宴会とセンチメンタル~草食童貞と肉食女子の宴~

 宴会やって、ええんかい。問題ない。アルコールがないのだから。


 そんなわけで、俺たちは打ち上げをしていた。場所は、民宿「草枕」の広間。風呂に入って、着替えたので、いまの格好は普段着だ。


 席の位置は、俺の左隣にひなたちゃん、右隣にあずささん。で、正面にまつり。給仕は、かすみさん。じーさんは用事があるとかで不参加だ。


「いっぱい食べてくださいね♪」


 で、目の前にあるのは、例の舟盛りである。まぁ、四人で食べれば、なんとかなるだろうが……。


「それでは、皆さん、今日はおつかれ様でした♪ たくさんあるので、どんどん食べてください♪」


 オレンジジュース・サイダー・烏龍茶の中から好きなものを選んで、かすみさんに注いでもらう。俺は、烏龍茶。まつりはサイダー。ひなたちゃんはオレンジジュース。あずささんは烏龍茶。


「それでは、凡人さん。乾杯の音頭をお願いします」

「は……はい」


 こんなのはじめてだ。そもそもリア充とは程遠い人生を歩んできたので、テスト後に打ち上げにいくとかいう習慣はなかった。そもそも、そんな友達いなかったし。妹尾くん(見た目は男の娘)とは、せいぜい昼飯食べるぐらいだし。


「ええと、それじゃ……乾杯」


 手に持ったコップをちょこっと前に出す。すると、


「かんぱーい!」

「乾杯」

「かんぱいですっ」


 三人の女の子たちからコップをぶつけられる。


「おっとと」


 危うく、落すところだった。そうなったら、いきなり興醒めだ。


「くーっ、やっぱり運動のあとのサイダーはサイコー!」


 まつりはコップを傾けると、一度も離すことなく飲み干して、快哉を叫ぶ。


「んくんくっ」


 ひなたちゃんは両手でコップを持って、少しずつオレンジジュースを飲んでいく。まるで小動物が水を飲んでいるみたいだ。


「……」


 あずささんは無言で、ちびちびと烏龍茶を飲んでいる。おっさんくさい。


 まぁ、観察しててもしかたない。俺はごく普通に烏龍茶を飲みながら、目の前の舟盛りに挑む。箸でサーモンを摘んで、しょうゆにつけて、口に運ぶ。うむ、美味だ。


「ね、お刺身、あたしが食べさせてあげよっか?」

「ぶふっ」


 正面のまつりからそう言われて、俺はしょうゆごと刺身を吐き出しそうになった。


「抜け駆けはずるいですっ。ひなたも、凡人さんに食べさせますっ。……あ、あーん、してくださいっ」

「ほら、凡人さんの好きなサーモンピンク色ですよ……」


 三方向から、刺身が迫ってくる。


「だああっ、待てって! お行儀悪いだろ?」


 俺たちだけならまだしも、かすみさんもいるってのに。そう思って、かすみさんのほうを見たら、


「あら?」


 笑顔で、俺に向かって刺身を伸ばしていた。って、この人までかいっ!


 もう、常識人をどこかから連れてきてくれっ。切実に、そう思う。これじゃ肉食獣のいる檻の中に放り込まれた草食動物じゃないか。食われるっ、いつか食われるっ!


「もー、ほら、観念して食べなさいよっ。こうやってるの、手がつかれるんだからっ」


 もうなにか言うよりも、大人しく彼女たちの玩具になっているほうが平和だろう。そう判断して、俺はまずは正面の、まつりの箸に掴まれたマグロの刺身を食べる


「……うむ、うまい」


 いいネタを揃えている。そこらの回転寿司の数万倍うまい。


「つ、次はひなたですっ」


 続いて、右を向いてひなたちゃんの箸の摘んだイカの刺身を食べる。


「うん。美味だ」


 なかなか新鮮なイカじゃなイカ。


「ほら、次は凡人さんの大好きな、サーモンピンク色です」


 俺は童貞なので意味がよくわからないが、あずささんの差し出したサーモンの刺身を食べる。


「こんぐらっちゅれーしょん」


 やっぱり、サーモンはうまい。安いし。


「凡人さん、よかったら、わたしのも食べてくださいませ♪」


 かすみさんからは赤貝が差し出される。うん、なんかこうして次々と差し出されたものを食べていると、餌付けされている動物みたいだな、俺。このまま飼育されるのか?

 ともあれ、その赤貝もおいしくいただく。


「ほんと、おいしいです。この貝ならではのコリコリした歯ごたえ。最高ですね」


 料理番組のコメンテーターか俺は、と思いつつ、いただけるものはなんでもいただく。不平等があってはいけない。


「ふふっ……凡人の間接キス、もーらいっ!」


 そう言って、まつりは箸の先をちゅぱっと咥える。


「い、いやああああああああああああああああーーーーっ!」


 なんてことするんだあああああああああああああっ!


「待て。ちょっと待て。いいから待て! 俺の唇、絶対に触れてないからなっ! 絶妙の咥え具合で、刺身だけ俺は食べた!」

「ちょっと、下唇触れてたもんっ!」

「い、いやあああああああああああっ!」


 なんでこんな羞恥心ないんだ、こいつはあああああああああああっ!


「なるほどっ、その手がありましたっ!」

「いや、ひなたちゃん、真似しちゃだめだっ。いえむしろ、やめてくださいお願いします」

「はむっ」

「うああああああああっ!」


 恥ずかしすぎて、俺はたまらず畳の上をのたうち回る。


「うるさいですね。別に、減るもんじゃないんですから、いいじゃないですか。ヒック……わたしたちにだって、キスのひとつぐらいしても……ブツブツブツブツ」


 あずささんの目が据わっている……。やさぐれモードだ。そんな、烏龍茶で酔っ払われても困るのだが……。


「うふふ♪ 凡人さんっ♪ わたしみたいなおばさんじゃ、だめですか……♪」


 そして、俺の太ももの上に、指で「のの字」を書きはじめるかすみさん。


「あ、おかーさん! 凡人はあたしたちの獲物なんだからぁ!」


 そんなこんなで、宴(うたげ)は盛り上がりに盛り上がったのだった(俺以外が)。



 宴は果てて、俺たちはいま「草枕」の前にいる。楽しい時間はあっという間で、いまは別れの時だ。あずささんもひなたちゃんも、そろそろ家に帰らなければならない。もう、夜の九時四十分を回っている。


 今夜は草枕に泊まっていけばとまつりとかすみさんは言ったのだが、ひなたちゃんは「おじーちゃんが待ってますから」、あずささんは「社務がありますから」と言って、譲らなかった。まぁ、無理強いできることではない。


「それでは、凡人さん、また明日ですっ」

「ヒック……まだ、勝負はついてないんですからねっ」


 ちょっとあずささんは不安だが……。まぁ、治安がいいから大丈夫だろう。ヘタな獣より強そうだし。


「それじゃ、またねっ」


 まつりが手を振って、あずささんとひなたちゃんも手を振り返す。

 明日また会えるというのに、別れの瞬間というのは寂しいものだ。


「明後日……あんた、向こうに帰るんだよね?」

「あ……ああ。なんも言わずに、家を出てっちまったからな」


 夏休み中とはいえ、書き置きだけ残して出て行ったんだから、騒ぎになってる可能性もないでもない。いや……その可能性はなしか。家庭環境的に考えて。


「凡人さんがいなくなったら、寂しくなりますわ……。本当はこのまま引き止めたいぐらいですが……」


 かすみさんにも、本当に世話になった。このまま世話になりっぱなしじゃなくて、なにか恩返しをしたい。それは、ひなたのじーさんもそうだ。もちろん、まつりと、ひなたと、あずささんにも。


 でも、俺がこの村でできることってなんなんだろうな。みんなして、子作り、と即答するだけだろうけど、それだけじゃやっぱり、人としてどうかと思う。


「向こうのことを片付けてきたら、また戻ってきます。そのときは、もっと色々と手伝わせてください。村のためにもできることはなんでもやります」


 最初は、軽い気持ちで、この限界村体験入村に申し込んだ。都会の暮らしが嫌になり、これから先のレールに敷かれた生き方に疑問を覚えて、ちょっとした気分転換のつもりだった。


 それが、まさかここまで意外な展開になるとは思わなかった。そして、俺みたいな人間がこんなに歓迎されるだなんて。


「ね……、ちゃんと、戻ってくるよね?」


 まつりが、俺の服の袖を掴んでくる。その力はいつものような馬鹿力じゃなくて、ちょっと動けば振りほどけそうなほどに弱かった。


「ああ、戻ってくるって」


 あのまま辛い記憶の残った家で息苦しい生活をしているより、田舎に移住したほうがいい。たとえ、将来、後悔する日がやってきたとしても、いまの俺はこの村でまつりたちと一緒にいたい。この気持ちだけは、揺らぐことがない。たとえ、将来、フラれたとしても。


「絶対だよ? 戻ってこなかったら、本当に怒るんだから! 東京まで行って、首に縄つけて、軽トラに乗っけて、村まで連れて帰るからっ!」

「お、おう……」


 まつりなら、本当にやりかねない気がする。


「まつりはああ言ってますが、高校を卒業してから、あるいは大学を卒業してから、それとも、無職になってからでも、大歓迎ですわ♪」

「俺も廃校に通って勉強しますよ。まつりとかと一緒に。問題は働き口ですけど」


「それなら、村長になっちゃえば? 村長、もうわしは年じゃ、とかいって、後継者探してたよ?」

「え、いや……俺になんて無理だろ。政治なんてわからんし。……そもそも、よくこの村、吸収合併されないよな?」


「あのじーちゃん、政府とすごいパイプ持ってるみたいで、特例で村を形成できるんだって。それに、頭もすごい切れるらしいから。たまに政府とか企業の偉い人が助言聞きにくるよ?」


 ううむ、そんなにすごい人だったのか……。人は本当に見かけに寄らないよな……。


「とにかく、衣食住の心配は大丈夫ですわ♪ まつりの婿にならなくとも、しっかり三食面倒見させていだきます♪」


 ありがたいが、それじゃニートな気がしないでもない。


 まあ、働かないで女の子と毎日遊んでていいっていったら、そりゃ桃源郷だろうが。それ、やっぱり、人としてだめすぎだろう。


「まだ若いんですから、焦る必要はないと思います。焦ると、わたしみたいに失敗しちゃいますから♪」


 そうやって微笑むかすみさん。この人も、過去に色々あったんだろうなと思う。まつりの年齢を差し引くと、十八歳で出産したってことになるんだしな。


「もうっ、凡人は子作りのことだけ考えてればいいのに!」


 なかなかそうはいかんわけでござるよ。

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