車の助手席のドアを開く。


「また……絶対に、戻ってくるからな!」


 そして、もう一度、まつりたちに力強く告げる。これ以上、女の子たちを泣かせたくないから、俺は自信たっぷりに告げる。


「うんっ……うんっ! 待ってるから……早く、戻ってきなさいよね!」


 まつりは涙を腕で拭うと、いつものような快活な口調で応える。


「ひなた、今度は、双六も、お相撲も負けませんからっ、また、またですっ」

「早く戻ってこないと、承知しないですからねっ……本当に、女泣かせなんですから!」


 ひなたちゃんとあずささんも、いつもの調子で、俺に言葉を投げつけてくる。


 都会にいた頃は、わずらわしいだけだったコミュニケーションが、今ではこんなにもかけがえのないものになっている。人と触れ合うことがこんなにも楽しい。それを、俺は限界村に来て知った。


「また、すぐに戻ってくるからな。そしたら、また……一緒に日常を送ろう」


 そう。大事なのは、日常だ。日常を楽しく過ごせるかどうかが、人生を左右するんだと思う。人生は勝ち負けよりも、その大切な『日常』を見つけられるかが大事なのかもしれない。これも、限界村で学んだことだ――。


 ワゴン車が動き出し民宿「草枕」を離れていく。

 だんだんと三人の姿が小さくなっていき――やがて、見えなくなった。


「……本当、あの子たちがあんなに感情を露わにしてくれるなんて、思いもしませんでしたわ」


 かすみさんは、ハンドルを握りながら、ぽつりと呟いた。


「……そうなんですか?」

「ええ。凡人さんが来る前は、あまりに刺激のなさすぎる村でしたからね。やっぱり、男の子がいると、女の子は変わりますよね♪」


 そう言って、かすみさんは「わたしも若い頃を思い出しましたわっ♪」と、いたずらっぽく付け加えた。


「ああ見えて、まつりは、もともと引っ込み思案だったんですよ?」

「えっ、そうなんですか?」

「あずさちゃんとひなたちゃんがいてくれなかったら、あの子は内気なままだったでしょうね。本当、ふたりには感謝していますわ♪ やっぱり、友達がいると、違いますものね♪」


 俺も、もともとは……というか、本来は引っ込み思案だ。学校でも友達が少ないし。でも、この村で突飛な行動をみんながするものだから、全力でツッコミを入れ続けねばならなかった。そのおかげで、こんなにもコミュニケーションをとることができた。考えてみれば、これほど喋った五日間は、人生で初めてだ。


「まつりったら、凡人さんが来る前は、緊張して緊張して、大変だったんですよ? 凡人さんが来る三日ぐらい前から、落ち着きなくうろうろしてばっかりで、毎日どうしようどうしようって、不安いっぱいでした♪」

「そうだったんですか……」


 最初の印象だと、すごい明朗快活で無軌道な性格に見えたが……あれは、緊張の裏返しだったのか。そのおかげで、俺は緊張するどころじゃなかったわけだが。


「やっぱり、まつりと凡人さんは似たところがある気がしますね♪」

「そ、そうですか?」


 俺とまつりじゃ、性格は全然似てないと思うのだが……。


「ええ、そうですわ♪」


 自信満々に言い切って、かすみさんは笑う。


 その笑顔が――なぜか母さんに似ている気がした。そんなふうに思ったからか、その次に独り言のように口にしたかすみさんの言葉は聞き取れなかった。


「……やっぱり、イトコですものね」

「えっ? あ、いまなんて言いました?」

「あ、いえ♪ なんでもありませんわ♪ ……この先の道、少し揺れますわ♪」


 そう誤魔化すように言って、かすみさんは前を向いて運転に集中しはじめた


 なんだ? いま、なんて言ったんだろうか……? まぁ、気になるが、誤魔化されてしまったから、あえて聞くわけにもいかない。


 でも、俺とまつりが似てるなんてそんなことない気もするがな……。それに、まぁ……かすみさんが母さんと似ていると感じたのも気のせいだろう。


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