第11話:復讐と生贄美少女




 普通の生活、とは一体どんな形態を指すのだろう。


 朝起きて、ご飯を食べて、マーケットまで買い物に行って、掃除して。

 またご飯を作って食べて。陽が沈んでシャワーを浴びて、日付が変わる頃に眠る。

 もしこれが普通の生活なら、僕はもう異常な状態を脱したのだろうか。


 ……ああ、いくら考えてもわからないや。



 アンネリースとアナスタシアのおもちゃになってから、肩にのしかかっていたおもりが少しずつ小さくなっている。体が軽く、頭痛も治まった。

 精神もわずかに潤いを取り戻して、いるのかもしれない。

 料理のレシピだって緩やかに思い出してきた。

 もう包丁で指に傷を作ることもない。


 マーケットで威勢のいい店員と話すのも苦痛でなくなった。

 人と関わるのが怖くなくなった。

 微かなロウソクの灯りが目の前に灯っている。

 ずっと治らなかったしこりは今や無くなりつつあった。


 九日。


 自らの変化を実感しながら姉さんからの連絡を待ち続けた。

 九日の間、毎日のように暴走事件は発生し、ニュース番組を賑わせる。

 大嫌いな夜のワイドショーは“徹底解剖!”などと銘打って暴走事件を事細かに伝えていた。


 そして。待ち望んだ知らせが舞い込む。

 読みは当たっていた。


「じゃ、行ってくるねー」

「言いつけは守りなさいよ、おもちゃ」

「いってらっしゃーい。気をつけてね」


 よく晴れた翌朝。

 制服を着崩したお嬢様方は、溌溂と立食パーティーへと出掛けていった。

 二人には申し訳ないが少し怖い思いをしてもらうつもりだ。

 現場を押さえなければ、こちらが不利になりかねない。


 逃がすものか。ぶっ潰してやる。

 負の感情がいかに恐ろしいか、あいつに思い知らせてやるのだ。

 したたかにどす黒い炎を燃やしながら、電話で姉さんと打ち合わせし、部屋を出た。柄にもなく神官服なんかを着こんで。



 午後三時。


 立食パーティー終了時刻を見計らい、グルナード本社へと赴く。

 服装が服装なので入口の警備員にも止められず、スムーズに侵入を果たした。

 広々とした一階ロビーは、赤をふんだんに取り入れた豪勢なつくりをしている。

 ぴかぴかに磨かれた床や壁、フロント、観葉植物の植木鉢。

 みんなみんな、厭味ったらしいくらい赤い。悪趣味の極みだ。


「さてと。やりますか」


 小声で自分に言い聞かせ、フロントの受付嬢に笑いかける。

 受付には二人。

 体のラインがくっきりとわかるタイトな制服もやっぱり赤かった。

 左側の受付嬢ははきはきと来客対応中だ。

 僕はもう一人に照準を定めてフロントへと進んだ。


「こんにちは。?」


 さあ、先手必勝。

 ここからは気を抜けない。

 挨拶しながら、ブロンドを巻いた受付嬢の心の扉にちょっとだけ細工する。


「――かしこまりました。ご案内いたします」


 あっさりと策は成功した。

 営業スマイルの受付嬢はフロントを出て、ロビー奥のゲートへと僕を案内する。

 彼女とならゲートの通過も容易い。

 本来なら絶対に入れてはならない人間を入れてしまったのだ。


 ……名も知らぬ彼女に寛大な処置が下ることを祈ろう。


「代表はただ今第三倉庫内にて作業スタッフと交流中です」

「そうですか」


 自分で自分と会話しているようなものだけれど、一応相槌はうっておく。

 絵面が不自然にならないようにしないとね。

 派手な風貌の受付嬢はハイヒールをカツカツ鳴らし、一つ、また一つとゲートをくぐる。内装は赤からグレーに変わり、飾り気のない通路が続いた。

 一度管理の行き届いた庭園を通って、いくつもの倉庫が立ち並ぶ区域へ入る。


「どうぞ。お入りください」


 受付嬢はパスカードでドアを次々解錠し、『第三倉庫トラックドック』のプレートが掲げられたエリアに侵入を果たす。


 横長のトラックドックには小型トラックがお尻を向けて三十台は並んでいた。

 普段は開けられているだろうシャッターは全て下ろされ、トラックドッグは外部から遮断されている。一筋の光すら差し込まない徹底した密室だった。


「……は完了しました」

「よし。……が済み次第出発させろ」


 銀一色の無機質なトラックの陰から、微かに数人の話し声が聞こえた。

 男の低い声だ。


 カツカツ、コツコツ、と受付嬢の奏でる足音はすぐに彼らに届く。


「誰だ!」


 数は、六名。

 トラックの間からスーツや神官服、白衣の男たちがずらずらと現れる。

 他に隠れている人間は……いない。


 その中に暗いブロンドを撫でつけた男、ルーファス・レアードの姿も確認できた。テレビに映る姿と何ら変わりのない眉目秀麗なスーツ野郎に奥歯を噛み締める。


「代表。お客様をお連れいたしました」


 受付嬢は表情を変えず一礼し、踵を返した。


「お客様?」


 ハイヒールの靴音を聞きながら、ルーファス・レアードは僕をじっとりと睨む。

 奇抜な赤ネクタイが首元にぶら下がっている。バカみたいだ。気持ち悪い。


「こんにちは。お久しぶりです、ルーファスさん」


 いなくなった受付嬢みたいに嘘っぱちの笑顔を作って、宣戦布告、だ。

 腹心であろう五人の男たちは、ルーファスを取り囲むように陣形を組み警戒する。

 どうやら皆さん揃って戦闘可能な法力持ちのようで。


「誰だ、貴様」

「嫌だなぁ、忘れたんですか?」


 へらへらと気に障る態度で返す。

 案の定訝し気な眼差しが僕に突き刺さった。


「なんちゃって。申し遅れました。僕は、ソール・ユリハルシラ。本日は真理士としてグルナード社にお邪魔した次第です」

「真理士?」

「ええ。あなた方の悪事を暴きに来たんですよ」

「はァ? 悪事だと?」


 完全犯罪を崩し、阻止する。

 お嬢様方にはうそをついてしまったが、真理士資格合格者のうちの一人は僕だ。

 あまり公言するものでもないし、普段は口にしないようにしている。

 ほら、無職のおもちゃが名乗っても信じてもらえないだろうしね。


「昨今巷を震撼させている法力暴走事件はご存知ですか?」


 ルーファスの眉がぴくりと痙攣する。


「ここ半年間、特定の既往歴がない老若男女が次々と急性法力素不全症候群を発症しているんですよ。ご存知ですよねぇ? ここまで大々的にマスメディアが取り上げてるんですから。でも、考えてみてくださいよ。本来暴走を起こすはずのない人々が、何の前兆もなく暴走する。おかしいと思いませんか?」

「で?」


 話を聞いてはくれるらしい。依然怪訝な表情だが、それが逆に愉快だった。


「おかしいですよねぇ。で、ですね、つてを頼って研究機関にとある調査をお願いしたんです。……僕、気づいちゃったんですよ。今回の暴走事件の起因、あるいは元凶に。――まあ、これに関してはルーファスさんの方がずっと詳しいでしょうけれど」

「下らん。俺と暴走事件に何の因果関係があるっていうんだ」


 テレビに映る好青年はどこへ行ったのやら。

 呆れるくらい棘のある口調で吐き捨てる。


 トラックドックにいる六名の心の扉には深紅の茨は這っていない。

 それが何よりの証拠だっていうのに。


「……では、暴走に付随する病、異端症候群の発生メカニズムをご存知ですか?」

「知っていたらどうなんだ?」


 あちらからは仕掛けてこないか。よし。


「不治の病、異端症候群。法力素がある時を境に通常の何万倍も分泌され、脳神経や臓器、筋組織、骨髄などを破壊する病です。原因は法力の乱用、あるいは先天的な体質など諸説ありますが解明されていません」

「常識を語りに来るとは。茶番には付き合わんぞ」

「茶番だなんて酷いなぁ。最後まで聞いてくださいよ。この話にはもう少し続きがあるんですから」


 はっきり言って時間稼ぎだけど、舌打ちされるとムカつく。


「法力の発動を司る法力素細胞は、法力系統別に体内のどこかに分布しています。これらからの法力素分泌が生まれつき多く、制御が難しくなるのがいわゆる先天性法力素制御不全症候群と言われる疾患です。彼らは異端症候群の予備軍であり、強大な法力を有する優秀な人材でもあります」

「ふぅん」

「まぁ、彼らも法力をむやみやたらに使わなければ簡単には発症しませんけどね。適切な治療を受けながら成長していけば、そのうち暴走も起こらなくなりますし。あくまで体質的なものですから。しかし、です。もしこの状態を放置してしまったら。医療の介入なく、法力をむやみやたらに使い、暴走を繰り返してしまったら。……あはは、誰しもが知る簡単な答えですよね」


 一度大きく息を吸った。


「……放置し続けると、法力素細胞が悪性化し異常増殖を始めてしまいます。こうなれば、もう打つ手がありません。悪性法力素細胞はホルモンレセプターに異常をきたしており、法力素を際限なく分泌し続けます。法力素活性ホルモンに反応しすぎるんですよ、これが。挙句の果てに、インターフェロンを含む免疫機能ですらこいつらの増殖は処理しきれないんですよねぇ」


 腹心たちはじりじりと移動している。

 まだ害のない距離なので放置しておこう。


「体外に発散しきれず、蓄積されていった法力素はいずれ肉体を蝕みます。今日こんにちに至るまで様々な治療法が見出されましたが、完治には至っていません。だから、異端症候群は不治の病と言われています。今回の法力暴走事件でも、最終的に異端症候群を発症したケースがあるそうですよ。許せませんよねぇ」

「何にキレてるんだか。御託はいらん。さっさと腹の内を吐け」


 お前にキレてるんだよ。


「では、本題に移りましょうか。……医療機関の協力の元、法力を暴走させて入院中の患者に対し、聞き取り調査を行いました。これまでにグルナード製品を使ったことがありますか、とね。集計してみるとびっくり仰天。回答は百パーセント“はい、使用しています”でした。クリームや石鹸、洗剤、あと……忘れましたけどとにかく皆さんグルナード製品の長期使用者ばかりでしたよ。年単位でね。そして、同様に彼らの愛用していた製品についても成分解析を行いました。結果、グルナード製品のほぼ全てに法力素細胞を異常活性化させる物質が含まれていることが判明しました。いやぁ、驚きましたよ。思わず笑っちゃうくらいには」


 白衣の男が口元を引き攣らせた。

 他の四名も焦りの色が滲み出ている。

 ルーファスに至ってはまだ余裕の表情だが、明らかに苛立っているのが感じられた。


「この物質、経皮吸収に特化したホルモン剤の亜種だと特定済みです。塗布後二時間以内に速やかに吸収され、短時間法力素細胞へ悪影響を及ぼすものです。例えるなら、医薬品よりも違法なドーピング薬が近いでしょうか。しかも、体内に吸収されてすぐに完全にこの物質を狙った検査をしないと引っ掛からないんですよ。巧妙ですねぇ。もっと言えばこの物質、元来人間の持つ法力素細胞活性ホルモンと酷似しています。従って一般的な検査ではただのホルモン値異常としてしか検出されない。そりゃあ今まで原因不明だったのも頷けます」


 我ながら今日は舌が回る。気分も乗ってきた。


「一度、二度の使用であれば暴走を起こすほどの症状は出ません。ちょっと身体が火照るくらいです。でも常用すると症状が慢性化し、最終的に急性法力素制御不全症候群、つまり、暴走を引き起こします。悪意を持って作られた明らかな毒物。ええと、名前は確か、あぁそうそう。グルナード社のごく一部でと呼ばれているんですよねぇ?」


 トラックドック内に高々とルーファスの嗤い声が木霊する。


「妄想者が。お前が病院に行ったらどうだ? グラナタスなんてもん、平社員はおろか幹部ですら耳にしたことがない。惨めなこった。大方インチキ研究所に騙されたんだろうな」

「残念ながら複合型療育研究施設グラズヘイムで調査した、正式な検査結果です。覆せませんよ」


 またルーファスがげらげらと嗤う。


「馬鹿馬鹿しい! 付き合ってられん。やっぱり知名度もクソもないインチキ研究所じゃねぇか。なあ、お前ら。知ってるか?」


 腹心に問うも、皆一様に首を横に振る。


「数年前にできた法力素疾患専門の小児病院兼研究施設です。確かに知名度はいまいちですが、設備と研究者、医療スタッフの質は抜きんでています。皆さんが知らないのも無理はありません。しかし、二度と忘れることはないでしょうねぇ。なんたって、あなた方を失墜させる名なんですから」


 準備完了。そろそろ邪魔者を排除しよう。

 五つの扉を掌握し、僕はわざとらしく指をパチン、と鳴らした。


「なっ!?」


 ルーファスが狼狽する。

 指を鳴らした途端に四人の腹心が白目をむいて倒れたのだ。

 残る一人も虚ろな目で「あ……あぁ……」とよだれを垂らしている。


「貴様何をした!」

「さぁ?」


 愉しくなってきた。

 虚ろな男は直近のトラックへと歩みだす。


「おい、おいっ!」


 ルーファスは慌てて男を制止させようとしたが、失敗に終わる。

 虚ろな男の力に、全く歯が立たなかったのだ。

 振り解かれ、突き飛ばされ、無様に尻もちをつくことになる。


「待て、おいっ、聞こえないのか!」


 あれよあれよという間にゆらゆら男はトラックのリアドアを開け放った。


「あぁーあ。最っ低ですね」


 荷台に積まれていたのは、意識を失った十数名の老若男女。

 本日の立食パーティーに招かれたテスター当選者たちだ。

 手足を拘束され、口もさるぐつわで塞がれている。

 その中にアンネリースとアナスタシアの姿もあった。


「街を行くグルナード社のトラックには基本、社名ロゴがラッピングされています。派手さだけが売りのひと際目を引く赤いロゴマークが。ですよねぇ? でもここに並んでいるトラックは社名ロゴが描かれていない。おまけに偽造ナンバーで自動運転車だ。」

「へけっ」


 用ナシの男が失神したのを一瞥して、僕は続ける。


「あなたが何をしようとしてるのか、当ててあげましょうか?」


 ルーファスは怒りと焦りで余裕をなくしていく。

 眉をまるで別の生き物のように痙攣させて、口を引き攣らせて。


「テスター募集に合格したのは、一年以上グルナード製品を愛用した人々。個人差はありますが、皆さんグラナタスに侵されて暴走一歩手前です。彼らはパーティーに招待され、新商品のクリームを渡された。テスターですから当然その場で肌に塗っているでしょう」

「黙れ」


 嫌だね。


「新商品には改良型のグラナタスが含有されています。塗布後八時間で血中濃度が最大に達し、強烈な暴走を引き起こすものです。八時間後。ちょうど街の賑わう時刻ですねぇ。その時刻に合わせて彼らをトラックで主要な教会や繁華街へと運ぶつもりだったんでしょう? あはは、彼らはいわば人間爆弾だ。もし無事に成功したら、聖都は大混乱なんて生易しいものじゃ済まされない」

「黙れっつってんだろが」

「ルーファス・レアード。あなたは聖都をひっくり返すテロを起こそうとしている。一千万以上の人間爆弾を携えて。違いますか?」


 ルーファスはくつくつと嗤い始めた。まだ壊れてもらっては困る。


「……落胤らくいんが随分出世したなぁ」

「わぁ。思い出していただけて光栄です」

「わざわざボコられに来たのかァ? とんだマゾヒストだな、このクソ落胤」


 ルーファスはスーツの内ポケットに手を突っ込み、取り出した何かを蒔いた。

 くるぞ。


「いいえ? 僕はあなたを潰しに来たんですよ。完膚なきまでにね」

「ほざけ無能のクズが!」


 ルーファスの裏返った声がトラックドックに木霊した。

 弱い犬ほどよく吠える、って誰に習った言葉だったっけ。

 多分潰えた言葉だったはずなんだけど忘れてしまった。

 ああだけど、目の前のこいつにはお似合いの言葉だ。



 さあ、愉しい愉しい復讐を始めよう。

 僕は無能だけど、人畜無害じゃあないんだよ。


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