試されていた童貞、選ばれていた童貞

 思ったよりも神社で長居したこともあって、俺たちの帰宅は夕方頃になっていた。


「あら、凡人さん、まつり。お夕飯、できていますわ♪」


 エプロン姿のかすみさんが、にこやかに俺たちを迎えてくれる。こんな人が母親だったら、毎日家に帰るのが楽しそうだ。


 さて、問題は夕食。食堂に向かう俺の足は、わずかに震えている。昨夜の悪夢を思い出しているからだ。

 まさか、また舟盛りということはないだろうが……。


「おかーさん、今日のオカズは~?」


 昨夜俺にゲロをぶっかけたことを忘れたように、あっけらかんと訊ねるまつり。まぁ、いつまでも覚えていることでもない。水に流そう。吐瀉物だけに。


「今日はトンカツですわ♪ 明日は……アレですから♪」


 むう。また、アレか……。いったい、アレとはなんなのか。気になって、オカズが喉を通らないじゃないか。


 不意をついてブタの丸焼きでも出てくるんじゃないかと危惧していたが、出てきたのは普通のトンカツだった。千切りのキャベツが添えられていて、味噌汁には大根が入っている。


「それでは、召し上がれ♪」


 エプロン姿で、首をちょこんと横に倒して、とびっきりの笑顔を見せてくれるかすみさん。これでまつりの母親じゃなかったら、かなりドキッときているところだ。いや、やっぱりドキッときている。本当に三十五なのかっ。


「いっただきまーす!」

「いただきます」


 俺とまつりりは手を合わせて、食事をはじめる。


 今回は特にとんでもないメニューがあるわけではないので、つつがなく食事は終了した。いつも世話になりっぱなしは申しわけないので、かすみさんが断るのを押しきって、その後の皿洗いはさせてもらった。


 そのあとは、昨日は果たせなかった、くつろぎの時間。居間で、まつりと一緒にテレビを眺める。地方ローカルの、ゆるキャラが主役の商店街紹介番組だ。目をつけた店から食料を強奪しては紹介している。自由な番組だった。なんじゃこれは。


 そんなこんなで、よくわからない番組をまつりとぐだって見ている間に、夜も更けてきてしまった。まつりに続いて、風呂に入り(女の子のあとに風呂に入るという経験にドギマギしたが)、あとは寝るだけである。


☆ ☆ ☆


 二日目にして、ようやく正常な状態で夜を迎えることができた。綺麗にセットされたベッド。窓からは、ほとんど明かりのない限界村の夜を眺めることができる。


「本当に、明日はなにがあるんだろうな……」


 まぁ、なにも知らない俺としては、どうしようもないわけだが……


 ……と、そのときだった。

 ドアがコンコンと遠慮がちにノックされる。


「あの、かすみです。もしよろしければ、お話よろしいでしょうか?」

「え、あ……はいっ!」


 俺は慌てて返事をした。かすみさんが俺になんの用だろうか。


「それでは、失礼いたします。凡人さん、夜分遅く申しわけありません……」


 そう言って入ってきたかすみさんは、メイド服姿だった。


「なっ!? か、かすみさん、その姿は……」

「ちょっとまつりの真似をしてみました♪ すみません、似合いませんよね……」


 そう言って、苦笑するかすみさん。


「いや、むしろかすみさんのほうが似合ってます!」


 特に、まな板じゃない胸元が。実の親子とは思えないほどに、かすみさんの胸は豊かだった。


「お世辞でもそう言っていただけると、嬉しいですわっ♪ ふふ、優しいのですね、凡人さんは」

「い、いえ、お世辞だなんて滅相もない。ほんと、似合ってます……」

「うふふっ、ありがとうございますわ♪ それでは……、ベッドの横、よろしいでしょうか?」


 嬉しそうに微笑んだかすみさんが、ゆっくりと俺のほうへ近づいてくる。


「は、はいっ……い、いったい、どのような話でしょうか?」


 俺は、慌てて枕のほうに体を寄せる。……というか、べ、ベッドの横!?


「うふふ……♪ 緊張しないでくださいな♪ まつりに隠れてつまみ食いなんて、しませんから♪」


 意味深な……いや、もうこれそのまんまか……なことを言いながら、かすみさんは俺の横へ腰掛けた。


 それだけなのに、妙に緊張してしまう。緊張するなというほうが無理だ。

 間近で見るかすみさんの横顔は、とても美しい。


「……どうですか。限界村での生活は?」

「え、……ええ。おかげさまで、楽しませてもらってます」

「なにか不自由な点などありませんか?」


「とんでもない! 至れり尽くせりで、申しわけないぐらいです!」

「先ほどは食器を洗って頂いて、ありがとうございました♪ まつりでさえ手伝わないのに……本当、凡人さんは良い方ですね」

「い、いえいえいえいえっ!」


 無駄に自分の評価が高すぎて、俺はブンブンと首を振る。


「……ところで」


 それが本題なのか、かすみさんの表情が、わずかに真剣になった気がする。


「……気に入った女の子はできましたか?」


 不意にそう言われて、俺は絶句してしまう。


「別に気をつかわなくてもいいですわ♪ わたしは、まつり以外でもかまいませんから♪ あの子が聞いたら、怒るでしょうけど♪ うふふ♪」


 そう言って、かすみさんは楽しそうにクスクスと笑う。

 ……ううむ。なにが目的なのか、いまだに図りかねるが……。


 しかし、改めてそう言われると、俺は誰のことが好きなのだろうか……?


 いつも快活で、俺にフレンドリーに接してくれているまつり。

 クールでありながら変な発言も多いが、意外と気遣いのあるあずささん。

 そして、ちっちゃな体でせいいっぱい俺への愛情をぶつけてくるひなたちゃん。


 ……改めて一人を選ぶとなると、難しい……。


「うふふ……全員が好みなら、それでいいと思いますわっ♪ 全員が合わないとなったら、困りますけど……。もし、凡人さんさえよければ、わたしでもかまいませんけど♪」


 そう言って、かすみさんは俺の手の甲に、手のひらを重ねてくる。


「……っ!」


 その感触に、思わず俺はビクッとしてしまった。


「昔は……限界村にもそういう風習がありましたが、いまは時代が違いますものね……?」


 それは……まさか、噂に聞く……村の血が濃くならないために旅人とそーゆーことをするってやつだろうか。あわわ!


「でも……やっぱり、まつりたちに任せないといけませんわね♪」


 そう言って、かすみさんは自ら俺の手の甲に乗せていた手を引っ込めた。ちょっと残念な気持ちがあったのを、俺は認めざるをえない。


「……この村のこと、どこまで聞きましたか?」


 そして、かすみさんは次の話を切り出してきた。やはり、かすみさん自身も、この村の特殊性はよくわかっているのだろう。


「……昔、鉱山があって、儲かってたってことまでは」


「そうですか。……お金っていうのも難しいですね。あればみんな幸せになるかというと、そうでもない。いまでは、多くの村人が村を捨てて出て行ってしまいましたからね。……都会のほうが便利ですし、娯楽も……多いですから」


「で、でも……俺は、限界村好きですよ。俺の住んでいた都会なんかより、よっぽど、居心地いいです。それに、みんな……純朴というか……俺なんかにも、優しくしてくれますし……」


 都会の中では、俺なんか見向きもされない。こうして、女の子から話しかけられることもない。どうしてもイケメンやリア充ばかり、人生を謳歌している気がする。しかし、そいつらがこの限界村にやってきたら、どうなるだろうか? 


 やっぱり、俺なんかより、そいつらのほうが、まつりたちも気に入るんじゃないだろうか。……そう考えると、なんともいえない気分になる。


「……もっと、凡人さんは自信を持っていいですわ♪ まつりたちも、わたしたちも、人を見る目はあります。表面上だけ良い人というだけでしたら、とっくにお帰りいただいています」


「でも、俺なんかより、人格の優れた人間や好青年はゴマンといますよ?」


「きっとそういう方は、もてるでしょう? それだと、やはりだめだと思います。この村での暮らしをしていける方は、浮気性では困ります」


「つまり……俺はもてないから選ばれたんですか? この村でしか、もてないから、この村に居続けると?」


「それもあります。そして、子種神社のおみくじと、村長の判断……、そして、なによりも……あの子たち自身が、凡人さんを選びましたから」


「えっ、選んだって……でもっ……なんで応募した情報だけで、そこまでわかるんですか?」


 そうだ。名前と住所だけで、俺の顔だとか、性格だとか、もてないかどうかまで、わかるはずがない。


「……申しわけありませんが、いろいろと調べさせていただきました」


 なっ……!? まさか、探偵かなんかでも使ったのか? い、いつの間に……俺の個人情報がっ。


「他にも凡人さんと同年代の応募者も数十人ありました。中には、いわゆるイケメンといわれる方や、スポーツ万能・成績優秀の好青年風の方もいました」


「で、でも……まつりは若い応募者は俺だけだったって……」


「それは、あの子たちの照れ隠しでしょう。三人とも、イケメンや好青年は見向きもしませんでしたわ♪ 胡散臭いとかなんとか言って……」


 なんという意外な事実が……。たまたま一番若いから選ばれてたのだと思ったら、そんなにも競争率が激しかったのか。


「あの子たちは、純朴そうに見えて……意外と見かけに騙されない子たちですよ♪ わたしたちの代が、みんな男で失敗しましたから、反面教師になったのでしょう」


 そう言って、かすみさんは苦笑する。


「何度もあの子たちが迫ってきたのは、あなたを試すためだったんです。あなたが、その誘いに乗ってしまうような男だったら、とっくに帰宅いただいています」


「っ!? ……そ、そんな!」


 予想外の事実に、改めて俺は驚愕する。


「でも、途中からは、あの子たちは凡人さんのことを好きになっていましたね。娘が恋しているのは、母親であるわたしには、よくわかりますから♪」


 ちょっと羨ましいですね♪ と、かすみさんは乙女のように笑って付け加えた。


「でも……そのことを俺に伝えちゃうのは、まずいんじゃ……」


 まだ限界村体験入村は終わっちゃいない。このまま事実を教えなかったら、俺が辛抱たまらなくなって誰かに襲いかかってしまう可能性だってあったはずだ……いや、へたれな俺のことだから、その可能性はゼロに等しいか!


「凡人さんは紳士ですから、もう大丈夫だと思いました。その点に関する審査は二日目で終了です。あとは、凡人さんがこの村に住んでくれるかどうか……。もちろん、学業もあるでしょうから、大学卒業後でも構いません。仕事も、こちらで斡旋いたします。村の公務員から、うちで働くことまで、あるいは無職でも」


「……高校卒業、いや……夏休み明けとかからでも大丈夫ですか?」

「え?」


 はじめて、かすみさんの驚いた顔を見た気がする。そういう表情は、やっぱりまつりと瓜二つで。やぱり親子なんだなと思う。


「俺も……やっぱり、三人のことが好きです。そして、限界村のことも。かすみさんのことだって……」

「あ、あら……そんな、わたしのことはどうでいいです♪ でも、嬉しいですわ♪

あら、どうしましょう♪」


 そう言って、かすみさんは頬に手をやって、顔を赤くする。いや、これじゃ俺、軽い人間みたいじゃないか。柄にもないことを言ってしまった。


 でも、俺はやっぱり、この先も三人と一緒にいたいと思える。都会に戻っても、つまらない生活が待っているだけだ。この先の人生に充実した生活が待っているとも思えない。ただ漠然と大学に行き、社会人になって暮らすだけだろう。


 それになによりも、俺は三人とこれからも一緒にいたいと思った。そんなふうに思える村や人と出会ったのは、もちろん初めてだった。


 あとは……俺はあの家に戻るということが……どうしても辛かった。あの……辛い記憶が満ちた場所に……。


「……一度、手続きのため、戻りますが……必ず戻ってきます。そのときは、本格的に色々と手伝わせてください。民宿以外でも、やれることはなんでも」


 俺にとって、未知の経験だらけだろうが、まつりやあずささん、ひなたちゃんと、この先も一緒に生活できるのなら、それが俺にとって、一番の幸せなことだと思えた。


 ……やっぱり、誰か、一人を選ばないといけないのだろうか。そりゃ、昔はともかく、現代の日本は一夫多妻を認められていないんだから、そんなの一人に選ばなければいけないに決まっているし……。


「ゆっくり、決めていけばいいと思います。人生は急ぐものではないですから♪ 急ぐと、わたしのように失敗してしまいますから♪」


 そう言って、かすみさんは再び俺の手の甲に自分の手を重ねて、にっこりと微笑んだ。

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