第12話:落胤と中毒美少女




「潰されるのは貴様だクソ野郎!」


 ぎらり、とルーファスの瞳が輝き、紅に染まった。

 刹那、何かを蒔いたあたりの地面が波打つように隆起する。

 固いコンクリートの下であれが蠢いているのだ。


 隆起は蛇行しながら僕へと照準を定める。

 一瞬のことだった。間欠泉から吹き上がる熱湯の如く地面を突き破り、それは姿を現した。


 鋭い棘を纏った、赤い茨が。


「くっ……」


 吹き上がった逞しい茨は僕を拘束し、自由を奪う。

 磔刑の出来上がりだ。


 あーあ、懐かしくて吐き気がする。


「オイオイオイオイ。簡単に捕まってんじゃねぇよ。つまんねぇな!」


 目をすがめたルーファスはじりじりと僕に詰め寄る。


「昔を思い出すなァ?」


 下卑た嘲笑に思わず眉を顰めた。

 茨の棘が食い込み、服にところどころ黒色が滲んでいる。


「無様に逃げるお前をこうやって半殺しにしてやったの、覚えてるかァ? 窓から突き落としたのも、道路に突き飛ばしたのも、腹を貫いたのも。覚えてくれてるよなァ?」


 覚えている。あの痛みも、惨めな感情も、拷問染みた学生生活も。


「俺は穢れた人間が心底嫌いでなァ。誰にでも股を開く女のガキなんかと一緒に仲良くお勉強できるかっての。大方出世のために適当に抱かれた野郎のガキなんだろ? あぁーあ、気色悪い。これだから淫乱ババアは不愉快なんだ。虫唾が走るんだよ! 手前がいるせいで学校の質も位もダダ下がりじゃねぇか。物乞いして暮らすべきクソ劣等種が。ほら、あの時みたいにみっともなく、やめてください! 助けてください! って泣いてみろよ? なァ!?」

「あ、ぐぅっ……」


 棘を突き立てたまま茨が身体を這う。肉が抉れて激痛が走った。

 痛い痛い。わかっていたけど、やっぱり痛いものは痛い。

 ガラス片よりずっと痛い。


「なァ!?」


 唾がかかる距離で、乱暴に胸ぐらを掴まれた。

 今更だけど、彼はこれっぽっちも変わっていない。


 ルーファスの法力は植物の成長を促す、というのもだ。

 本来なら可憐な花を咲かせたり、作物を健やかに育てる地味な法力である。しかし、ご覧の通りルーファスは悪い方向にばかり力を使っている。

 先ほど蒔いたのは薔薇か何かの種子だろう。花を咲かせず茨だけを人の手首程の太さに成長させて対象者を拘束し、傷つける。

 昔からの常套手段だ。


「ここで貴様を殺せば計画はつつがなく成功する。俺は神王を蹴落とし、新たな王となるんだよ。聖都が俺にかしずき、ひれ伏し、跪く! 今や聖都民の半数以上がグルナード製品の使用者だ。とうに種は蒔き終えた!」


 蒔いても芽を出さなければ意味はない。

 それにしても、こいつこんなに身長低かったっけ。

 昔は僕の方がチビだったのに、いつの間に逆転したのやら。

 身長差に気づけないくらいには地獄だったんだろうな。


 ルーファスを含む数多の学友には入学から卒業まで虐げられ続けた。

 唯一仲が良かったのが共に地獄にいたキース先輩だ。

 だけど、一歩学校から出れば姉さんたちが遊んでくれたし、護ってくれた。

 彼女らがいなければ僕は十代で高層ビルから飛び降りていただろう。


「知ってるか? グラナタスには依存性がある。常用者が急に使用をやめれば離脱症状で異端症候群を誘発し、この世からおさらばだ。不治の病で命を落とすか、俺に従うか。どちらの選択肢を選んだにせよ、待っている結末は変わらない! 口を開けた末路は書き変わらない! 暴かれたところで解決策がないんならどうしようもないだろうが」

「う、あ……」


 ぎちぎちと茨に絞めつけられる。

 あきらさまに目が血走っていた。随分興奮していらっしゃるようだ。


「お前に何ができる? 俺の法力に抗えず無様に死にゆくお前に!」


 赤い茨が肉を抉り、血を啜っている。

 シミは広がり続け、神官服の色が変わりつつあった。

 今年の夏はよく服がダメになる。


「俺はアンフィニだ。無能どものように操れねぇぞ?」


 無知とは恐ろしい。

 ここまで威勢よく勝ち誇られるともうコメディみたいだ。


「――僕、最初に言いましたよね。本日は真理士としてグルナード社にお邪魔した次第です、って」

「だからどうした」

「あなたは真理士がどういったものかご存じないようですね。真理士は神王に絶対的忠誠を誓う者。真実を述べる者。権力に逆らう者。あるいは権力を振りかざす者。一年に一度神王に謁見を許される、滅多にない資格です。そして、資格合格者には神王からある力が授けられます。……アンフィニを凌駕する、アンフィニの力を」

「凌駕だァ?」


 胸ぐらを掴んでいた手が離れた。


「ええ。あなたがアンフィニだろうがアンフィニでなかろうが関係ないんですよ。真理士は神王以外のありとあらゆる生物に精神感応の法力を発揮できるんです。例えば、こんな風に」


 時は来たれり。

 復讐はここからだ。

 僕はルーファスの扉に干渉した。


「なっ!?」


 たちまち四肢や胴を絞めつけていた茨が緩み、磔刑は解除される。

 僕は乗っ取った茨をしならせ、狼狽えるルーファスを後方へ吹き飛ばした。

 見事に吹っ飛んだ身体はトラックドック内の積荷の山に激突する。


「あはは! 面白くないなぁ。まるで手ごたえないじゃないですか。わざわざ射程距離に入っちゃうなんてバカみたいですね!」


 いや、こいつは正真正銘のバカだったっけ。僕よりずっと成績も悪かったし。


「あーおかしい! まさかですけど、僕が精神感応系って知りませんでした?」


 深紅の茨は配下に下った。自由は奪った。

 勝敗はあっけなく決まってしまったのだ。


「ほら、逃げないんですか?」

「がっ」


 荒波のようにのたうち回る茨は、崩れ落ちたルーファスを磔に処する。


「精神感応系は他者の心を読む法力です。高位の力になれば深層心理や過去の記憶すらもお見通しなんですよねぇ。もーっと高位、つまり真理士のレベルになれば精神破壊や操作すらもお茶の子さいさい。僕は全ての精神階層につながる扉のマスターキーを持っています。このマスターキーで法力を操る精神階層に介入すれば、ご覧の通り。操作権限を強奪し、乗っ取れちゃうんですよ」

「ぐ、あっ」

「無策のまま、のこのこ姿を現すとでも思いましたか?」

「うっ、やめ……!」


 うわぁ、顔を道化師みたいに歪ませて。

 ほんと、嗤っちゃうなぁ。滑稽の極みだ。


「僕があなたに対して負の感情を抱かないとでも? あはは。まさかそこまで浅はかではないですよねぇ。どうして僕がここにいるかわかります? わかりますよねぇ。わかってもらわなきゃ困りますよ? ……まあ、もちろん復讐のためです。聖都を巻き込んだ、合法的で合理的な、ね」


 いくらこいつを痛めつけても、僕は罪に問われない。これは正当防衛だから。

 真理士は危険を伴う資格であるため、僕の名は関係者以外には公にされないしね。


 復讐劇はずっと前から始まっていた。

 あの日、テレビに映ったグルナード社代表の姿を見た時から。

 数年ぶりに闇色の炎が心に灯ったのだ。

 そのために手筈も手回しも何もかも整えた。

 僕は今ここに盤石な備えで挑んでいる。


「こ、こんなことをして、どう、なるかっ……」


 ああ煩い。


「上腕骨開放骨折。大腿骨粉砕骨折。眼球破裂。外傷性クモ膜下出血。肝損傷。三度熱傷。肩腱板断裂。腸骨骨折。外傷性鼓膜穿孔。挫滅症候群。急性循環不全。外傷性肺挫傷。頭蓋骨陥没骨折。……覚えていますか?」

「し、知る……かっ!」



「全部、あなたたちが学生時代の僕に負わせた怪我ですよ」



 茨の棘がじわりじわりとルーファスに食い込む。

 苦痛に歪む顔もまた愉快だった。


「あー。一つ残らず同じようにあなたを甚振いたぶったら……死んじゃいますね。あはは。すこぉーしだけ手加減してあげますよ。はい、せーのっ」


 スーツを突き破った茨が肉を抉り取り、深く深く身を潜ませる。


「あ、や、ぎゃああぁあぁあぁあぁああぁああぁぁぁああぁあぁあぁぁあ!!」


 絶叫がトラックドックに響き渡った。

 トラックの積荷が目を覚まさないといいのだけれど。

 まだ彼らに見られては困る。


「あはは! もっと苦しんでくださいよ! 命までは取りませんから! 本当は取りたいんですけどね!」


 ゲームセンターで大量にぬいぐるみをゲットした時と同じくらい気分が高揚してる。

 こいつの蒔いた種は枯れ果てる運命だった。

 もし芽吹いて花を咲かせたとしても、どうせ婀娜花だ。


 ざまあみろ。


「さぁて」


 攻撃の手を緩め、指をパチン、と鳴らす。

 絶叫は次第に呻きに変わった。


「グルナード代表ルーファス・レアード。あなたに残念なお知らせがあります」

「うぅ、あ……あ……」


 もう喋る気力も残っていらっしゃらないようだ。虚ろな目でうなだれている。

 続けよう。


「今しがた、あなたはグラナタスの依存性には解決策がないと仰っていましたねぇ。それがあなたの無知ゆえの傲慢なんですよ。確かに、現時点でグラナタスの解毒剤は存在しません。ですが、明日から実用化される法力制御不全症候群治療薬“プリエ”という薬剤は別です。このプリエには、グラナタスの依存性及び法力素細胞異常活性化を沈静、正常化する薬効が認められました。重篤な副作用なく緩やかに、かつ確実にね。本来の使用法からは逸れますが、致し方ありません。プリエを使用して事態の収束を図るかたちになるでしょう。……日々医学は進歩しているんですよ、あなたの知らないところでね」


 抵抗する気も起きないらしい。

 僕は悪路をルーファスの元へと歩む。

 地を踏みしめるたび、革靴がざりざりとむせび泣いていた。


「グルナード社の思惑は完全に阻止されます。真理士ソール・ユリハルシラと、グラズヘイム院長、キース・ラングリッジ、および三区区長リンラン・シャノワーヌによって」


 あなたの大嫌いな落胤と、妾の子と、貧乏人の娘によって。


「残念でしたねぇ」


 あと数歩のところまで近づき、僕はルーファスの胸ぐらを掴む。


「あなたの大好きな権力も名声も富も何もかも、僕が奪ってあげますよ。ひとかけらも残さず、完膚なきまでに、徹底的に。きっとあなたにとっては殴られるより痛いでしょうからね。あはは!」


 聞こえているのかいないのか。

 僕は笑ったまま、磔を解除し手を放した。


「あ……あぁ……う……」


 まるで柔軟な猫のようにルーファスはくたりと地に崩れ、指先すら動かさない。

 どうやら意識も失ってしまったようだ。

 面白くない。


「さぁて。お嬢様方を何とかしないと」


 くたくた猫はしばらく放置しておいても死にはしないだろう。

 急所は避けたし、実は出血もそうひどくない。

 神経の集中している部位をピンポイントで狙ってやったので絶叫はしたけれど。


 僕は振り返り、開け放たれたトラックへ引き返す。

 途中、白衣と神官服の腹心を踏みつけて荷台へ上った。

 出番のなかった折りたたみナイフを懐から出し、眠ったままのアンネリースとアナスタシアの縄とさるぐつわを解いた。


「おーい。あっちゃん、なっちゃん。おーきーてー」


 優しく肩を叩く。

 だが、二人とも反応してくれない。


「おーい。頼むからさぁー」


 肩を揺さぶってみた。


「う……」

「ん……」


 お、いけるいける。


「おきてー。ごはんできたよー」


 うそだけどね。


「んー……」

「うぅ、ん……」

「……ん、あ。あれ? ソール、君?」

「ふぅ、う……うん?」


 二人揃ってお目覚めだ。

 青と紫がぼんやり開かれる。


「おはようございます」

「ふぁあぁ、おはよう……ってここどこ!?」

「私たち、たしか……」


 激しく首を左右に振って混乱するアンネリースとアナスタシア。

 薄暗い荷台にはパーティー会場で一緒だった人物が拘束され倒れている。


「ひぃっ!」


 それを見つけると混乱は錯乱に変わった。


「ねぇソール君、ここどこ!? なんでみんな倒れてるの!?」

「ええと。細かいことはあとでちゃんと話すからさ。今は僕の言うとおりにしてくれない?」

「やだ。大雑把にでも話して!」

「そうよ! あなただって怪我してるじゃない!」


 アナスタシアとアンネリースは腕や胴にしがみつき身体を揺さぶった。

 まあそうだよねぇ。

 僕も血まみれ満身創痍状態だし、説明なしは辛いか。


「うーん。あのね、二人は立食パーティーで薬を盛られてここに閉じ込められてたんだよ」

「はぁ!? たしかに途中で眠たくなったけど……」

「どうして?」

「会場に悪巧みをしている奴がいてね。あぁ、さっき僕がやっつけといたからもう大丈夫なんだけどさ。あっちゃんもなっちゃんも、ここに転がってる人もみーんな、悪ーい薬を盛られてるんだ。だから、今から病院で解毒しなきゃいけない」

「待って、もっとわかんない。私別におかしいところないよ?」

「ソールって笑えないくらい説明下手ね」


 遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

 姉さんが裏で手配してくれた一団が到着したようだ。


「ごめんって。その辺はおいおい話すから。今はとにかく緊急なんだ。ここは黙っておもちゃの言うことを聞いていただけませんか?」

「そ、そこまで危ないの?」

「うん。生命の危機レベル。下手すると異端症候群まっしぐら」

「全然わかんないけど、怖いからさっさと病院連れてって!」

「私も! 異端症候群は絶対にイヤよ!」


 サイレンがだんだん近づいてくる。

 二人に縋り付かれながら、僕はずっと笑っていた。



 ことが発覚すれば混乱は避けられない。

 解決方法はあっても最初は供給が間に合うかどうか。



 さてさて、これからどうなることやら。



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