地球は偉大だ。きっと人間的に一回り大きくなれる



 わたしは恋する充電プリウスです。



「なるほどな」

 ジョナサンの向かいの席で、わたしの話を聞き終えた青木くんは静かに一言、そう言った。

 猛烈な勢いで若干支離滅裂でテンションだけが高いメールをわたしに送り付けられた青木くんは、また短く

 ――放課後駅前

 と返信してきて、授業の終わった放課後、こうしてわたしと一緒に駅前のジョナサンでドリンクバーをしてくれているのだった。おまかせ下さい人間関係のトラブル。24時間迅速対応。

「ごめんね、なんか急に呼び出したみたいな感じになっちゃって」

「いや、まあメールだと委員長のテンションが高すぎていまいち話が分からなかったしな。会って話をしたほうが早そうだと思った。委員長、メールだと全然キャラが違うんだな」

「あ、いや。別にそういうわけでもないんだけど」

 キャラもなにも、そもそも普段誰かとメールをやりとりする習慣というのじたいがあまりないので、どういうキャラもないと思うんだけど。最初のメールは唯に言われた通りに打ったから妙にテンション高いし、その次のメールは唯とのことがあって混乱の渦中だったからまたテンション高いしで、青木くんから見ればそういう認識になってしまうかもしれない。なんだか急に、すごく恥ずかしい。

「まあ、いいさ。ライブ見にきてもらった借りがあるしな。なにを言えるってわけでもないけど、話を聞くぐらいは」

 青木くんはそう言って、フンッと鼻から息を吐く。ひょっとしたら、笑ったのかもしれない。例のあの素直な笑いかたじゃなく、硬い防御を思わせる笑いかただった。また、遠のいてしまったなって、わたしは少し思う。

「わたし、自分でも気づかないうちに唯になにかしてたのかな。唯に悪いこと、しちゃってたのかな」

 コーヒーカップを両手で包み込むようにして、黒い液面を眺めながらわたしがそう言うと、青木くんは「俺はその唯って子のことはコウの彼女としてしか知らないから、確かなことは言えないけど」と断ってから、話し始めた。

「それはたぶん、委員長が悪いのでも唯って子が悪いのでもなくて、コウが悪い。なにもかも、アイツが中途半端で自己中心的なのが悪いんだ。そういう話だとは思う」

 なんでここに北島くんの名前が出てくるのか、わたしは意味が分からなくて「は?」と言ってしまう。その「は?」が思いのほか強く響いてしまって、わたしはまた言ってしまってから恥ずかしくなる。

「コウとうまくいっていないんだろう。だから、要するに八つ当たりではあるんだろうな。たぶん、委員長が気にすることじゃない。その、唯って子と、コウの間の問題だ」

「え、待って。北島くんと唯がうまくいっていないのが事実だとして、それでなんで唯がわたしのこと無理になるの?」

 友達というのはそういう時、相談に乗ったり、励ましたりするものなのではないだろうか。唯が困っている時、つらい時、きつい時、わたしではそれを和らげる助けになれないのだろうか。頼ってもらえないのだろうか。わたしは……唯に友達と思ってもらえて、ないのだろうか。

「つまりだな」

 と、青木くんは一度コーヒーカップに口をつけて、聞き分けのない子を諭すように、ゆっくりと話す。

「コウが好きなのは、委員長。アンタのほうなんだよ」

「え? なにそれ。ないない。ないよ。ない」

 まるで真犯人を指摘する名探偵のように、端的にそう言った青木くんの言葉を、わたしはコンマ秒以下で否定する。ないない。ないないないない。両手と首を同時にブンブンと振って、全力でないを表現する。

「決めるのはアンタじゃないだろ、委員長。それはコウの問題だ。それで、俺はコウの友達なんだ。アンタよりはまだ俺のほうが、コウのことは分かってる」

 青木くんはそう言って、ゆっくりと首を振る。わがままを言う子供を根気強く言い含めるように、話を続ける。

「まあ、ロクでもないやつだけどな。友達なんだ。中学の途中からだから、それなりに長い」

 そういう導入で、長い長い、青木くんと北島くんの出会いの物語ははじまった。

 中学の頃、青木くんはグレていた。そのころ既に音楽に熱中し、ドラムに夢中になっていた青木くんにとって、同級生たちのするテレビの話やJ-POPの話題などはすべてが子供じみていて下らないことのように思えた。青木くんは学校が終わるなり電車にのって市内に出掛け、イヤホンを耳に突っ込んでヘビーメタルを聴きながら(そう、この当時青木くんがハマっていたのはアフリカ音楽ではなくヘビメタだったのだ)レコード屋なんかをひやかして回っていた。まだ中学生なのでお金は全然持っていなかったけれど、そういったお店に出入りしたり駅前でボーッと日がな一日座っていたりすると、不思議と同じような趣味を持った友人ができていった。大抵は青木くんよりもずっと年上で、そして一般的な尺度で考えるならば、それはロクでもない人たちばかりだった。

 青木くんがそういった場所に自分の居場所を見つけたかと言えばそうでもなく、相変わらず青木くんには全ての人間がまるで馬鹿のように見えていた。ただ、同じ馬鹿にしても、音楽という共通項を持つ人たちの中に居たほうが、まだしも中学の同級生たちに囲まれているよりは気が楽に思えた。その程度のものだった。

 その日も、青木くんは学校が終わるなり市内に出て、繁華街の公園でなにをするでもなくボーッと座り込んでいた。その頃には同じように公園でボーッと座り込んでいる人たちとも多少面識ができていて、顔を合わせると話をしたりはするようになっていた。とはいえ、それはお互いに顔と名前ぐらいしか知らない程度の、希薄な関係性であった。

 どこか行こうぜ、と誰かが言った。

 青木くんは、金がない、と端的に問題点を指摘した。

 どこに行くにしたって、誰もお金を持っていなかった。だからどこにも行けなかった。ただそこに座っているぐらいしかできない。そのようにして、ただボーッと座っているだけで日々は流れていく。そういうものだったのだ。

 じゃあ、俺ちょっとカツアゲしてくるわ、と誰かがごく気楽そうな調子でそう言った。

 その発案を、青木くんは馬鹿げているとは思ったけれど、特に止めることもしなかった。相変わらず、ただボーッと座っていた。おお、ぐらいの返事はしたかもしれない。

 やがて視界の隅で、その誰かが通りすがりの誰かに声を掛けた。その光景が遠くに見えていた。カツアゲしてくるわ、と言った誰かが、逆に声を掛けた相手にボコボコに殴り返されているのも青木くんに見えていた。

 やれやれ、と青木くんは思った。

 さすがにこれは、無視するわけにもいかないだろう。そう考えた青木くんは立ち上がり、ゆっくりと歩いていって、今まさに顔見知りをボコボコに殴りまわしている通りすがりの誰かさんに声を掛けた。

 おい、もうそのへんにしておけよ。

 そう言って、誰かさんが振り上げた拳の、手首のあたりを握ったところで、その誰かさんの反対側の拳が青木くんの顔面目がけて飛んできた。

 研ぎ澄まされた反射神経でそれを紙一重でスウェーしてかわした青木くんは、気が付いた時にはその誰かさんを思いっきり拳で殴りつけていた。

 日々のドラムの練習(それも激しいヘビメタのドラムスだ)で無暗に腕力が鍛えられていた青木くんの放ったストレートは、見事ドンピシャに誰かさんの顎を捉えていて、脳を揺すられた誰かさんはよろめいて膝を地面についていた。その隙に、最初にカツアゲをすると言っていた誰かさんも、とっくに逃げ出してしまっていた。

 人目が集まりだしていた。しかし、すっかり頭に血が昇ってしまっていた青木くんは、さらに追撃をかけるためにしゃがみ込んでしまっている誰かさんの襟首を掴み上げ、拳を振り上げた。

 その手を止めたのが北島くんだった。

 なにやってんだよ、逃げるぞ。

 北島くんは青木くんにそう言った。逃げる、という発想が完全に抜け落ちていた青木くんのカッカした思考回路に、急に逃げるぞという単語が飛び込んできた。逃げる。その選択肢を検討してみる。そうすると、これはどう考えてみてもそうすべき状況だった。早く逃げたほうがいい。思い至ってみると、なぜそんな簡単なことも思いつかなかったのかと思えるほど、それは自明のことだった。

 そのようにして、青木くんと北島くんはふたりして走って逃げた。タイミングよく青信号だった幹線道路をふたつ跨ぎ、繁華街を抜け人気の少なくなった高速道路下の広場まで走ったところで、ようやく北島くんは足を止めた。ふたりとも息が上がっていて、とても話ができる状態ではなかった。

 ふたりは無言のままでベンチに座り込み、ただひたすら俯いて呼吸を整えていた。同じ広場の片隅で、誰かがギターのような奇妙な楽器をかき鳴らしていた。大道芸をやるにしては、人通りが期待できそうにない場所だと青木くんはすこし思った。やがて、呼吸が落ち着いたころに、北島くんが近くの自販機でコーラをふたつ買ってきて、また無言のまま、そのうちのひとつを青木くんに差し出した。ふたりは黙ってコーラを半分ほど一気に飲み下し、それからまた長い時間、誰かが弾いているギターのような奇妙な楽器の音色に耳を傾けていた。

「お前さ、もうグレんのやめたほうがいいよ」

 唐突に、北島くんがそう言った。この時、青木くんは北島くんのことを、同じ中学の同級生だと認識してはいたけれど、こうして言葉を交わすのはこれがはじめてのことだった。

 青木くんが(こいつはいったいなんなんだろう?)という根本的な問題を考えている間に、北島くんはまた「向いてないよ」と、短く言った。

「お前からすればみんな馬鹿に見えちゃってるのかもしれないけどさ、それで余計に馬鹿の中に混じってどうするっていうんだよ。俺たちまだ中学生なんだからさ。高校行こうぜ。そんじょそこいらの高校じゃダメだ。頭のいい高校だ。頭のいい高校に行くんだ。頭のいい高校にいけば、もう少し頭のいい奴らも、たぶんいる」

 そんな風に一方的に話す北島くんのことを、青木くんは相変わらず(こいつはいったいなんなんだろう?)と思いながら見ていた。

「こんなところで、こんなことやってる場合じゃないだろ、俺たちは」

「お前こそ、こんなところでなにやってたんだよ」

 言われっぱなしなのがなんだか癪に触って、いろいろな疑問を捨て置いたまま、青木くんは北島くんにそう言った。

「俺? 俺は女とデートしてたんだよ。そしたらお前がなんか知らんやつをボコボコにしかけてたから、こりゃさすがにまずいと思ったわけ。あ~、女の子ともはぐれちゃったし、ドン引きだろうな~」

 さてこれはどうなるかな~なんてことを言いながら、北島くんはコーラの残りを一気に飲み干して、それをブンと放り投げた。大きな放物線を描いて飛んだ空き缶は、ゴミ箱の縁に一度当たって跳ね、そのままゴミ箱の底に吸い込まれていった。

「見たか今の? ツイてるな。ツキがきてるよ。俺たちにツキが回ってきているんだ。こういうときは流れを逃しちゃいけないんだよ。今からはじめよう。ナウだ。今この瞬間からはじめるんだ。もうお前は、グレてる場合じゃない」

 よしっ! とガッツポーズを決めて、北島くんは弾けるような笑顔でそう言った。どこからどう見てもどのような種類の悩みも抱えていなさそうな気楽さで、青木くんには彼のことがまるっきり馬鹿のように見えていた。というか、青木くんの中では(ああ、要するにこいつは馬鹿なんだな)と、この時点で結論付けられていた。

「はじめるって、なにをだよ」

 なにもかも、説明をすっとばして勝手なことを一方的に喋るだけの北島くんに青木くんはイラついて、でもイラつく以上になんだか面白くなってしまって、そんなことを聞いてみる。

「音楽だろ? お前は音楽が好きなんだ。知ってる。でもさ、ヘビメタとか聴いてるからそんな短絡的でカッカしちゃうんだよ。音楽に支配されてしまうんだ。違うだろそうじゃない。お前が音楽を支配するんだ。そうじゃないとダメだ」

「よく俺がヘビメタ好きとか知ってたな」

「音量デカすぎんだよ。音漏れも音漏れ、もうダダ漏れだっての。てゆーか、いまどきスレイヤーはないだろいくらなんでも。もうちょっとオシャレなのとかほら、いろいろとあるだろ?」

 自分の趣味を真っ向からdisられて、青木くんはさすがに少しムッときたけれど、それはそれとして、最近ちょっとスレイヤーとかに対してもちょっと違うなとは思いはじめていた頃合いだったので「だったらどういうのだったらいいっていうんだよ?」と問い返してみた。ひょっとしたら、こいつはこう見えて音楽に詳しいのかもしれない。俺の音楽の新しい扉を開いてくれるヤツなのかもしれない。

 ツキが回ってきている。その言葉を、少し信じてみてもいいような気もした。

「ん? ほら、たとえばさっきからあっちで変な楽器演奏してる、ああいうのとかさ。ヘビメタみたいな短絡的なのじゃなくて、もっとああいう、大地のグルーヴとかそういうのを感じたほうがいいんだよきっと。地球は偉大だ。きっと人間的に一回り大きくなれる」

 北島くんはそう言って、顎で広場の対面の、ギターにちょっと似た奇妙な弦楽器をかき鳴らしている誰かさんのほうを指し示した。青木くんはそう言われてみてはじめて、その奇妙な楽器を鳴らしている奇妙な男に目を向け、さっきからずっと鳴っていたはずの、耳に届いていたはずの奇妙な男の奇妙な音楽に、注意して耳を傾けた。

 直感的に、コレだと青木くんは思った。その時既に、そう思っていた。男が鳴らす、その奇妙なメロディーラインに合わせて、ドラムを叩いている自分が鮮やかにイメージできた。耳に聞こえる音楽と、頭の中で鳴り響く自分のドラムのイメージが、完全に溶け合っていた。

「お前の言う通りだ」

 青木くんはそう呟くと、コーラの残りを一気に飲み下して空き缶を潰し立ち上がった。音楽を奏でている奇妙な男を見据え、コーラの空き缶を一度おでこにつけ、願を掛けてから、それを放った。

「ほらな、ツキが回ってきてるんだよ」

 果たして、青木くんの投げたコーラの空き缶はどこにも当たることなく、吸い込まれるようにゴミ箱の底に消えていった。

「ちょっと、喋りかけてくる」

 このようにして、青木くんは後に一緒にバンドを組むことになるマリからの留学生、ベンデレ・ハミドゥと出会ったのだった。

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