ひなたちゃんの真実~思い出のサッカーボール~

「ほら、凡人着替えて! 時間は限られてるんだからっ! 遅れたらひなたちゃんかわいそうでしょ!」

「お、おう……」


 まつりに背中を押されて俺は二階の自室にむかった。一応はライバルであるひなたちゃんのことを思いやることができるのだからまつりもいいやつだ。


 ともかくも俺は着替えて、鏡の前で身だしなみも整えた。なんかこうしてデートの用意するなんて一週間前の俺からは考えられない。


 一階に降りて歯を磨き、トイレもすませ、デート開始五分前に民宿の前に立った。

 隣にはストップウォッチを持ったかすみさんがいる。


「凡人さん、なにも難しく考えることはありませんわ♪ 今日一日、限界村の女の子たちとのデートめいっぱい楽しんできてくださいね♪」

「は……はい」


 かすみさんと会話しながら待っていると――。


「凡人さーんっ! おはようございますですっ!」


 元気いっぱいの声がして、ひなたちゃんがこちらにやってきた。


 服装はなぜか体操着にブルマー。しかも両手でサッカーボールを抱えるように持っている。って……サッカーボール? なぜそんなものが……。


「えとっ、今日のデート、凡人さんとサッカーしたいですっ……! あ、あの……だめですかっ?」


「あ、いや、もちろんオッケーだぞ! 俺、サッカーやった経験なんて学校の体育ぐらいしかないからド素人だけど……それでもいいなら」


「ありがとうございますっ! ひなた、凡人さんとふたりでサッカーやりたかったんですっ!」


 そう言ってひなたちゃんは笑顔を輝かせる。


 ……そういえばひなたちゃんはことあるごとにサッカーチーム設立の夢がどうとかサッカーチームができるほど子どもがほしいとかって言ってたな……。


 その謎が、もしかすると解けるかもしれない。なぜ、そこまでサッカーにこだわるのか。


「そう……ひなたちゃん……凡人さんとサッカーを……ひなたちゃん、デートがんばってくださいねっ♪」


 かすみさんはなぜか一瞬悲しげな表情を見せたが……すぐにいつもの笑顔を取り戻してひなたちゃんにエールを送った。なんだ? なぜそんな表情を?


「はいっ、ありがとうございますっ!」


 ひなたちゃんはかすみさんに笑顔で応える。


 だが、なんとなく無理しているように見えた。ひなたちゃんはぎゅっとサッカーボールを抱える手に力をこめると、俺のほうに顔を向けた。


「えぇと、それじゃ、限界小学校の校庭へいってもいいですかっ?」

「ああ」


「うふふっ……♪ それでは、デート開始ですっ♪ 二時間後までにここに戻ってきてくださいね♪……はいっ、スタートですっ♪」


 かすみさんがストップウォッチを押して、俺とひなたちゃんのデートがはじまった。まずは目的地の限界小学校への移動だ。


「……凡人さんはサッカーを見に行ったりテレビ中継とかは見ないですか?」

「ん、たまにW杯とか国際親善試合とかやってるのをテレビで見るぐらいかな……」

「そうですかっ」

「ひなたちゃんはサッカー好きなのか?」

「……えぇと」


 会話の流れで軽く聞いたのだが、ひなたちゃんは口ごもった。そして、一度うつむいてから、俺を見上げる。


「大好きですっ……でも、嫌いですっ」


 大好きで嫌い? いったいどういうことだ……?


「……」


 ひなたちゃんはぎゅっとボールを抱き締めて、またうつむいてしまった。

 そのまま無言で俺とひなたちゃんは限界小学校への道を歩いていく。


 こんなひなたちゃんの姿を見るのは初めてだ。

 やはり……ひなたちゃんとサッカーの間にはなにかあるのだろう。

 そうして歩いているうちに、限界小学校にたどりついた。


「ええとっ……ごめんなさいですっ、だまりこんじゃって……」

「いや、気にしないでくれ……」

「ありがとうございます……ひなたなんかのために気を使わせてしまって」


 ひなたちゃんはそう言うと、抱えていたサッカーボールをじっと眺め、手を離した。ボールがコロコロと転がる。


「あの……パス練習……というか、少し離れて凡人さんとボールを蹴ったり戻したり……してみてもいいですか?」

「ああ、サッカーやるんだもんな。やろう」

「はいっ、ありがとうございますっ!」


 俺とひなたちゃんはお互い離れていって十五メートルほどの距離をとる。


「そ、それじゃ……お願いしますっ……えいっ」


 ひなたちゃんはボールをキックする。田舎暮らしで運動神経がよいこともあって、キック力は十分。だが、蹴りかたが悪かったのか俺から見て左の方に流れていってしまった。


「あっ!? ごめんなさい!」

「いいよいいよ、気にしないでくれ」


 俺は走っていってボールを足で回収。そのまま下手なドリブルをして元の距離まで戻る。


「よし、いくぞ、ひなたちゃん」


 俺はコントロールを重視であまり力をいれずにボールを蹴る。ボールはコロコロと転がっていって、狙い通りひなたちゃんの足におさまった。


「凡人さん、うまいですっ……そ、それじゃひなたもっ」


 ひなたちゃんは先ほどよりも力をおさえめにボールを蹴る。やや右にそれたが、今度はうしろに逸らすことなくボールに追いつくことができた。


「あ、ありがとうございますっ!」

「ああ、うまくいかないときはお互いさまだし、気にしないでいいぞっ。よっ!」


 しゃべりながら蹴ったからか、今度は俺のパスが左にそれる。それをひなたちゃんは追いかけていって足で止め、俺に向かってすぐに蹴り返す。慣れてきたのか、ひなたちゃんのパスは正確さを増していた。


「いい感じになってきてるな」


 昨日の疲れや筋肉痛もすっかり忘れて、俺はひなたちゃんとのパス練習に熱中していった。

 そして、三十分くらい経過しただろうか――。


「休憩しましょう」

「あ、あぁっ……はぁはぁ」


 ただボールを蹴りあっているだけとはいえ、休みなくパスをし続けるとかなりの運動量になる。都会で勉強ばかりやってた俺にはなかなかこたえる。情けないな、ひなたちゃんに気を使わせてしまった。


「あ、あのっ、校舎からタオルと飲み物とってきますねっ」

「あ、あぁ、ありがとう」


 さすがひなたちゃんは限界村住人だけあって、まだまだ体力に余裕がありそうだった。


「はい、スポーツドリンクとタオルですっ」


 俺はひなたちゃんからタオルとスポーツドリンクを受け取る。そして、タオルで顔の汗を拭き取ると、スポーツドリンクを飲んだ。熱くなった身体に心地よい冷たさが広がっていく。


「……凡人さんっ……ひなたのわがままにつきあってくれて、ありがとうございますっ……久しぶりにサッカーできて、楽しかったですっ」


 ひなたちゃんは改まった感じで、ぺこりと頭を下げてきた。


「え、あ、いや……そんな礼を言われることでもないぞ。俺も楽しかったし。こうやってお互いにボールを蹴りあうのって、面白いんだな」


 ボールを通してコミュニケーションをすることができた気がする。ひなたちゃんの表情もデートが始まったときよりはだいぶほぐれたようだ。


 ひなたちゃんは転がっていたボールを拾い上げると、胸で抱えた。そして、俺の隣に座った。


「……子どもの頃、おとうさんがオフになって家に帰ってきたとき……いつもひなたはおとうさんとこうやってボールを蹴ってました」


 ひなたちゃんはぼんやりと校庭を眺める。そこに幻(まぼろし)の父親と幼いひなたちゃんがボールを蹴りあう姿を見ているかのように。


 オフ……ってことは、ひなたちゃんの父親はサッカー選手だったのだろうか?


「おかあさんもそばにいて、わたしとおとうさんがボールを蹴るのをいつも見ていてくれました」


 それは十数年前に確かにここにあった風景なのだろう。

 でも俺は限界村に来てから、ひなたちゃんの両親を一度として見ていない。


「……おとうさんと離れて暮らしていても、ひなたはしあわせでした。試合がある日はおとうさんが活躍するのをテレビで見ることができたんですから」


 ひなたちゃんはボールを抱え校庭を眺めながら話を続ける。


「おかあさんは体が弱くて、おとうさんと一緒の暮らしができませんでした。おとうさんの所属するチームは都会にあって、空気があまりよくなくて……肺が弱いおかあさんは限界村でひなたたちと暮らしていたんです。でも、転機が訪れました」


 ひなたちゃんの表情が歪み……声が震え始める。


「……おとうさんの実力が認められて、海外のチームに移籍することになったんです。そのチームは緑豊かなところにあって、そこには世界有数の医療機関がありました。しかも、肺に関する……おとうさんは、おかあさんに一緒に来るよう言いました」


 ひなたちゃんは、憑かれたように話し続ける。


「まずは一度行ってみてから、そしておかあさんをその医療機関で診てもらう……そういう理由で、おとうさんとおかあさんは、わたしをおじいちゃんとおばあちゃんに預けて、飛行機に乗りました。」


 そして、ひなたちゃんは顔を伏せた。


「飛行機は墜落しました」

「……っ!?」


 俺は言葉を失った。ひなたちゃんはそのまま顔を伏せたまま、肩を震わせ始める。


「……子種神社のおみくじで、絶対に……ぜったいに西の方角に行っちゃいけないってでてたんですっ……だから、ひなた止めたんですっ、ぜったいに……っ……ひくっ……ぜったいに、いっちゃだめだってぇ……んぐ……えぐっ……うあ、あぁああぁっ……ひぐっ、えぐっ……んぐっ……!」


 ひなたちゃんはボールに顔を押しつけると嗚咽を漏らし始めた。


 ……ひなたちゃんの両親が限界村にいないことにはなにか理由があると思っていたが……まさか、ここまでの事情があったとは……。


「うくっ……ひっ……えぐっ……う、あぁぁぁっ……」


 ひなたちゃんはボールに顔を押しつけて泣き続ける。まさか、あの子どもっぽくて無邪気でいつも元気いっぱいのひなたちゃんにそんな壮絶な過去があったとは思わなかった。


「うぅっ……えぐっ……」


 きっとひなたちゃんはずっと無理をしていたのだろう。限界村の住人の前ではこんなふうに泣くことはできなかったはずだ。心配をかけてしまうことになるから。半分部外者の俺の前だからこそ、押し込めていた過去や感情をこうして表に出せたのかもしれない。


「ひなたちゃん……」


 俺はひなたちゃんの背中に手をおいて優しく撫でる。このままひなたちゃんをひとりで泣かせるわけにはいかない。


 ひなたちゃんは身体を震わせながら嗚咽を漏らし続ける。俺は、ひたすらに背中を撫でることしかできなかった。


 やがて……。

 ようやく落ち着いてきたのか、ひなたちゃんの身体から震えが止まった。


「……凡人さん、ごめんなさいですっ……せ、せっかくの、デートなのにっ、ひなた……こんなに泣いちゃって……」


「……いや、謝ることなんてまったくないよ。俺の前でならいくらだって泣いてもいいから」


「凡人さんっ……!」


 ひなたちゃんの瞳からぶわっと涙が溢れる。そして、サッカーボールから手を離すと今度は俺に抱きついてきた。


「うあぁ~ん……!」


 ひなたちゃんはまるで幼女のように泣き出し始めた。俺のシャツはひなたちゃんの涙で温かくなっていく。……本当に辛かったんだな、ひなたちゃん……。


 俺は少しでもひなたちゃんが抱えていたものを吐き出せるように抱きしめ返し、背中を撫で続けた。


 そして、どれだけの時間が経過しただろうか――。

 ひなたちゃんはようやく泣き止んだ。


「凡人さん……ありがとう……ございます……」


 泣き腫らした顔でこちらを見上げてくる。あまりにも至近距離なので、もう顔と顔がすぐそばだった。


「あ、あぁ……」


 今さらながら身体がすごい密着していた。お互いの体温がひとつになってしまったと思うほどだ。


「ひなた……凡人さんのことが……好きですっ…………んっ」

「んむっ……!?」


 ひなたちゃんは俺の唇に自分の唇をちょんと合わせてキスをした。


「……ご、ごめんなさいっ……ひなた、我慢できなくてっ」

「あ、いや、その……あ、謝ることはないぞっ!」

「ひなた……凡人さんの一番じゃなくてもいいです……でも、ずっとこの村で凡人さんと一緒に暮らしたいですっ……!」


 そう言って、ひなたちゃんは俺に抱きついてきた。

 ちっちゃな身体でせいいっぱい思いを伝えてくるひなたちゃん。


 ……本当に俺なんかを必要としてくれる人がいる。それはなにものにも代えがたいものだった。


「ありがとう、ひなたちゃん……俺でよければ、この村で一緒に暮らさせてくれ。俺はこの村のこともひなたちゃんも好きだから」

「凡人さんっ……!」


 ひなたちゃんはまた俺に抱きついてきた。

 温かい涙が俺の服を再び濡らしていく。

 俺はデート時間ギリギリまで、ひなたちゃんを抱き締め続けた――。


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