ハイパー人工呼吸&心臓マッサージの練習タイム
そして……やってきたのは、白色のマットが敷かれた隅の教室だった。
「こ、ここでいったい、なにをやるつもりだ……?」
もうヒシヒシと……いや、ビンビンと嫌な予感がしている。
「それじゃあ、まずは凡人さんはそこのマットに寝っ転がってください」
「な、なぜに」
「特別授業ですから」
質問に答えてない。こいつら相手に無防備な格好をさらすのは、怖すぎるっ。いつ襲いかかってくるかわかったもんじゃない。しかも、こんな密室で。体操着で!
しかし、俺が抵抗しても力では絶対に敵わない。まぁ、ここで暴れても力づくになるだけか。俺は、しかたなくマットに仰向けになった。
「特別授業、なにやるんでしょう? わくわく」
どうやら、ひなたちゃんも、なにをやるかよくわかっていないようだが……。
「それは……これです」
そう言って、あずささんは懐からあるものを取り出した。
「ん? なにそれ?」
まつりは、それを見てきょとんしている。俺もだ。……ビニールっぽいものにプラスチックの笛みたいなのがついているように見えるのだが……なんだこりゃ?
「説明します。これは人工呼吸用のマウスピースです」
「は?」
……人工呼吸用のマウスピース……だと?
つまり、……あれか。事故などで怪我した傷病者が口から出血してる場合とかに使う感染症対策のマウスピースか?
「それでは、発情期の熊に抱きつかれたショックで心臓と呼吸が停止してしまったという設定の、哀れな田々野凡人さんに人工呼吸を施します」
「ちょ、ちょっと待て。そんなの人形でやれ、人形で!」
「予算が下りませんでした」
「だからって、生身の人間にやるか普通!? って、俺は心臓止まってないし、呼吸もしてるだろっ!」
「うるさい傷病者ですね。それでは、子種流柔術の絞め技で一度お花畑に行ってもらってから、人工呼吸しましょうか?」
「いや、それも勘弁だが……。ってか、そもそも、お前ら、いいのか? マウスピース越しとはいえ俺とキスするんだぞ?」
「これは健全な救命行為の練習ですよ?」
くっ……やっぱり、あずささんは手ごわい。こうなったら、まつりとひなたちゃんから攻めよう。
「なあ、ひなたちゃん、こんなのおかしいだろ?」
「楽しそうですっ!」
だめだこの子っ!
「な、まつり。お前なら、わかってくれるよな? こんなのおかしいよな? な?」
「人工呼吸、いざっていうときに、覚えておかないとだめじゃない!」
だめだ、論点がズレてるっ!
「さ、傷病者は傷病者らしく、おとなしくしていてください……」
「……うぽっ!?」
あずささんの手で、マウスピースを口に嵌められる。目の前にはビニールのようなものが広がっていて、向こうに息を吹き込む場所がある。
「それじゃ、ここはわたしから手本を見せます」
あずささんが俺の頭の横に、ちょこんと正座する。
「……えー、凡人さん、意識ありますか? ありませんね? そして、ああ、息もない。心臓も止まってる。これは一大事」
棒読みなので、まるで危機感がないが……。
「さて、ここで人工呼吸。でも、その前にやることがあります。はい、ここで質問です。まつりさん、それはなんでしょう?」
「えっ? あ、あたし……? う、うーん……。あ、わかった! ビンタをして生き返るかどうか試す!」
「間違いです。こういう場合、頭を揺さぶるのは禁物です。トドメを刺してどうするんですか」
「あ、わかりましたっ」
今度は、ひなたちゃんが手を挙げる。
「はい、ひなたさん」
「死んだふりをしていないか確かめるために、いろいろなところをくすぐります!」
「それも、間違いです。まぁ、それで生き返ったら面白いとは思いますが。正解は……これです」
そう言って、あずささんは左手で俺のおでこを、そして、右手で顎に手を当てて、クイッと上を向かせる。
「気道確保です。……こうしないと、せっかく人工呼吸をしても、空気がちゃんと送れません。あ、その前に口の中に血がある場合もあるので、まずは先に顔を横に倒して、たまっている血を外に出すというケースもあります」
くっ、意外としっかりした特別授業をやっていやがる……。これは非の打ちようもない健全な講習だ!
「そして、いよいよ人工呼吸です。空気が逃げないように、相手の鼻を摘みます」
「ふ、ふがっ……!?」
言葉のとおり、マジで俺は鼻を摘まれた。……ってか、本当に実践するのか、人工呼吸!?
俺の気持ちを知ってか知らずか……あずささんは唇を近づけてくる。うわ、うわわ……!
「大きく息を吸って、細長く息を送り込んでいくのがコツです……すうううぅう……」
胸を膨らませて空気を吸い込んだあずささんが、マジでマウスピースを咥えて俺の気道に空気を送り込んできた。
(うおおおおおおおおおおおっ!?)
なんという状況だっ!? マジで人工呼吸するとはっ!?
……と、思いきや、ほんのちょっと空気が入ってきただけで終わった。いや、それでも、女の子の息を直接喉に入れられるなんて、普通じゃありえない行為だが。
「……と、まぁ、呼吸が止まっていない相手に人工呼吸をやると危険な場合もあるので、ちゃんとはやりませんが」
「ぶはっ、びっくりしたろうが……」
俺は、マウスピースを吐き出して、抗弁する。
「あ、ですから、傷病者は寝ててくださいよ。次は心臓マッサージについて講習するんですから」
「ええい、もうこんなの耐えられるかっ!」
「んじゃー、今度はあたしが傷病者役やる!」
そう言って、まつりがマットに根っ転がる。
「それでは、今度は心臓マッサージについてです。本当は、人工呼吸をして、すぐに心臓マッサージ、また人工呼吸……というふうに繰り返します。それでは、凡人さん、まつりさんの胸に手を置いてください」
「な、なんで俺なんだぁあっ。女の子同士でやればいいだろおおっ!?」
「一秒を争う現場では、男も女も関係ありませんよ?」
くそう、いちいち正論だから困る!
「ほら、早く心臓マッサージしなさいよ!」
「いや、それこそ、心臓動きまくってる人間にやることじゃないだろ」
「それはそうです。なので、振りだけしてください。位置はですね、この……真ん中の、へっこんだあたりです。まつりさんは貧乳ですから、わかりやすいですね」
「ちょ、胸のことは言うなー!」
まぁ、まな板だから、乳房に触れる危険性はないのは、確かだ。これなら……俺も良心の呵責を感じない。そうだ。目の前にあるのはおっぱいではない、まな板だ!
「ふぅ……ええと、ここに手のひらを置くんでしたっけ。で、もう一つの手を重ね合わせて、リズムよく十五回ぐらいマッサージする、と」
「そのとおりです。よくわかってるじゃないですか。さすが保健体育の教科書の中身が全て頭に入っている男ですね」
「だから、それは誤解だっての」
にしても、だ……。
こうやって手を置くと……、マジでまつりの心音が感じられるのな。なんか、俺までドキドキしてきてしまう。
「わ、……わかる? わたしの心音」
「ああ……。わかる。けっこう早いな」
「そ、そう……? うん、ちょっとドキドキしてるかも……」
そう言って、まつりは顔を赤くして俺のことを見てくる。
ああ……こうやって、女の子を見下ろすというのも新鮮な気分だな。昨夜は、逆の立場だったが……。そして、そのあとすべてぶち壊しになったが!
「ですから、わたしたちの前でいい雰囲気になるのはやめてくださいってば」
「そ、そうですよっ。ずるいですっ」
「……べ、別にそんなつもりはなかったぞっ」
慌てて俺は、まつりから手を離す。
「あっ、もう……ちょっといい感じだったのに~」
やっぱり、まつりも俺に気があるんだよな……。まぁ、三人で俺のことを取り合っているんだしな。
「まったく、ちょっと妬けますね。まつりさんみたいな活発なタイプが好みなんですか、凡人さんは」
「い、いや、それは……だな」
実際、どうなんだろう。この中で、俺がいちばん好きな女の子は……。って、まだここへ来て二日でそこまでわかるかっ。
「正直、まだわからん! ってか、本当に俺でいいのか、お前ら!」
あまりにもモテすぎて怖い。やっぱり、なにか裏があるんじゃないかとか思ってしまう。
「わたしは、おみくじの結果に従うまでですから」
「ひなたは、やっぱり運命を感じます!」
「え、だって……村の風習だし」
やっぱり、説得力にかける答えしか返ってこなかった。
正直、俺以外でもいいんじゃないのか?と思わないでもない。こんなにかわいくて、積極的な女の子なんだから、いくらでも嫁に来てほしいと思う人はいるだろう。
「ま、これから挽回のチャンスもあると思いますしね。ひなた、がんばりましょう」
「はいっ、まつりさんには負けませんっ」
「もうっ、共同戦線張んないでよ~。こいつ、押しに弱そうだから、どうなるかわかんないし」
押しに弱くて悪かったな……。まぁ、なんにしろ。こうして女の子に好かれるということは、悪い気持ちじゃない。
人生十七年、こんなふうにモテた試しはなかったからな! せいぜい満喫しておこうではないか。
「それじゃ、そろそろ帰りのホームルームをしましょう」
「早いな、おいっ」
三時限目で終了か。いい学校だ。
「ま、そのあとは課外授業みたいなものですけどね」
「えっ、今度はなにをするんだ?」
「教室で説明します。」
これ以上なにをするのかはわからないが、俺はまつりたちと一緒に、最初の教室へ戻ることにした。
「……って、その前にトイレいいか?」
「あっうん。そこの廊下曲がって、左」
「おっけー。わかった。先戻っててくれ」
考えてみれば、朝からずっとトイレ行ってなかったからな。用を足したくなるのも道理だ。
小走りで男子トイレに入って、さっそく用を足そうとしたときだった。
「ぐあああああっ!? 俺っ、ブルマじゃん!」
女子のブルマを穿いて用を足すだなんて、マネは俺にはできない。
そもそも、当然なことながら、アレを出すところがない。全部下ろしてから用を足すなんて、俺の中のプライドが許さない。
……結局、一度教室に戻って服を着替えてから、用を足す俺だった。
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