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10時31分発空港行き。この電車に乗れたのは奇跡に近いとすら思う。
出発駅は非常に複雑なことで有名な駅だった。なにしろ、同じホームに別の場所行きの電車がひっきりなしにやってくるのだ。
平日のこの時間なのに、車内はかなり混んでいた。空港行きというだけあって、大きな荷物を抱えている人や、外国人も多い。日本人は電車では静かにしている人が多いからか、車内で飛び交うのは異国の言葉ばかりだ。
進行方向を向いた1人席は自分だけのための空間のようで、外敵から守られているような気さえする。だが、心細い気持ちはそう簡単には消えてくれそうになかった。車窓は青みがかっていて、昨日まで住んでいた東京のそれとは違う。たったそれだけのことで、ずいぶんと遠くに来てしまったかのような感じを覚えた。降りる駅は空港駅のひとつ手前、焼き物で有名な街だ。
引っ越し、転校、新生活。
今までの環境が一気に無になって、もう一度全てを始めなければならない。考えるだけで憂鬱だ。
そもそも、こんなことになった原因はというと、父の海外赴任にある。
僕の父は、一流メーカーに勤めている。頭脳明晰、語学堪能、アグレッシブを兼ね備えた、いわゆるエリートだ。そんな父に海外赴任のお鉢が回ってきたのは、ある意味当然とも言える。
「アメリカに行くことになった」と父に聞かされたとき、僕は呆然とした。
これに対し、間髪入れずに「わたしも連れてって!」と叫んだのは小学生の妹、岬だった。岬が行くと言うならば、もちろん母も行かざるをえない。というのは後で冷静になってから気づいたことである。
「誓はどうする?」
こちらを伺うようにして尋ねた母の声で、ようやく事態が飲み込めた。だけど、慣れない海外に住むか、家族と離れて日本に残るかなんて、すぐには決められなかった。
「僕は…そんな…」
「そうだよな!誓ももう高校生だもんな!急にアメリカなんて言われても困るよなあ。残ってもいいんだからな!」
よほど困った顔をしていたのだろう僕に、父はそう言った。
そうじゃない、僕は日本に残りたくて困っていたんじゃなくて、すぐに決められなくて困ってたんだ、というタイミングを、なんとなく逃してしまった。
そしてあれよあれよと言う間に話は進み、心配性の母が、「でも誓ひとりでは心配だから誰かに預かってもらえないかしら」と言い始めたあたりで、僕は自己主張をすることを完全に諦めた。
進んでアメリカに行きたいわけでもなかったし、決めてもらえてありがたいぐらいだった。今は少し後悔し始めているけれど。
こうして、父の海外赴任の間、僕は父の弟の家族と共に暮らすことになったのだった。
僕の出発とほぼ同時に、3人は空港に向かった。
そろそろ飛行機に乗ったかな、と窓の外から見える低空飛行の飛行機を見て思う。
胸がちょっとだけシクシク痛んだ。
ピンポンピンポン、とドアの開く音と、ご乗車ありがとうございましたのアナウンスに見送られて、僕は新しい僕の街に降り立つ。
空はカラッと晴れて明るい。
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出してみる。
少し、心も晴れやかになる。
この街に住むのも、きっと3年ぐらいだ。
その間は、楽しく過ごせますように。
「どうぞよろしくお願いします」、と口の中で小さく呟くと、自然に笑いが込み上げてきた。
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