ネット袋叩き所謂炎上

情報公開が容易になった昨今では、ふとした事で大騒ぎに発展してしまうことが珍しくなくなってきました。

ネット上で起こる騒動を大まかに「炎上」と表現するのですが、これって誰が始めるのですかね?

当事者同士の問題をネットにアップしたことで炎上に発展する事もあり、ネット上で活動してるなかの不手際で炎上することもあり、政治上の問題、記事の内容、生活の不満‥など例えきれない数の火種がごろごろしてます。


しかしながらこれらは切っ掛け(火種)に過ぎず誰かが空気を送り込んで火を大きくしなければ、なかなか延焼しないのではないでしょうか?

現実で考えるとなかなかシュールです。

例えばあなたは見ず知らずの人に話しかけられて「こういうことがあってこの人が悪いから何か言いたいことはないか!?」と問われて相手にするでしょうか?

ネットの炎上問題に現実の例えはナンセンスかも知れませんので、私ならどう反応するか書いてみようと思います。

顔を付き合わせて人の悪口を聞かされて同意または意見を求められる状況はろくでもないのでその問題には関わりません。

以上、こんなものじゃないでしょうか人や物事への興味って、いちいち関わるエネルギーもなかなかありませんよね、他の大切な趣味ややりたいことに時間を使うほうが有意義に感じます。


やはり私の貧弱な発想力では現実で炎上騒ぎはよっぽどでないと起こり得ないと結論します。

となれば火種(切っ掛け)空気(関わる人)燃え続ける元(問題)はネットでは揃いやすいのだと考えます。

なぜネットでは簡単焚き火セットが業火になるのでしょう?これも私なりの考えを書いてみたいと思います。

まず、ネットの出来事なので現実でのリスクが薄れるように錯覚できます。これは悪口が言いやすくなり世間体を気にせずに相手の人格攻撃が容易にできます。

言い訳の豊富さも魅力ですね、一度は言ったことがあるのではないでしょうか「あいつもやってたから」「あの人もそう考えてたから」「そう言ってたのを聞いたから」行動は正当化できなくても、自己を正当化できる言い訳が思い付く限り存在しています。

それに付随して悪意と罪の分散も数の力を得ることができます。とても優秀な例えで「赤信号皆で渡れば恐くない」これも耳にした事がある人は多いのでは?赤信号を何千何万で肩を組んで歩けば「自分は無事に渡れる」と根拠のない安心感が得られます。

ここまでで充分でしょう、ネットでの炎上は罪の意識が薄まる集団意識が原因です。


叩きやすさや文句の言いやすさ、誹謗中傷人権侵害差別がお手軽に行えるネット炎上はついつい弱い気持ちに流されがちになってしまいますが、少し深呼吸してみて本当に自分がその問題に関心があるのかその人や当事者の事を深く詳しく知りたいのか、軽い気持ちで文句を言う価値が自分にあるのか考えてみたうえでリスクを背負いこむ方がカッコいいと思います。


ネット袋叩き、一度自分でもゆっくりと考えてみて俯瞰して考えると面白いかもしれません。

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